土橋先生、今日は爽やかですね

土橋先生、今日は爽やかですね、と言われた。なんだかしみじみと嬉しかった。

私は今月から、とある場所で職業訓練校の講師をしている。Web制作初級者向けの講義だ。そこの生徒さんから休み時間に、爽やかですね、と声をかけて頂いた。

私はおっさんであるから、爽やか、という言葉には似つかわしくない。服装も、スラックスにTシャツ+薄いジャケット、というゆるいものだった。

でも、おそらくその生徒さんは、私の講義を通して私に良い印象を持ってくれたから、そういう言葉をかけてくれたのだろう。

私は、これまでずっと陰気にプログラマーをしていた。ここ1年半ほどは、表舞台に立つことがほとんどなかった。ひたすらにプログラムを書いていた。

1年半、ずっと地下に潜って、孤独に穴を掘っていた。勝手に始めたこととはいえ、自分の時間やお金、想いなどをつぎ込んでプログラムを書いた。それが役に立ちそうにない、という事実を目の当たりにして、気持ちが落ち込んでいた。

そして、少し居場所を変えよう、と考えて講師という仕事を始めた。始めてみると、その仕事はとても楽しいものだった。

1年半の地下生活での幸福の総量と、今月に入ってから講師の仕事をした中で受けた幸福の総量を比べたら、おそらく後者の方が大きい。

生徒さんたちは、日々、良いフィードバックを与えてくれる。それらが、私の幸福を作ってくれている。

苦労と幸福は比例しないのだ、と理解した。

もちろん、なんでもいいから何かをやって、苦痛を感じながらもがく中で掴む幸福というものもある。でも、苦労を超えた先に何かがあることが保証されているかというと、全くそうではない。

実態としての自分はほとんど変化がないのに、少し居場所をずらすだけで、幸福度が大きく変わることがある。

落胆​

そのように考えるようになったのは、これまで居た場所に対する落胆が大きいから、という面もある。こんなに汚い場所なら、このまま腐り落ちて消滅してしまったほうがいいのかもしれない、と感じる瞬間が多くなった。

自分がプライドとリソースをかけて守っているものが、ひとを幸せにしないものだった。その時に感じる虚しさは、特大だ。

もしサポート頂けたなら、そのお金は、私が全力で生きるために使います。