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44歳、格闘技ド素人のおっさんがリングでしょっぱく負けるまで【 #HATASHIAI 参戦記】

2021年12月11日、私は素人格闘技大会であるHATASHIAIに出場した。全17試合の中の3試合目。泡沫出場者のひとりだ。

参戦確定まで

参戦希望

2021年10月1日、HATASHIAI選手候補のLINEグループにメッセージが流れた。12月11日開催のHATASHIAIへの参戦者を募るものだった。

たぶん出場できないだろう、と感じながら、すぐに参戦希望の返事を送った。

私は2019年4月20日に、このHATASHIAIに出場したことがある。その時のことは下記のnoteに書いた。

私は、HATASHIAIに出場した。もう一度出たい、と思っている。しかし、出場希望者は大量にいる。

HATASHIAIは、慈善事業として開催されているわけではない。しっかりと集客して利益が出なければ、継続することは難しい。少なくとも赤字は出したくないはずだ。

だから、私のような集客力のない参戦希望者が選ばれる可能性は低い。仮に集客力のない人を選ぶにしても、初参加の人を優先するだろう。

私はそれを理解していた。たぶん出られない、と考えつつ、参戦希望を出した。

まさかの打診

参戦希望を出してから一ヶ月半以上が経った11月18日、HATASHIAI運営の方からLINEが入った。枠が急遽空いたので参戦しないか、とのメッセージだった。誰かが参戦をキャンセルしたのだ。

私は、細かい対戦条件を確認しないまま、すぐにスマホでGoogleカレンダーを開き、12月11日の予定が空いていることを確認した。そして、OKの返事をした。

HATASHIAIの参戦枠は限られている。参戦希望者はたくさんいる。その中で、私に白羽の矢を立ててくれたのだ。

誰かがキャンセルした後に、私に声がかかった。運営の方々は、私に一定の信頼を置いてくれているのだろう。こいつはおそらくキャンセルしない、という信頼だ。私はそれが嬉しかった。

もちろん、殴り合いたい、という気持ちも持っている。参戦する、の一択だ。

出場確定後

仕事の調整

一方で、仕事は少々忙しかった。

私は、インターネット広告の健全性に関する仕事をしている。プログラマーとしてシステム開発し、そのシステムで広告を収集している。依頼があれば、怪しい広告の出稿者の情報などをまとめ、レポートを送っている。

参戦する、と返事をしたのは11月18日。この時の私は、11月24日に開催する勉強会の準備に追われていた。あるネイルサロンのオーナーから、広告についての勉強会を開いて欲しい、と依頼を受けたのだ。

この仕事は絶対に全力でやりたい、と感じていた。勉強会のための説明スライドを作り、話す内容を練った。スライド枚数は112枚。11月24日までは、他のことは何もできない。

24日以降にも、仕事や私用をいくつか入れていた。24日まではネイルサロン向けの仕事に集中しているぶん、それ以降も少し忙しい日が続きそうだった。

読売新聞の取材

24日の勉強会を無事に終えた後、11月30日。読売新聞の記者さんからメールが入った。コンプレックス広告に関してのデータが欲しい、とのことだった。

インターネット広告の問題については、今年の6月から消費者庁が検討会を開いている。そのこともあり、話題性が大きくなりつつあった。

この記者さんへは、以前もデータ提供で協力したことがある。その時は、虚偽の体験談を使ったインターネット広告のデータを送った。

今回は、コンプレックスをあおる広告について記事を書きたい、とのことだ。

記事化するには、記事の裏付けとなるデータが必要だ。私が持っているデータベースから、データを抽出する必要があった。記者さんと電話で打ち合わせを行い、方針を探った。

データ抽出は、技術的には簡単だ。しかし、作業時間がかかる。この時の取材対応には丸2日ほどを費やした。

記事は、12月2日の西日本版朝刊2面に掲載された。無事に記事化されて嬉しかった。記事を通して、汚いインターンネット広告を減らすことに貢献できたのだ。

しかし、HATASHIAIまでの貴重な時間が消費されたのも事実だった。

FIT & TOKYO でスパーリング

私は焦っていた。HATASHIAIまで、あと10日ほどしかない。その残りの10日の中にも、既に予定を入れている日がいくつかある。それなのに、まだ何も準備ができていない。

私はツテをたどって、FIT & TOKYOさんに行き着いた。状況を伝えたところ、特別にスパーリングしてあげる、と言ってくれたのだ。

全く練習できていない私には、最高にありがたかった。1時間に満たない短いスパーリングだったが、ほんの少し、実戦に近い練習をすることができた。

2年ぶりの生ライブ

HATASHIAIへの参戦が決まって、とても悩んだ私用がある。私が好きな歌手である奥村愛子さんの2年ぶり生ライブ「カウシロップアワー」だ。12月3日の公演だった。私は、このチケットを発売直後に買っていた。

なにしろ2年ぶりの生ライブだ。ファンとしては行きたい。更に奥村さんのライブでは、物販でいくらか買うとサインをしてもらえるのが恒例となっている。私は、いつもライブへ行き、自分の仕事道具であるPCにサインを入れてもらっていた。

サイン入りのPCとそうでないPCでは、仕事のやる気に大きな差が出る。この機を逃したくない。私は、ライブへ行くことを選択した。

ライブは最高だった。PCにサインももらえた。深い満足感があった。

サインを入れてもらったPC

しかしまた一歩、HATASHIAIへの準備は、おろそかになった。

セコンド探し

HATASHIAIへの準備は、試合の練習だけではない。セコンドとしてリングサイドで私を見守ってくれる人も、選手側で準備しなければならなかった。

私は格闘技ド素人で友達も少ないから、セコンドになってくれそうな人が周りにはいなかった。まずい。万一、セコンドを見つけられなければ、出場できない。

迷った末に、私は田端大学のLINEグループにセコンド募集を投げ込んだ。

私は今年9月から、田端大学に入っている。

私は2019年から会社員を辞めて独立し、自分の事業として違法広告の調査を行っていた。ここ2年ほどは、感染症の影響によって人と会えず、孤独を感じることが多かった。いくつかのオンラインサロンを漁って、田端大学に行き着いた。

LINEグループに投げた私のメッセージを見て、田端さんはセコンド募集を支援するツイートをしてくれた。

田端さんのツイートには、たぶん数十万円ほどの金銭的価値がある。田端さん自身も、それを理解しているはずだ。田端大学のメンバーだからといって、ツイートを依頼できるわけではない。それでも、ツイートしてくれた。

おっさんのくせに活きがいいじゃねえか、と思ってくれたのかもしれない。田端さんの援護もあり、セコンドは無事見つかった。

NHKの取材

12月6日、NHKの記者さんから連絡があった。取材依頼だ。

12月3日に、ニベアの公式アカウントが注意喚起のツイートを流した。「ニベアと混ぜる」系の広告に、ニベアは関与していない、というものだ。

「ニベアと混ぜる化粧品」の広告を見たことがある人は多いだろう。それらはほぼ100%、違法広告だ。それについて番組を作りたいから取材させてくれ、とのことだった。

NHKには、以前、2019年1月22日放送の「クローズアップ現代プラス『追跡!"フェイク"ネット広告の闇』」に情報提供していた。その繋がりで、また連絡してきてくれたのだ。

読売新聞に続いて、今度はNHKか。もちろん嬉しい。私は、違法な広告を叩き潰すために、毎日とめどなく作業をしているのだ。全力で協力する、の一択だ。

取材は、翌日7日にリモートで行う、ということになった。6日はそれの準備のために、再度、急いでシステム内のデータを漁った。深夜3時まで作業し、できる範囲のレポートを作った。

翌7日。リモートで取材を受けた。録画したものを番組に使う、とのことだった。少し緊張したが、私が知っていることをそのまま話せばよい。準備は大変だったが、当日の仕事としては簡単だ。取材は滞りなく終わった。

NHKへの出演依頼

取材を受け終わった夜。さっきのNHK記者さんから電話が入った。取材内容の再確認だろうか、と思いながら電話に出る。記者さんは、明日8日夕方の番組「首都圏ネットワーク」にリモート生出演してほしい、と言った。

何を言ってるんだ。私は、ただの泡沫プログラマーだ。他に、出るべき偉い人はたくさん居るんじゃないのか。少し戸惑った。

しかし、私にも私なりに、世の中に発信したいことはたくさんあった。出番はほんの少しだろうけれど、違法な広告を叩き潰すことに貢献できるなら本望だ。

記者さんが私を指名したということは、少なくともこの時のこの記者さんは、私が適任だと判断してくれたのだろう。少しおびえつつ、受ける、と返事をした。

台本

翌8日。私の出演は18時台のどこかだ、ということになっていた。

台本は後で送る、と言われていた。しかし、なかなか送られてこない。私は焦れながら、消費者庁の検討会資料を読み込んでいた。

17時27分。記者さんから電話がかかってきた。やっと台本ができたのだ。私の出演は18時35分くらいからだ、とのことだった。1時間後か。

電話と同時にメールも送られてきていた。添付されていた台本を読んで、私は青ざめた。前提とする認識が全く違っていたからだ。

電話に出て、そのことを話す。記者さんから台本を書く人へ、情報がうまく伝わっていなかったようだ。記者さんにとっても、この台本は想定外のようだった。

NHKには出たい。少しでも発言したい。けれども、この台本では、世の中に間違った情報を流してしまうことになる。出演は1時間後だ。悩みたいが、悩むための時間的余裕はない。意を決して即座に、この台本では出られません、と伝えた。

それなら、どこを直せばよいですか。記者さんは、困惑と納得が混ざった声で答えた。

早口で対処案をいくつか出して、一旦、電話を切った。記者さんは、上司と相談するそうだ。10分ほどして、折返しの電話がかかってきた。

上司の方と話した。私の言っていることに納得感はあるようだ。ただ、時間がない。修正の方針についてのみ合意し、修正してくれるなら出ます、と伝えた。あとはお任せするしかない。

出演

18時30分になり、番組が始まった。私は、PCでオンライン会議形式の画面を開き、時間を待った。いつもはテレビで見ている番組を、オンライン会議ツールで見ている。なんだか不思議な感覚だ。

18時35分。私の出番のコーナーが始まった。最初の3分はVTR。それが終わり、アナウンサーの方が私を紹介する。

引用元:NHK首都圏ネットワーク 2021年12月8日分

最初のやりとりは、うまく行った。途中で画面が変わり、インターネット広告の取引の流れを示した図が映し出された。

あ、やばい。この図、間違ってるぞ。

アナウンサーの方が図を説明し、私に話を振った。私は一瞬迷ったあと、ヤケ気味で口を開いた。

この図、あまり適切ではないですね。

アナウンサーの方は、台本に予定されていない私の言葉に戸惑ったようだ。しかし、事実でないことを話すわけにはいかない。頭の使い慣れていない部分をフル回転させて、間違いを指摘し、もらった質問に答えた上でアナウンサーの方へ話を返した。

アナウンサーさんは、私の話をうまく巻き取ってくれた。

私の出演が終わってから数分後、記者さんから電話がかかってきた。私の対応は概ね問題なかったようだ。間違ったことを放送するわけにはいかない、だから指摘してもらえてよかった、という趣旨のことを言って頂いた。

私は胸をなでおろした。素人にアドリブさせないでください、と冗談交じりに悪態をついた。

NHKへの出演はうまく行った。達成感もあった。

ただ、やはりまたHATASHIAIへの準備は後回しになった。3日間のロスだ。

教え子

NHKへの出演が終わった翌日の12月9日。私は、教え子と会った。転職で悩んでいる、と相談を受けたからだ。私はプログラミング講師の仕事をした経験があり、教え子と言える人が少なからずいた。

転職というものは、その人にとって重大な問題だ。その重大な問題の解決のために、私を選んでくれた。私は誇らしく感じた。

また、転職には、その人の人生観も絡む。その人がどう生きていきたいのか、ということを問うことになる。それは私にとっては興味深く楽しい会話だ。

この教え子は、今まさに転職活動中であり、会うとすればこの日しかなかった。HATASHIAIの日程を考えると、うっすらと迷いは感じた。しかし、この教え子の要望に応えることは、私としても楽しいし、この人にとっても重要であるはずだ。受ける、の一択だ。

重大でありつつも楽しい会話を重ねた。私は、この教え子が抱える問題の解決に貢献できて、とても満足だった。

ただ、またHATASHIAIへの準備は先延ばしになった。

ファウルカップ

12月10日。ついにHATASHIAIの前日を迎えてしまった。結局、この日までにした準備は、FIT & TOKYOさんでのスパーリング1回だけだ。

2年半ぶりに、キックボクシングの装備を引っ張り出す。ファウルカップとマウスピース、ニーパッド。私は40代なので背が伸びることもないし、幸い、体型もほとんど変わっていなかった。これらの装備は前回と同様に使えるはずだ。

念のため、ファウルカップをつけてみた。問題なし。マウスピースもOK。ニーパッドも、しっかりと膝にフィットした。

2年半ぶりのファウルカップ

今回も問題なく使えそうだった。しかし、この確認は、もっと早くやるべきことだ。

今更ながら「ナメてる」という言葉が頭に浮かんだ。私は、HATASHIAIの試合をナメている。そのことに、やっと気付いた。

HATASHIAIは「格闘技のカラオケ」と説明されることがある。カラオケは、歌が下手な人でも歌って楽しむことができる。HATASHIAIはそれと同じように、弱くても殴り合いを楽しむ、ということが重要なコンセプトになっている。

「格闘技のカラオケ」という趣旨を考えれば、私のナメた態度は許されるだろう。しかし、そうは言っても殴り合うのだ。こんな準備の仕方でいいのか。

後悔しても、もう遅い。この日は、軽くジョギングして身体を整えるにとどめた。

HATASHIAI当日

HATASHIAI当日。朝7時半に起きた。私は近所の「なか卯」に行き、目玉焼き朝定食を注文した。気合を入れたいので、奮発して目玉焼きは2枚だ。

なか卯の目玉焼き定食(目玉焼き1枚追加)

なか卯の目玉焼き朝定食は、私のような中年男性にはボリュームが多い。普段なら敬遠するが、今日は大事な試合の日だ。血液中の糖分を一時的に上げなければならない。老いつつある胃にゴハンを詰め込んだ。

電車に乗る。試合会場は新宿歌舞伎町の「バトゥール東京」だ。選手とセコンドは、午前11時に集合することになっていた。

東新宿駅で電車を降り、バトゥール東京へ向かう。セコンドをしてくれる田中誠さん、田中純さんと、バトゥール東京の前で合流した。ダブル田中ですね、と笑い合った。

受付、計量、問診

11時になり、選手受付開始。名前を伝え、バトゥール東京の中に入る。中では、リングが設営されつつあった。ここで殴り合うのだ。

バトゥール東京に設営されたHATASHIAIのリング

入った時、ちょうど私の対戦カードの投影テストが行われていた。北九州の漬物石vs闇を覗くプログラマー。良い名をもらった。

北九州の漬物石 vs 闇を覗くプログラマー

闇を覗くプログラマー。HATASHIAIの運営さんが勝手につけてくれた名前だ。私にピッタリだ。

私は確かに、プログラマーとして闇を覗いている。しかし、闇を消す力はない。

私がやっていることは、闇を覗いて、力のある人に教えているだけだ。私自身が闇を消す力を持っているわけではない。HATASHIAIの運営さんが意図したのかどうかわからないが、私がやっていることと私の限界を、端的に表している、と感じた。

バトゥール東京は、結婚式場としても使われることがあるらしい。この日の選手控室はチャペルだった。おごそかな雰囲気の場所に、荒々しい選手たちが待機していた。

チャペルで待機

名前を呼ばれた。計量と問診だ。HATASHIAIでは素人が出場するということで、安全性を強く意識している。また、感染症への配慮もかなり強くあるのだろう。問診票にはたくさんの項目があった。

私は泡沫出場者だ。変なところでルール違反をしてHATASHIAIの場を壊すようなことがあってはならない。並んだ項目を全てしっかり読み、3分ほどかけて問診票へ回答した。計量と、出場契約書へのサインも無事終えた。あとは試合を待つのみだ。

集合は11時だったが、私の試合開始は15時が予定されていた。4時間もある。手持ち無沙汰だった。

ふらりとコンビニへ行き、おにぎりとチロルチョコ、チョコバットを買った。まだ、なか卯で食べたゴハンの存在感を、腹にずっしりと感じていた。

しかし、15時までに腹が減るかもしれない。腹が減らなかったとしても、何かを食べて、血中の糖を維持したほうが良いだろう。小さくてカロリーが高いものを、と考えて、おにぎりの他にチロルチョコとチョコバットを選んだ。

チロルチョコとチョコバット

結局、おにぎりも、チロルチョコも、チョコバットも食べた。

試合

14時になり、第1試合が開始された。私の試合予定は15時だった。そろそろ着替えるか。

控室になっているチャペルからは、試合会場を見ることができない。仕方なくスマホを出し、一般の人たちと同じ、YouTubeライブで状況を把握した。

今日の試合はKOが多いようだ。試合の進みが早い。14時15分頃に、スタッフさんが私の元に駆け寄ってきた。もう出番だから早く来てくれ、という。予想外の早さだ。

選手入場口に座り、マウスピースをつける。マウスピースをつけると、モゴモゴしてうまく話せない。セコンドの二人はすぐ横にいてくれるが、意思疎通ができない。強い非日常感があった。

入場口で待つ

選手入場口から、こっそりとリングを覗く。激しい打ち合いをしていた。たぶん、どちらもそれなりの経験のある人だ。今回の私は、あんなふうに打ち合えるだろうか。

前の試合が終わり、私の試合の時が来た。

私の対戦相手の山瀬さんが先に呼ばれた。あれ、逆だぞ。私の方が先に呼ばれる段取りのはずだ。

HATASHIAIでは、選手が入場する時の入場曲は、選手側で選べるようになっている。かかっている曲は、倉橋ヨエコの「人間辞めても」だ。これは私が指定した曲だ。

カッコいい曲ではない。私は好きな曲だけれど、山瀬さんは困惑しただろう。慌ただしく、スタッフさんが山瀬さんを先に誘導する。

そのあと、私が呼ばれた。ドアを開ける。

入場

観客の人たちがこちらを見ている。階段をゆっくり下り、リングへ向かう。

階段を下る

リングに上がる時の、ロープのうまいくぐり方は未だによくわからない。どうせおっさんだからカッコ良くなりようがない、と考え、よっこらしょ、と心でつぶやきながらリングに上がった。

ロープをくぐりリングへ

リングで、対戦相手の山瀬さんと向き合う。奥の黄色シャツが山瀬さん、手前の白シャツが私だ。

山瀬さん(奥)と私(手前)

山瀬さんは、キックボクシングは未経験だが、柔道経験者らしい。コンタクト系格闘技の経験がある、ということだ。言い訳がましいが、この場に立つと、それを羨ましく感じる。私は自転車を競技としてやったことがあるだけだ。格闘技経験はない。

リング上で見た山瀬さんは、どこからどう見ても強そうだった。

ゴングが鳴る。私はタイミングをはかりながら殴りかかった。どこか、現実感がない。たぶん、気迫で負けているのだ。

打ち合い

山瀬さんと私は、パンチの数が全く違った。たぶん、パンチの数は気迫に比例する。私は、当たりそうなところが見えたらパンチを出していた。それではダメなのだ。ド素人なんだから、がむしゃらに攻めろ。

山瀬さんのパンチが私を捉える

私が狙いすましたはずのパンチは、おそらく、山瀬さんに一度も当たらなかった。どうしてかわからないが、当たらない。物理的に当たっていても、手応えがない。たぶんうまく、はたき落とされていたんだろう。

それなら、と思いキックを出した。手も足も出さなければならないキックボクシングは、かなり激しく頭を使う。リングの上は、NHKの生放送よりも頭を使う場所だった。

無理矢理出したキックが、2、3回くらい、山瀬さんに当たった気がする。しかし、山瀬さんがダメージを受けている様子はない。しっかりとカウンターパンチが出てきて、私を捉えた。

キックを出すとカウンターパンチが飛んでくる

これではどうにもならない。ダメモトで行くしかない、と考え、距離を詰めた。山瀬さんはそれを見逃さなかった。

山瀬さんの重いパンチが私の顔を捉えた。少しゆっくりとしたテンポで、ドン、ドン、ドンと3発。

3発のうちの1発

私は一瞬、身体から力が抜けた。すぐ殴り返さなければ、と思って視線を戻すと、そこにはレフェリーがいた。TKOの判断が下ったのだ。

なんでだよ。まだできるよ。私は倒れていないじゃないか。そう怒鳴りたかったが、マウスピースとヘッドギアが邪魔して声を出せない。

とにかく試合は止まった。少し距離を取ろう、と考えて足を動かすと、明らかにグラっとふらついた。

ああ、ダメージ受けてたんだ。身体に痛みは全くなかったが、山瀬さんのパンチは何度も私の顔を捉えていた。私の脳味噌はさんざん強く揺らされて、悲鳴をあげているようだった。

すぐに納得できたわけではないが、レフェリーに促され、リングを降りた。

なんてしょっぱい負け方だろうか。大して打ち合いもせず、最後は倒れもせず、スタンディングダウンでTKO。私が観客なら、つまらない試合だ、と言うだろう。

後ろでは、山瀬さんが勝利インタビューに答えていた。うらやましい。心底、うらやましい。聞きたいけど聞きたくない。少しのふらつきを感じながら、選手控室であるチャペルへ歩いた。

歩きながら、山瀬さんから繰り出された最後のパンチを思い浮かべた。そのパンチが、お前はナメてる、と私に怒鳴っているように感じた。

私は、仕事を選び、ライブを選び、取材対応を選び、教え子と話す楽しみを選んだ。HATASHIAIを優先しなかった。ナメていた。負けるのは当然だ。

田端さん参戦

HATASHIAIは全試合滞りなく終わった。最後に箕輪厚介さんと堀江貴文さんのトークショーがあった。箕輪さんは、今回のHATASHIAIのメインイベントに選手として出場し、「マネーの虎」の南原さんを6秒でTKOしていた。

この場に、田端さんも来ていた。箕輪さんを見に来たのだろうか。

トークショーの途中で、箕輪さんは田端さんに話を振った。田端さんはそれに応じトークショーのリングに乱入して、箕輪さんと、じゃれ合った。そして、HATASHIAIに出る、と宣言した。

田端さんの心の内は、もちろん私にはわからない。けれども、もし私の出場が田端さんの決断に少しでも影響を与えていたなら、嬉しく思う。

私の姿を見て「俺も出たい」と言った人は、他にも何人かいた。自分の行動が誰かを動かした、という経験は幸せなものだ。私はHATASHIAIをナメていたけれど、出た意味はあったのかもしれない。

限られたチカラと「カラオケ」

私は44歳だ。これからは、老いていく。

気力も、たぶん失われつつあるのだろう。実際に私は、HATASHIAIをナメていた。

私はますます、弱く小さくなっていく。

私の限られたチカラを最優先で注ぐ先は、違法広告の調査だ。調査をすることで、それらを叩き潰したい。

叩き潰したいけれど、叩き潰せないから、憂さ晴らしにHATASHIAIへ出場している。

HATASHIAIは「格闘技のカラオケ」だから、そういう私を受け入れてくれる余地を持ち続けてくれるだろうと思う。

おそらく私にとって、HATASHIAIはカラオケであり続けるだろう。

せめて全力で打ち合え

でも、もちろん、出るからには勝ちたい。もう二度と、こんなナメた出場はしない。しょっぱい試合にだけはしない。自分なりの全力を尽くす。

次があったとすれば、その時の私は、今よりも老いているだろう。それでも、パンチを全力で振り回したい。狡猾に戦って勝ったとしても、その勝利は無価値だ。真正面から全力で戦うことにこそ意味があるのだ。

ヘタクソなド素人なんだから、せめて全力で打ち合え。これは、これから老いていく私自身へのメッセージだ。

<終わり>

もしサポート頂けたなら、そのお金は、私が全力で生きるために使います。