息子が偏差値70を捨てて手に入れたもの

私は、まだ、偏差値の呪縛から逃れられていない。

ステーキ屋にて

「とーちゃん、今日で何歳になったんだっけか。」

息子が私に聞く。今日は、私の誕生日だ。息子は、この3月で中学校を卒業する。卒業祝いと、高校の合格祝いと、私の誕生日を兼ねて、少し良いステーキ屋に来ていた。

「42歳だよ。」

「歳とった感想は?」

そういうことを聞いてくれる関係を築けていることが、嬉しい。

「・・・うーん、まあ、もうちょっと早く、やりたいことに手を付けるべきだったな、っていうのが感想かな」

私は、副業をしているのがバレて、去年の年末に、サラリーマンとして勤めていた会社を自主退職した。会社側は、できる範囲で寛大な処置を用意してくれたが、私はそれを選択しなかった。会社という第三者から決断を迫られる形で、私はやりたいことに集中することにしたのだ。

「なんだ、豆腐が旨い、って言うのかと思ったよ。」

息子は自宅で食事をする時、豆腐が嫌いだ、と言っていた。息子がそれを言うたび私は、歳を取ると豆腐が旨くなってくるんだよ、と話した。息子は、今回もそれを言うだろうと思ったのだろう。

偏差値と幸福度

息子は、第一志望の高校に合格した。

息子の偏差値は、去年の1年間で大きく上がった。

3年生になったばかりの頃は、偏差値は60に届かないくらいだった。その頃から塾に行き始め、夏休み明けの模試では偏差値65。

受験では、滑り止めとして受けた私立高校で、偏差値70のコースに合格した。その私立高校はスライド合格制を取っていて、テストの結果が良いと上のコースの合格が出る。もっと偏差値の低いコースを狙っていたにもかかわらず、高いコースで受かった。

偏差値70の高校に合格して、私と息子は浮かれた。しかし、その高校は第一志望の高校ではなかった。息子が行きたいと言っていた高校は、偏差値65くらいの公立高校だった。

偏差値と幸福度が比例しないことは、私自身の人生の経験としても、他人の人生を見ていても、よく理解しているつもりだ。しかし、目の前に数字が示されると、簡単に思考を奪われる。偏差値70だぞ、すごいことじゃないか、という考えが脳を覆い尽くす。

しかし、偏差値と幸福度は比例しない。

偏差値が高いと、極端な不幸になる確率は低くなる。偏差値が高い学校を出れば、高い給料を出してくれる企業に就職できる可能性は高くなるからだ。お金は、不幸の回避には非常に役に立つ。だから、その意味では偏差値の高い高校に行くことは良いことだ。

でも、お金が幸福を生み出すかというと、そうでもないと思う。

私の幸福の源泉は、好きな仕事を持っているということだ。

私は副業をしていた。その副業は赤字だ。けれど、絶対にやり遂げたいと感じている仕事だった。それをやることができている。だから、幸福だ。

この副業は、偏差値では手に入らないものだ。だから、私の幸福は、偏差値に起因するものではない。

偏差値と幸福度は比例しない。私は、その実感を持っているはずなのに、息子が高い偏差値の高校に受かったことを喜んでいる。馬鹿だなと思う。

最終的に息子は、滑り止めの偏差値70の高校ではなく、第一志望の偏差値65の高校を選んだ。

従順になるということ

受験勉強は、メリットとデメリットがセットになっている。

受験勉強をすると、論理的思考力が付き、知識が増える。また、偏差値の高い学校に行くことができ、給料の高い会社に入れる可能性が高まり、不幸を回避しやすくなる。

一方、受験勉強のデメリットは、従順な性格になることだ。受験勉強をするということは、学校の先生の指示に従い、塾の先生の指示に従い、親の指示に従うということだ。受験勉強のメリットを享受するたびに、人間は従順になっていく。

私は、これらのメリットとデメリットを目一杯詰め込まれた人間だ。

自分なりに目一杯勉強し、知識はついたと思う。良い給料を出してくれる企業に勤めることもできた。

しかし、従順な性格になった。自分はつまらない人間になってしまった、と考えることが多かった。

息子には、受験勉強のメリットだけを享受してほしいと願っていた。だから、なるべく指示をせず、選択肢を提示するだけにとどめようと心がけていた。

今回の受験では、「この高校に行け」と言うのではなく、私が良いと思う高校をいくつか息子へ提示して、学校説明会に行き、息子に選択してもらった。

選択肢を提示すること自体、指示っぽいニュアンスを含むとも思う。しかし、何も情報提供しないことが最善とも思えなかった。これは、自分の中の妥協案だ。

提示した高校には、工業系の高校もあった。息子は、夏休みが明けるまで、その工業系の高校への進学を真剣に考えていたようだ。

偏差値の呪縛に囚われている私としては、正直なところハラハラした。その工業高校は偏差値が低い。自分でその高校を提示しておきながら、本当にそこで良いのか、と、悶々としていた。息子にはその様子を見せなかったつもりだが、息子に私の姿がどう映っていたかはわからない。

妻のこと

妻は、偏差値がとても低い高校を出て就職した。偏差値40に満たないくらいの商業高校だ。

妻は、就職で東京に出てきて、結婚して娘を産み、離婚して、実家のある岩手に戻り、そこへ住んでいた。

妻と出会った当時、私は東北大学大学院に在籍し、仙台に住んでいた。

妻と会い、私は静かに驚いた。妻が幸福そうだったからだ。

自分で言うのもなんだが、私は高い偏差値の大学に入学し、大学院にまで進んだ。偏差値の世界としては成功した部類だと言えるだろう。

しかし私は、前述の通り、自分をつまらない人間だと感じていた。毎日を、陰気に過ごしていた。

妻は、偏差値の低い高校を出て、給料の安い仕事をして、離婚した元旦那から養育費も支払ってもらえていなかった。状況だけを見れば、不幸なのではないかと想像するのが普通だろう。

それでも妻は、たくさんの笑顔を見せてくれる人だった。本当に幸福に生活しているのだろうということが、私の感覚としては明白に理解できた。

妻と一緒に住んでいた娘も、底抜けに無邪気で明るい性格だった。妻の人格がそうさせたのだろう。

この人は、幸福の作り方を知っている。自分の価値観が確立している。私は妻に対して、そういう尊敬を強く持った。妻も私に好意を持ってくれた。だから、結婚した。娘も、妻と私の娘となった。

結婚後、日々の妻と娘の振る舞いを見て、私は大いに学んだ。自由に生きるとはどういうことか。自分の価値観で生きるということはどういうことか。私の生き方は変わっていった。私は少しづつ、従順さを消していくことができた。

妻と娘は、私の手本となってくれた。息子も、妻と娘から、自由に楽しく生きる生き方を大いに学んだのだろう。

昨日のこと

息子は進研ゼミを気に入っている。進研ゼミの高校講座では、コースが難易度別に3つに分かれる。それを選択するために、息子と少し話をした。

Wikipediaの偏差値のページを見て話をする。偏差値70なら、だいたい上から2.3%に入っている。偏差値65なら、だいたい上から10%くらいの位置。

大学受験の偏差値についても話す。大学受験は母集団がそもそも違うという話。それぞれの大学の偏差値。入学を決めた高校の大学進学実績の話。

入学を決めた高校は、ここ3年ほどは東大合格者が全く居なかった。冷たい現実も伝えたほうが良いだろう。

「現時点で、お前は東大に行ける可能性はほぼないってことになる。」

「ああ、そうなの。」

「偏差値70のとこだったら、毎年2、3人は合格者がいるから、多少は可能性があったけど。」

「うん。」

「いまさら聞くのもなんだけど、お前は東大に行きたいって思ってないだろ?」

「まあ、そうだね。」

息子も、自分の価値観が確立している。だから、大学の名前に左右されることがない。

息子が偏差値70を捨てて手に入れたものは、自分の価値観で生きるという決意なのだと思う。

決意、と書いたが、たぶん息子の心の中では、この選択は強い意思を伴うものではない。おそらく息子は、ほとんど苦もなく、この選択したのだ。息子は、既に強く成長していた。

「そんなら、普通に勉強して、行きたいと思った大学が出てきたらそん時考えるか。」

「そんな感じだね。バイトはしていいんでしょ?」

息子は、アルバイトをしてみたい、と強く思っているようだった。私も、さまざまな職種を早いうちから経験してほしいと考えていた。

「もちろん。もし学校がダメだって言っても、とーちゃんは許可する。」

「わかった。」

話を戻す。

「進研ゼミは、真ん中のコースでいいか?一番上のコースは東大用だろうから。」

「うん、それでお願い。」

息子は飄々と答えた。大学名に左右されないにもかかわらず、勉強をしたいと考えているということは、本当に勉強が好きなのだろう。

「受験の時期に、面倒かけちゃってすまんかったな。」

私が退職することを息子に伝えたのは、息子の受験勉強の佳境、去年の12月だった。息子には不安を与えただろう。私は息子に負い目があった。

「しょうがないっしょ。とーちゃん、やりたいことあるんならやったほうがいいよ。」

息子は私に、自分の価値観で生きろと言ってくれたのだと思う。

お前も楽しく生きろ

私には、まだまだ偏差値の呪縛が残っている。それでも、息子の進路は息子にとって納得感のある選択になったようだ。息子自身の人格と、妻と娘のおかげだ。

私はもう42歳だ。これからこの呪縛を完全にかき消すのは不可能だろう。くだらない価値観が染み付いてしまったものだ、と、深く残念に思う。

偏差値に囚われているということは、他人の価値観に囚われているということだ。未だに私は自分の価値観を確立できていない。この歳になっても、まだ未熟だ。

幸い、息子は自分で選択する知恵と度胸を持つ子に育っているように見える。今回の高校受験も、その選択をする良い訓練になった。息子は、私がどうあろうとも、自分の選択をしてくれるだろう。

よくここまで育ってくれた。息子自身にも感謝しているし、妻と娘にも感謝している。

息子が巣立ちつつあることを寂しく思う気持ちもある。しかし、当然ながら息子には息子の人生がある。私の都合を、息子に押し付けてはならない。

息子よ。お前は、もう私を超えている。自由に楽しく生きろ。

もしサポート頂けたなら、そのお金は、私が全力で生きるために使います。