#はあちゅうサロン を辞めて一ヶ月が経ちました

現在、2018年12月9日21時52分。いま、長大なバッチ処理を動かしている。データベースのチューニングに失敗していて、処理が遅い。この処理は一週間かけても終わらなかった場合、強制終了するように仕掛けてある。その一週間後が、あと1時間12分後に来る。たぶん、もういちど、やりなおしだ。

今年は、このプログラムを書き続けた一年だった。

ひとりでプログラムを書き続けるというのは、自由で楽しいけれど、困難もある。特に、技術的な壁にぶつかると、その解決に時間がかかる。私は今年の2月末に壁にぶつかり、一ヶ月ほどの時間を浪費した。

技術的な壁、といっても、高度なことをやっているわけではない。ググるべき言葉を知っていれば、5分で解決できたはずの壁だった。高くないように見える壁を、長い間、乗り越えられずにいた。辛くて心がポキリと折れた。

弱いまま戦うということ

プログラムを書くのが嫌になった私は、しばらく気を抜くことにした。のんびりと、別の仕事をした。

気を抜いて仕事をする、と決めたので、twitterを覗く頻度が多くなった。そして、はあちゅう氏のこのツイートを見つけた。

弱いまま戦う、というフレーズ。これが私の心に響いた。

私も、弱いまま戦っている人だ。プログラマーとして三流のスキルのまま、自分のシステムを事業として立ち上げ、副業として商売をしている。

戦う、なんてカッコ良い言葉を使うのはおこがましいとも思う。しかし、自分なりに、できる範囲で、自分の世界観として持っている「あるべき世の中」を目指して商売をしている。自分なりに戦っている。

弱いまま戦う、というフレーズは、私に勇気の種を植え付けた。足らないスキルを認めて、それでも戦う。それが進むべき道のように思えた。

折れた心は、まだ折れたままだった。進むべき道は見えた。しかしまだ、もう一度歩き出す力は湧き出ていなかった。

#はあちゅうサロン の募集開始

3月になって、はあちゅう氏がサロンを始める、と知った。campfireの募集ページを見ると、「パトロンになる」という言葉が書かれていた。

私は彼女から上記のフレーズを通して、強く勇気付けられた。だから、何かを返したいと感じていた。しかし、返すといっても、彼女は有名人で、私は無名な人だ。恩を返す手段はないだろうと感じていた。

そう考えているところへ、この「パトロンになる」という言葉が目に飛び込んできた。「パトロン」になるということは、恩を返すことになるのではないだろうか。そう考えて、サロンに入会した。

私に大きな影響を与えた人たち

私は、41歳のおっさんだ。はあちゅう氏は、いま、30歳くらいだろうか。若い女性が主宰するサロンだ。私は、入会を想定された層の人間ではないと思う。しかし、サロンメンバーは柔軟性があった。排他的でもなく、年長者を敬うというような価値観でもなく、友人として対等に付き合ってくれた。

サロンに入会したのはいいけれど、そもそも私が入会した目的は、はあちゅう氏のパトロンになることだった。だから、「パトロンになる」のボタンを押した時点で、私の目的は達成したことになる。

しかしおそらく、このサロンには、面白い人や、すごい人や、わけがわからない人が集まってくるだろうと感じていた。だから、いくつかのイベントに参加した。

そして、出会った人たちが、私の折れた心をゆるやかに修復してくれた。

私に大きな影響を与えた人たちを、ここに記しておく。

ひろえさん

まず、ひろえさんだ。この人は、サロンの中で、私に最も大きな影響を与えた人だ。

ひろえさんは、うんこを編んで生計を立てる女だ。

彼女が淡々とうんこ帽子を編み、さまざまな場所に提供し続ける姿を見て、私は勇気付けられた。うんこ帽子なんて、普通に考えれば、どのような価値がつくのかわからない。それにもかかわらず、彼女はそれを作り続けている。そして、彼女は実際に、さまざまな人を楽しませていた。

価値がつくのかわからないものを作る。私が作っているプログラムも、価値がつくのかわからないものだった。しかし、彼女のうんこ帽子と比べれば、私のプログラムは価値がつく確実性が高いように感じた。弱気になっている自分が恥ずかしく思えた。

彼女は、価値がつくのかわからないものを作る気力を、私に与えてくれた。

才さん

才さんは、図解のプロだ。マルシェで「図解カフェ」を開催した。

彼は、とても若い人だ。大学院生だ、と言っていたと思う。

私は、彼の図解カフェに聴講者として参加した。彼の指導は洗練されていて、予想外に心地良かった。

#はあちゅうサロン では、サロンの方針として「才能の発掘」を掲げている。それは裏を返せば、現時点では完成度が低い才能だという意味でもあると考えていた。

しかし、彼の指導は、既に高いレベルに達しているように感じた。実際、私は何も気を使うことなく、心地よく彼の指導を受けた。図解のスキルも、講師としての立ち振る舞いも、完璧であるように思えた。

才さんと私は、この図解カフェ以外では、ほとんど絡むことがなかった。しかし、彼は私に鮮烈な印象を与えた。この完成度の講義を、この歳でできるものなのか。驚くと同時に、才能に嫉妬した。41歳にもなってウジウジと迷っている自分は間抜けだと感じた。

彼の活躍は、41歳の私を奮起させてくれた。

すみえってぃ先生

すみえってぃ先生。彼女も若い人だ。

彼女とは、サロン内の仕事を一緒に行った。サロンメンバーの一覧をウェブサイトへ構築するというプロジェクトだ。彼女は、そのリーダーだった。私はプログラマーとして参画した。

彼女は20代の女性、私は40代の男性だ。普通の会社組織なら、たぶんお互いの役割は逆だっただろう。自分のやりたい役割をやることができるのが、サロンの良いところだ。

彼女のリーダーとしての振る舞いは完璧だった。プロジェクトは、辛い場面もある。オンラインサロンという性格上、みんな、サロン内で発生する作業に義務があるわけではない。嫌であれば、みんないつでも抜けることができる。構造としては脆弱な組織だ。

彼女は、プロジェクトが意気消沈した雰囲気になると、slackに動画を上げてみんなを鼓舞した。完成まで頑張りましょう、と、笑顔で語った。

彼女は、ストロングスタイルのリーダーではない。このウェブサイトが完成し、サロンの定例会でお披露目したあと、私の目の前で彼女は泣いた。不安だったのだろう。メンバーである私から見ても、プロジェクト進行中に、彼女は疲れているな、と感じる場面が何度もあった。

しかし、私はこのプロジェクトから離れたいと感じることはなかった。彼女の本気を感じたからだと思う。

彼女は、彼女の本気を背中で語る。あれこれと指示するタイプの人ではない。彼女の語り口は柔らかい。しかし、心臓をナイフで突き刺すような本気を、はっきりと感じた。

本気を出すというのは、気持ちひとつの問題だけれど、簡単なことではない。

もし、既に誰かが本気を出していることがわかっているなら、こちらも本気を出しやすい。でも、仕事の最初に、まだ何もわからない状態で自分が本気を出すというのは、勇気が要ることだ。

彼女は、その「最初の一歩の本気」を出す勇気のある人だ。

どこかの偉い人が、「次世代のリーダーは弱みを見せる」と言っていたのを思い出す。彼女はそれにピッタリと当てはまる人のように、私は感じた。彼女は、本気を見せ、弱みも見せる。それを見たメンバーは彼女を信頼し、協力していく。

彼女はこのプロジェクトの他にも、さまざまなイベントリーダーをこなし、成功させていた。たくさんのメンバーが彼女に魅了され、それぞれの本気を引き出されているのだと思う。

私は、自分のマネジメントスキルに劣等感があった。41歳にもなって、一介のプログラマーでいることは恥ずかしいことだ、という考えがあった。

しかし、彼女の圧倒的なリーダーとしてのスキルを見て、考えが変わった。40代になると、自分が死ぬまでに何ができるか、という観点で仕事を見るようになる。残された時間は有限だ。すべての方面のスキルで100点を取ることは不可能だ。

私は、自分のマネジメントスキルを追求することをやめた。そういう仕事は、彼女のような人に任せれば良い。

彼女は私に、人生の選択の材料を与えてくれた。

これから

上記3人と、それ以外のたくさんの人にも助けられ、私の心の修復は完了したと感じた。11月頭に、私はサロンを抜けた。自分の事業としてのプログラムを作り続ける。当面は、そこにフルコミットする。

さまざまな人が、さまざまな方向で活躍していく。私も、「この人は、実は #はあちゅうサロン のメンバーだったんだよ」と言ってもらえるような、良い仕事をしよう。

もしサポート頂けたなら、そのお金は、私が全力で生きるために使います。