旅に意味はない。沈没とポジトークの話

旅人になるのは簡単だ。じゃらんで航空券をポチればいい。

旅と沈没

最近、BackpackFESTA2019というイベントが開催された。それに関してネガティブな反応がツイッターで見受けられた。旅に行ったくらいで調子に乗るな、宗教のようで気持ち悪い、というような反応が多いようだ。

私は20年前の大学時代、旅行サークルに所属していた。みんな自由に旅行をし、それぞれの旅行談義を楽しんだ。

私も、たくさんの旅行をした。お金がなかったので、田舎の駅の軒下で野宿することが多かった。大学時代の野宿回数を数えると、300回を超えていた。このエピソードは就職活動の面接でウケが良く、いくつかの企業から内定を頂いた。

就職してからも、状況が許せば旅行に出た。2008年に転職したとき、有給休暇の消化期間に、北海道の紋別から稚内まで、オホーツク海岸を1週間ほどかけて歩いた。

北海道には、「とほ宿」という、バックパッカー向けの格安の宿が点在している。稚内には「みどり湯」という有名な宿があった。

とほ宿の中には、夜に宴会をするのが恒例になっているところもある。このみどり湯さんも、そういう宿だった。稚内まで歩き切った私は、みどり湯さんにお世話になり、その宴会へ参加した。

そこに、沈没している人がいた。

沈没とは、旅行に行ったまま家へ帰らず、いつまでも旅行し続けるということを指す。私の学生時代、旅人業界でよく使われていた言葉だ。

稚内の近くには利尻島と礼文島という2つの島があり、フェリーで渡ることができる。沈没さんは、焼酎の水割りを飲みながら、それらの島の細かな魅力を、機械のように語り続けた。

沈没さんは、1年ほど、稚内市街と2つの島を行ったり来たりして、ここに居続けているらしかった。

沈没さんは、島の魅力を語り、俺はそこへ行ったからすごい、そこに行かないやつはバカだ、と主張した。旅をしていれば、沈没さんは、この自慢話をし続けることができる。

自慢話をしている沈没さんは、幸せそうには見えなかった。

私の沈没

旅人という肩書きしか持っていない人は、その肩書にしがみつく。

私も実体験として、その経験があった。

大学時代、旅行サークルに所属していたとき、私は自転車で日本縦断をした。10月になって大学の講義が始まると、講義の合間の休み時間に、私は級友に自慢した。自転車で日本縦断したんだぜ、と。

最初は、級友たちは私の話を面白がって聞いてくれた。しかし、だんだんと反応が鈍くなった。私がその話ばかりをしていたからだ。

自転車で日本縦断をした、というのは、まあまあすごいことだと思う。普通の人は、やらないことだ。しかし、その程度のすごいことをしている人は、たくさんいる。

なにより、同じ話を聞かされる方はたまったものではない。退屈だろう。

私は、なぜその話ばかりをするようになってしまったのか。それは、肩書きにしがみついていたからだ。旅人という、初めて自分が得た肩書き。それが嬉しくて、その価値を最大化したいあまりに、そういう言動をするようになったのだと思う。

私は、物理的には沈没しなかったけれど、精神的には沈没していた。

今の言葉でいうと、私の言う「肩書き」は、「何者かになる」というような言い回しになるだろうか。私は、「自転車で日本縦断した旅人」になれた。その意味では、何者かになれた。しかし、沈没した。

私の沈没期間は、二週間ほどで終わった。幸いにも、軽症で済んだと言えるかもしれない。

旅人のポジトーク

旅に行って人生が変わった、と語る人もいる。しかし、それが本当なのかどうかは、外部の人からは検証不能だ。

旅に行った人は、自分がした旅の価値を高く見せたくて「旅で人生が変わった」と言うことがある。私も沈没していた期間は、そういうニュアンスのことを言ったと思う。実際には変わったかどうかわからないのに、変わったと言った。

これは、ポジトークだ。

ポジトークとは、「ポジショントーク」という言葉の略語だ。自分の持っているモノはすごく価値がある、という意味の発言をすることを指す。

旅をすると、旅人は、旅人であるという自分の属性の価値を高く見せたくなる。その誘惑に負けると、そのようなことを言ってしまう。

人の心は弱い。話を盛りたくなる。「人生が変わったと感じた」というのは旅人自身の主観の話でもある。だから、いくらでも嘘をつくことができる。

もちろん、旅をして得られるものもたくさんある。でもその多くは、珍しいものを見て興奮した、というような刹那的な快楽であるように思う。自分の中に何かが残ることは多くない。もちろん人によるだろうが、私の経験としてはそうだ。

旅は楽しい。その点で価値はある。しかし、旅に行ったら何者かになれるかというと、なれない。何者かになりたいのなら、旅に行くより、本を一冊読んで知識をつけたほうが効率的だ。

人生を変えるのが目的なら、旅を選択するべきではない。旅の価値は、過剰評価されている。

それでも旅に行くべき理由

それでも私は、一度は旅に行くべきだ、とは思う。

旅に大きな意味はない。しかし、誰しもみんな人生のショートカットを求める。「旅に行ったら自分の人生が大きく変わるのではないか」と考えるのは自然なことだ。そう考え始めたら、実際に旅に行くべきだ。

実際に旅に行き、帰ってきたあと、旅で何を得たかを考える。その時、ポジトークしたくなる誘惑に負けず、人生が変わらなかったということを認める。その体験をすると、手軽に手に入る肩書きに意味はないことを、身をもって知ることができる。

そうすれば、自分が本当にやりたいことはなんなのかを、考える勇気が出るだろう。

ハズレをひとつ確認する

ほとんどの人にとって、旅は快楽に過ぎない。何者かになるための手段にはならない。

旅に大きな意味はない。それでも行きたいのなら、今すぐ行くべきだ。そして帰ってきたら、旅に行く前と何も変わっていない自分を確認し、落胆するとよい。その後であれば、納得感を持って別の道を探すことができると思う。

何者かになるために効果的に見える選択肢が、目の前にたくさんあるだろう。その中のひとつがハズレだったことを確認するのは、意味のあることだ。

ひとつの属性にとらわれず、たくさんの選択肢を試し、確認し続けて生きていく。それが、たぶん正しい道だ。旅に沈没する人生は、おそらく幸せではない。

ポジトークの誘惑に負けず、自分が本当に求めているものを考えよう。

もしサポート頂けたなら、そのお金は、私が全力で生きるために使います。