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愛宕さんで火迺要慎

定期的に故郷の京都には戻っているのですが、その月毎に毎年恒例にしていることがあります。2月に恒例にしているのは、愛宕さんこと愛宕神社に詣って、火迺要慎のお札を古いものは納め、新しいものを頂くこと。京都の人々は愛宕神社、および愛宕山のことを親しみを込めて「愛宕さん」と呼んでいます。
愛宕山の山頂にある鎮座する愛宕さんは火伏に霊験あらたかな神とされており、火迺要慎のお札はその言葉通り、火元に注意しましょうねと戒める、つまり注意喚起のお札です。

阿多古祀符(あたごしふ) 
火迺要慎(ひのようじん)

京都では、火を扱う台所に貼られていることが多いお札です。本気でこのお札で火事が防げると思っているわけではもちろん無く(ごめんなさい)、火を扱う人間が用心しなければ意味がない。そうでは無く、この字体なども含めて見た目と京都感(?)が好きで、京都人たる我が家の台所にも貼っています。
愛宕では無く、阿多古と記されているのは、万葉仮名であるためとか。

それで何故二月かと言いますと、それは単に私が雪と雪化粧した参道や山々の姿が好きだから。完全に個人の趣味嗜好。

数年前の同じく二月に本気を出した(?)愛宕さんの参道
綺麗でしょう?
違う年の二月の参道にある黒門

愛宕詣りと言えば、公式には夏に千日詣と言う行事があって、七月三十一日夜から八月一日早朝の間に詣ると千日詣ったのと同じご利益があると言う、ポイント⚪︎倍キャンペーンの走りのようなお得な(?)日が設定されています。暑い京都で夜とはいえ苦労してお詣りすることによる苦行的な要素があるのだと思います。
ちなみに私はこの日に詣ったことは無い。。

尚、愛宕さんは三歳までに詣ると一生火事に遭わないと言う都市伝説、いや、民間伝承もあります。
ちなみに私はと言うと、多分、三歳までには登っていません。

その他、「伊勢に七旅熊野に三度、愛宕様へは月参り」という江戸時代の言葉にも愛宕さんは登場します。ただこちらの愛宕様は、総本社である京都の愛宕さんではなく、徳川家康が勧請した江戸、現代の東京港区にある愛宕神社のようではあります。

話が随分脱線しましたが、二月の愛宕さんへは雪化粧をいつも期待して詣っています。ところが、今回二月十七日に登った際は、タイトル写真や下の写真の通り雪のかけらすら見当たらず。。意気消沈とまでは行かぬまでも残念な参拝となりました。

これも地球温暖化、暖冬のせいでしょうか。来年は吹雪の参道を期待したいと思います。

この愛宕山ですが、明智光秀が本能寺の焼き討ちを行う四日前に、こちらで開催された連歌の会に参加し、
「ときは今 雨が下知る 五月かな」
と詠んだことで有名です。
尚、その時は愛宕神社では無く白雲寺。明治の神仏分離令までは神仏集合。神仏分離令の際に白雲寺が廃寺となり、それ以降、愛宕神社となっています。上の写真の黒門などは、いかにもお寺の山門のようでしょう?
現在の八坂神社、明治までの祇園社の本殿も、延暦寺支配だっただけに他の神社と異なる建築様式で面白いです。「祇園」という言葉が、元々が祇園精舎に由来する仏教用語ですしね。
神仏分離令や廃仏毀釈など、極端に走った行動は国の恥だと思っているのですが、その話は長くなってしまうので別の機会に。

愛宕さんは元々の縁起から修験の開祖である役小角さんが関わってらっしゃると伝承されていますし、明治まであった白雲寺は、近くの神護寺の開創者でもある和気清麻呂さんの建立と伝えられています。後から本地垂迹などで寺院化されたものではなく、元々の起こりから神仏習合であったようです。この辺りの、当時の人々の信仰心や考え方、時代の空気などに思いを馳せると面白いです。

あちらこちらに話がまとまりなく発散してしまいましたが、要は雪化粧が私は好きと言うお話でした。最後まで忍耐強くお付き合いいただき有難うございました。


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