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木々は誰が為に紅くなるか

木々は誰が為に紅くなるのか。
noteの記述は名樹散椿と前後しますが、三連休の初日に奥多摩の山で紅葉狩りをした余韻に浸りながら、そんなことを考えました。
元も子もありませんが、それは春に花が開くのと同様に、人のためでは無いでしょう。環境に適さない種が淘汰されて残った種が寒くなると葉を赤くする。
科学的には緑に見えるクロロフィルが分解される一方、赤く見えるアントシアニンが生成されるからと明らかになっているようです。

しかし自らが生きる為のメカニズムとして紅くなるのだとしても、なぜその年々の気候や標高、生える地形などで紅くなったりならなかったりするのか。
歩いている時はただただその美しさに魅入っていたものの、余韻に浸りつつ撮った写真を眺めて振り返る内、頭に理が勝ってくるとついついそのようなことを考えます。

帰路に夕暮れのハウチワカエデ

上の写真は日当たりの良い南面の標高1,300m付近。まだ色づき始めたばかりの木々の中にあって、このハウチワカエデだけは見事な紅に染まっていました。写真は帰路の夕暮れ時ですが、往路にタイトル写真の同じハウチワカエデの紅を見た時の感激は思わず声が出てしまうほどのもの。と言いますのも、今年は猛暑が長く続いて、たとえば紅葉の名所と言われる栗駒山なども、美しいとはいえ、山肌を一面に染める色が、いつもの紅ではなく淡い朱。訪れられた皆さんの登山レポートを見て、移動に時間も要するので、訪問の予定を来年以降に先延ばしにしました。
今年はいずれの紅葉も色づきが今ひとつなのだろうと、半ば諦めていました。そんなことを思いながらも、近場とはいえそれでも山に登るのは、赤ではなく朱や黄色でも美しく、何よりこの季節は歩いているだけで心地が良いからなのですけれどね。
そんな諦めの中で、しかも目的地にまだ到達するかなり前の、歩き始めてさほど時間が経っていない場所でこの紅に出会った喜びは一入。

ただ、このハウチワカエデの近く、オオモミジとハウチワカエデが隣り合わせに並んでいたのですが、オオモミジは黄色いままで、紅葉していなかった。

私の勝手なイメージでは、ハウチワカエデがどちらかと言うと優しい淡い朱、オオモミジは鮮やかなイロハモミジの紅よりもやや濃い赤に染まると言うもの。それが日当たりや標高などの条件が同じような場所で、種によって色づきが逆転している。私のイメージがそもそも間違っているのかもしれませんけれどね。

色づき始めた同じハウチワカエデの一木を見ていると、太陽の光をよりよく浴びるところから朱に染まり始めているようでした。

また、同じ葉の中でも斑らに徐々に染まり始めている。これはアントシアニンの生成の仕方の違いなのでしょうか。今まさに絶賛生産中といったところ?

一方、あまり紅くならずに薄い朱のままで落葉を迎える一木もある。

種の異なる木々が、色づきを競い饗宴をしているかのような陽当たりの良い標高1,500m付近の尾根。

そこから少し進んで光の入りずらい谷筋ではこのように青々とした木々の世界。

歩き始めの標高が620m。歩いた中での最高標高は2,077m。
間に尾根あるきあり、谷筋のトラバースあり、南面もあれば北面もある、変化に富んだ地形、何より豊かな森を歩けたおかげで、違いが楽しめたのかもしれません。加えて、山を歩いていると、山を選べば、数ヶ月の季節感を選ぶこともできます。

紅葉黄葉のメカニズムは摩訶不思議で奥深い。
散々と問いを立てて結局は分からず魅力的というオチの無いオチ。。

山にいる時は、あまり考えずに、自然が懸命に表してくれる美しさをあるがままに感じて楽しめば良いのですけれどね。その自然を後世に残すことは考えつつ。

この奥多摩の山域ではハウチワカエデの紅葉に一際心惹かれる私ですが、優しいブナ林の黄葉ももちろん好きです。

自然は時に厳しさも見せますが、本当に偉大で美しいですね。
古人がそこに神の姿を見出したのも分かります。

徐々に紅葉は下界に近づきます。今少しこの華やかな季節を楽しもう。
その先には峻厳で美しい雪山の季節が待っている。

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