日記を書くということ

「日記を書く」という行為にあまり縁がない。さぁ、と手帳の前やパソコンの前で構えても、頭から湧き上がる言葉はなく、一日を振り返っても毎日が「今日は何もなかった」で済ませられるほどの平凡な日々。何もない日々こそが宝というポジティブ思考も持ち合わせらおらず、三日坊主ならぬ、だいたい一日たらずで飽きてしまう。日記が続かない。さりとて「日記をつけろ」という強制力もないので、つまり僕の人生に日記なんて必要ないのだ。必要ないものに無理に取り組む必要もないではないか。

そんな自分でも、書かずにはおられない、という時がある。こういう場合は、もう必要に駆られて書く。書かなきゃダメになってしまいそうだから書く。自分を救済するために書く。日記を書くことが、かなり実益をともなかった行為となる。

どんな場合かというと、一言で表すと「ヤバいとき」だ。平穏ではない日常、切羽詰まった状況、沈没しつつある精神と肉体、追い詰められている時に、何かを吐き出すように文章を書き殴ることがある。例えば、僕は20代前半のとある半年間、無職生活を送っていたことがあった。あの時はコンビニで買ってきた無印良品のノートに様々な想いを日々綴っていた。無職であることへの焦燥感や、当時好きだった女の子へのドロドロぐちゃぐちゃとした感情。心の中で行き場をなくした気持ちを排泄する。そういったイメージ。おそらく、あの当時のノートは既に失われているが、ページいっぱいにボールペンでぎっしりと文字を書き連ねた、ちょっと恐ろしいくらいの光景は記憶に残っている。時間も無限にあったので、別のノートで石川啄木に影響された下手くそな短歌も作っていた。ああ、あのいかれた創作衝動の塊は今いずこに。

社会人になってからも、なんとなく思いついた時にパソコンでメモのような日記をつけている。切迫感のない期間は、やはりほとんど記述はない。一日単位で濃密に書き綴られている期間は、「ああ、この時きっと精神的に不安定だったんだろうなあ」と察しがつく。正直、日記を書くこと自体に楽しみを見出しているわけではないが、こうやって過去を振り返る際に、日々の記録をつけておくと大変便利でかつ面白い。意地悪な発想だが、遠い昔の自分がヒーヒー苦しがっている様子はちょっと愉快でもある。単純に客観視できるからだろう。ああ、中学や高校、大学時代にもちゃんと日記をつけていればなあ。記憶力のわるい自分は、当時の自分の思考をまったく覚えていない。まるで別人のようだとすら思っている。

ところでここ数ヶ月、数年ぶりの日記ブームが来た。ということは、プライベートで日記を書かざるを得ないほどの大事件が発生したということなのだが、もうこれは新卒一年目で不景気によりリストラされ路頭に迷ったあの時くらいの衝撃的な出来事で、ただ事実を日記に書き連ねるだけで「小説かよ!」と自分で面白がってしまうくらいの内容なのだが、そもそも僕の日記はいつも自分の中で完結して、人に見せる前提ではないので、残念ながら公開の予定はない。

思えば、件のリストラのことや、無職時に好きだった子に告白して華々しく砕け散ったあのエピソードとか、小学校の時に秘密基地ごっこが異様なブームとなって最終的に貨幣制度まで導入してしまったという、まだちゃんと文章にはしていない面白いエピソードが色々あるのだが、あのあたりも棚卸しという感じでちゃんと文章化して発表した方がいいかもなー。

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小野 和哉

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