夜行バス文学というものがあってもいい

高速バスに乗り込んできた10代らしき女の子たちの声が弾む。

「なんか修学旅行みたい」
「修学旅行だよ」

深夜0時。青春ど真ん中。高速バス、ことに夜行バスというやつは、途方もなく青臭い乗り物だ。高校生、大学生、外国人、ビジネスマン風、彼ら彼女らはみんなすべてどこか遠くに出かけようとしているわけだけれど、「夜行バス」というフィルターがかかるだけで、なんだかみんな人知れぬ事情を抱えているようなただならぬ雰囲気を帯びてくるのはなんでだろう。この夜のバスターミナルから、それぞれの目的地に向かって散り散りに出発し、そして夜が明ける頃にはその場所にたどり着いているのだ。

指定された座席に座り込む。3列シートか、4列シートか、トイレはあるか、電源は、背もたれの具合は、アメニティは、隣の乗客は......一つひとつを確認しながら、自分なりのポジションを獲得した後に、ようやくシートベルトを締める。これは「夜行バスが苦手な自分をアレヤコレヤと納得させて、腹をくくる」という一つの儀式でもある。そう、夜行バスという存在は好きなのだが、夜行バスでぐっすりと眠れた試しがないのだ。これからの6時間だか、7時間だか、あるいは10時間だかの、さまざまな格闘を思って多少ナーバスになりつつも、ええいままよとベルトでバスと己を固定してその身をまかせる、そういう儀式なのである。

車内アナウンスの後、たいていのバスは問答無用に消灯をしてしまう。旅立ちの日の夜というものは、高ぶる気持ちでなかなか寝付けないものである。そんな事情もお構いなく「それでは消灯します」と視界を闇で奪ってしまうバス会社というのはなかなか心憎い存在である。「夜更かしコース」みたいな深夜2時まで煌々と明かりが灯るバスなんてあったら売れるのではないだろうか。

いつもより早めの就寝時間を迎えるも、やはりすぐさまは眠りが訪れない。iPhoneで音楽をかけてみたり、Radikoでいつもは聴かないラジオ局にチューニングしてみたり、落語を聴いてみたり、そんなことをしながら眠気の到来を小さなシートの中で静かに待っている。高速に乗ると、カーテンの隙間から漏れてくる照明灯がなんともメロウできらびやかで、尻の痛さや眠れない苦しさもほんの少しの間、紛れてしまうのである。

目がさめる。目がさまてしまった。やっとウトウト寝入ることができたのに。車内のデジタル時計を睨む。まだ2時。まだ午前2時だ。先は長く長く長い。パーキングエリアでの休憩。少しほぐれるバスの雰囲気。外に出ると、まだまだ肌寒くて、脳みそがシャキンとする。トイレに行かなくちゃ、飲み物を買おうか、バスにちゃんと戻れるかしら。そんなことを考えながら、束の間の「休憩」を享受する。乗客の人数を確認する添乗員。そして夜行バスは再び走り始める。

夜行バスってやつがなんでドラマチックなのか。それは一瞬で景色が一変するからだろう。乗り込んだ時は夜だった。そして到着すると朝になっている。カッコつけていうなら、夜行バスは時間と空間を移動する乗り物だ。燦々と降り注ぐ日差しが眩しい。すんだ空気。まだ人々が動き出す前の、街がこれから目を覚まそうという直前のあのエアポケットのような時間に、「さあて、これから何をしてやろうか。今日という日はまだまだこれからだ。時間はたくさんあるぞ」というワクワク感。あんなに辛かったバスだけど、また乗りたいなと思っていたりしている。



この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

5

小野 和哉

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。