「走る」ことは「風呂に入ること」と似ていると気づいた瞬間、走るのが楽しくなってしまった話

 最近、久しぶりにランニングを再開したのだが、「再開」といっても以前は発作的に「痩せなければ」と衝動だけで走り出して2週間ほどポツポツ走ったらすぐ飽きるというおきまりのパターンで終わっていた。だいたい、走ることは疲れる、めんどくさい、すぐさま何かしらの効果を実感できない、というところでモチベーションを維持するのが(自分としては)難しかった。しかし、今回あらためて走ってみて新しく気づいたことがあった。

走ることは風呂に入ることと似ている

 ここ一年、二年くらい、銭湯に行くことが個人的に流行っている。幸いにして自分の住んでいる地域には周囲に4〜5軒ほど昔ながらの銭湯が元気に営業していて、まさに銭湯通にはカッコウの環境。週末は、仕事終わりに銭湯に寄って1週間の疲れを洗い流すことが日課になっているし、時には遠くまで遠征に行くことがある。熱い湯船に肩まで浸かると、最初はあぢあぢと悲鳴をあげているのだが、次第にお湯と体が馴染んできて、疲れがすうっと溶け出していくような感じがする。広い湯船でゆったりとしながら、なんだがいまの自分ならなんだってやってやれそうな、謎の全能感に包まれる。湯船に入ることも好きだが、お気に入りなのは「サウナ」。最初は暑苦しくて苦手だったが、ここ最近のサウナブームに感化されて我慢しながら利用していたら、だんだんとその魅力にハマってきた。全裸で全方位から熱せられながら、じわじわと玉の汗をかき、「う〜早く出たい」と思いつつも、後ちょっと、もうちょっとと我慢。サウナから出たら、今度はキーンと冷えた水風呂に浸かって、ほてった体を引き締める。サウナ〜水風呂の行き来を何度か繰り返した後、脱衣所で進んでいる時の爽快感は抜群である。サウナがない場所でも、熱い風呂と水風呂の交互浴で、同じような体験をしている。

 走ることもこれとけっこう似ていて、走っている時はだいたいにおいて、キツイ、つらい、早くゴールに着けとずっと思っている。歩きたい、止まりたいとなんども思いながらも、後ちょっと後ちょっとと足を前に進めていく。ある瞬間、ふと疲れを感じなくなってどこまでも走って行けそうになることもある。いわゆるランナーズハイというやつだろうか。脳内に快楽物質があふれて飛ぶように走れる気持ちいい時もあるが、次の瞬間にはまただるい、疲れた、帰りたいになってしまう。苦しんだぶん、目標の距離を走り終わった後の充実感や満足感はすごい。だらだらと肌にべとつく汗も、体の中の毒っ気を抜き出したようなイメージがして、決して不快ではない。汗をかいて、ほてった体、まるで風呂上がりのようじゃないか。ある時、そう気づいた。そうか、走ることって風呂に入ったり、サウナで汗を流すのと同じことなのかもしれない。そう考えると、途端にランニングが楽しいもののように思えてきた。

 となると、だ。走った後に銭湯に行ったら、「気持ちいい」×「気持ちいいで」、2倍の快楽を得ることができるのではないだろうか、と小学四年生くらいの単純な発想で考えた。そう思って、ランニングコースのゴールを銭湯にして走ってみた。いつもより長めの距離を走り、汗だくのまま番台に。汗だらけの服を素早く脱いで、シャワーでざっと汗を流す。キレイになったら、さっそく湯船へ。は〜、これが気持ちよくないわけがない。ドワっと疲れがとれて、そして水風呂でキーンと体を締めて......。風呂上がりのコーヒー牛乳がまたたまらない。やばい、また楽しすぎる遊びに気づいてしまった。

 こんなことを書いて、1週間後にはまた「疲れたからやめー」とランニングシューズを投げ出しているかもしれないが、ともかく物は考えようだなとあらためて思わされた。ランニングはただ痩せたい、健康になりたい、だけの行為だったら、やっぱり今回も続かなかっただろう。それが「風呂に入るのと同じじゃん」という目線で、ランニング自体が最高のレジャーに変わってしまった。見え方を変えるだけで、何気ない日常がパアッと華やぐ瞬間が僕は昔から大好きです。

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小野 和哉

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