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「気」と「身体運動」

 先日あるところでの講演後、聴衆の一人から『末期ガンと漢方』という神奈川県知事の黒岩氏の本を渡された。帰りの電車で読んでみると、おもわず引き込まれた。
 よくある民間療法の本ではないかと思ったが、そうではなく、黒岩氏のお父さんのガンとの闘病で体験されたことを具体的に書かれているので説得力があった。特に、西洋医学と漢方を併用することでガンが消失するという事例が具体的に挙げられている。
 ここで私は、医療のことを書くつもりはない。むしろ注目したのは、漢方の医師が患者の状況をいかに捉えるかである。漢方では、そのガンの部位だけを見るのではなく、人の全身の生命力や抵抗力の全体像を捉えようとする。この時に使う中心概念が「気」という概念である。漢方ではこの「気」のレベルを高めることを重視する。そして、そのための薬、食べ物、生活の工夫が体系だてて知られているのである。
 漢方の医師は、患者を診て、触って、気のレベルを知る。時に、腫瘍マーカーの数字が悪化しても、気のレベルを高めることを重視することもある。気が下がっては生きることはできないと考えるからである。
 我々は、「元気」「活気」「覇気」などの形で、「気」という文字を広く使っているので、「気」の厳密な定義はしらないものの、「元気」「活気」「覇気」の重なるところと思えば、意味はおおよそ想像できる。
 ここまで考えたところで、この「気」の概念は、私が長年研究して計測してきた身体運動の特徴と重なるところが多いことに気がついた。
 我々は、人の身体の動きをウエアラブルセンサで大量に計測してきた。過去13年に渡り、私の腕の動きはすべてコンピュータに記録されている。
 ここで明らかになったのが、「周りを幸せにする行動」には、身体運動に一貫した特徴が現れることである。
 この身体運動は、実は、言葉で表現するのが難しい。動いたり止まったりする時間が、短かったり長かったり大きくばらついている人は、周りを幸せにしていることが多い。逆に、周りをあまり幸せにしていない人は、この時間が、無意識のうちに揃ってしまい、あまり伸縮しなくなる。これは大量のデータで示されている事実である。言葉で説明しにくい無意識の動きなのである。
 漢方での「気」についての記述を読むにつれ、この言葉にできない「周りを幸せにする動き」が「気」の正体ではないかと思った。もちろん「気」自体が、定義が難しいので、これを証明するのは難しい。しかし、共通点をあげることは可能だ。
 第一に、「気」は人の内部に生じる現象ではなく、外に向かって働きかける現象である。「元気」「活気」「覇気」も周りから見え、かつ周りに影響を与える現象である。これは「周りを幸せにする身体運動」も共通である。
 第二に、この気は、周りをよい状態にするものである。この「よい状態」を「周りの幸せ」と言い換えてもよいだろう。
 そして、第三に、気にはレベルがあり、増減するものである。これも「周りを幸せにする身体運動」にレベルがあり、増減するところと共通である。
 この20年、ポジティブ心理学という学問が一大発展した。このなかで、古くから知られていることが科学的に再発見されている。例えば、禅の瞑想が「マインドフルネス」という形で脳科学を含め科学的に再発見され、米国では、企業経営や医学に大々的に取り入れられている。
 「気」は、論語や易経などの儒教の基本書や古事記などに幅広く現れる概念である。江戸時代までは学問の中核にある概念だったが、その後、忘れ去られた。今は、上記の言葉に痕跡を残すのみである。
 もし、この古典の概念が、科学的に再発見されたら、古いものの見方が大きく変わるかもしれない。東洋の伝統的な哲学や文化は、単に地域の特有の思考の習慣を超えて、科学的な普遍性を持つかもしれない。こんなことからも日本やアジアの価値を高められないかと思っている。

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