『自覚』という概念について考えたこと

自覚のジレンマ

 人は自らを自覚をすることができない。主体は自ら自覚したと認識したことに対しての主観性をとりのぞくことはできないのである。主観性とは集合であり、客観性とは空集合のことである。自覚とは自ら中にあるアジテーターとして出力された言語群をテキスト化し、本来あるべき対象と主観的に比較し、自覚という形式によって判定を下すことであり、あるいはその揺さぶりの形式そのもののことである。

 思考することに、規則や義務感を与えてはならない。思考とは日によって抑揚があってしかるべきであり、考えるときに考えればよいのである。
自覚のジレンマは人間のすべての思考を虚構へと道肉のである。これはあらゆる言論の破壊を意味する。

主体性のジレンマ 

・主体性のジレンマこそが世界の虚構性そのものであり、現実そのもの、あるいは神を支配する理論である。そう考えると、主体性のジレンマとラッセルのパラドックスはアナロジーである。

・思考することは忘却が誘拐する刹那的言語群を追いかけて捕まえることである。

・自覚のジレンマ、主体性のジレンマはこと恋愛においては人に対してとてつもない精神的病理を引き起こさせるのである。

 ・主体性のジレンマは言葉をかえれば、信念のジレンマや宗教のジレンマともいえる

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Kazuki YANAGISAWA

〚毎週土曜日更新〛大学卒業後、会計士としてBIG4で金融・資産運用業界のファイナンシャルサービスに従事。ゲンロンSF創作講座第3期生。【エッセイ】【リンク集】【ビジネス】【資産運用】【経済学】【批評】【小説】の各項目ついて毎週末更新します!たまに英語で書きます!

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