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サッカー選手である自分が、ネットで文章を書く理由

現在、僕は自分のブログを中心に、文章を書くことを行っている。

オフィシャルブログ【Special One】


サッカー選手である自分が、なぜ文章を書くのか。

理由は大きく5つ。

①読者を動かす

②自分の思考を整理する

③今の自分を記す

④人との繋がり

⑤大好きなサッカーに似ている

では、詳しく考察していこう。


①読者を動かす

自分が文章を書く一番の目的と言っていいだろう。

自分が生み出した文章を他者が読み、その人の心が動いたと仮定する。

が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。

■ヒンズー教の教え


少し大げさかもしれないが、自分の想いを乗せた文章により、他人の人生を動かすことができる可能性がある。

自分の文章を読んで、読者の方の人生に少しでもプラスになれたなら本望。


僕自身も、今までの人生で様々な文章に触れてきた。

その中で、自分の人生を大きく変えた文章にも沢山出会った。

例えば、僕が癌で入院した際、退院後に何気なく本屋で手に取り購入した、この本に書かれていた一文が、当時の自分に凄く突き刺さった。

手紙屋 〜僕の就職活動を変えた十通の手紙〜(喜多川 泰)


「あなたの能力は、
 今日のあなたの行動によって、
 開花されるのを待っています。」


この文章を生み出した喜多川 泰先生には直接会ったことは無い。

でも、大津一貴という一人の人間の人生に、多大な影響を及ぼした。

この文章が「プロサッカー選手をもう一度目指す」と決意した自分を後押ししてくれた。

その結果、今の自分が存在する。

この文章に出会っていなければ、また違った人生を送っていたかもしれない。

それぐらい、文章や言葉には、多大な影響力を持っている。


サッカー選手である以上、サッカーのプレーで人の心を動かすこと(=感動を与える)も仕事の1つ。

だけど、”自分がプレーする”というツールだけにこだわる必要も無いと思う。

サッカー選手である自分の想いを表現するツールとして、文章や言葉の力を借りることで、もっと多くの人に自分の想いが届く可能性がある。

その可能性があるのなら、利用しない理由が無い。

これからも僕は、文章や言葉の力に頼らせていただきます。


②自分の思考を整理する

他人に読んでもらう文章を書くには、自分の脳内に浮かんでいることを整理して、他人に伝わる内容に変換し、文字に起こしていく作業を繰り返す。

この作業を別の言い方に置き換えると、”自分との対話を繰り返す作業”と言える。

自分との対話こそ、思考を整理することに繋がる。


自分の思考が整理されると、自分の人生の進むべき道筋が明確になる。

脳内でぼんやりとしか見えていなかったモノが、ハッキリと見えるようになる。

視力0.1の人が、メガネを掛けて2.0の視力が見えるようになる瞬間のような感覚。

パッッッと視界が開け、迷い無く自分の歩むべき道を突き進むことができる。

少し自分の人生に迷った時こそ、僕は文章を書くようにしている。


③今の自分を記す

この世に生きる限り、命の保障は無い。

明日、事故や病気で急に死ぬかもしれない。

今の自分は、過去にも未来にも居ない自分。

たった今、この瞬間というものは、この瞬間にしか無い。


結局何が言いたいかというと、文章を書くことによって、自分という人間が生きた証を書き残したい。

ということ。


凄く大げさに言えば、僕が書き残した文章は全て遺言。

自分がその時々に考えたこと、感じたこと、想ったこと…


もし自分が死んだとしても、自分の考え方、感じ方、想い…

これらは、自分が書き残した文章共に、この世に生き残る。

自分がこの世に生きた証を残すために、必死に書く。

それ以上も、それ以下も、無い。

おそらく、自分自身が死の恐怖を一度リアルに体験したから、潜在意識が本能的に、自分が生きた証を記そうとさせている。


”今の自分を記す”という行動は、自分の本能がそう動くように命令していると言えそうだ。


④人との繋がり

とてもありがたいことに、僕の文章を読んでくれた方と新たな繋がりができた。

例えば、「北のサッカーアンビシャス」

僕のブログをいつも見てくださり、個人コラム記事の連載を打診していただいた。

過去にも、ゴラッソというサッカーサイトにて記事を執筆させていただいた。

これだけではなく、いくつか単体での執筆依頼も頂いた。


”記事を執筆していて凄いでしょ!”ということを、自慢したい訳ではない。

自分の文章を発信することにより、新たな媒体での執筆を通じて、新たな人との繋がりができること。

僕は、この部分に魅力を感じている。


単純に比較はできないけど…

【何も文章を書いていない自分A】という人間と、【文章を書いて発信している自分B】という人間が居たとする。

【自分A】と【自分B】を比べると、文章を書いて発信している【自分B】の方が、新たな出会いを通じて成長のチャンスを得ている。

記事媒体を提供していただける方との繋がり。

そして、新しい媒体での読者の方に、自分の記事を読んでいただき、また新たな出会いが生まれる。

この好循環が、更に自分の成長に繋がっていく。


正直、自分の文章を公開することに恐怖心もある。

特にネット上は、不特定多数の人に見られる場所。

誰に何を言われるか分からない。

でも、勇気を振り絞って、自分の想いを込めた文章を公開することにより、新たな出会いと共に、新たな成長した自分に出会える。


人との繋がりを元に、自分自身の成長も実感できるから、僕は文章を書く。


⑤大好きなサッカーに似ている

僕が文章を書き始める時、最初から文章の構成や内容がハッキリ見えている訳ではない。

ぼんやりと見えている自分の脳内のゴールに向かい、ありとあらゆる思考を巡らせ、文字と文字を繋ぎ合せて、文章が完成していく。

書いている途中で「自分の脳内にはこんな考えもあったのか!」という発見や、「この言葉の使いまわしが好きだな~」という気付きがあったりする。

そして、完成した文章を最終的に読み返すと、自分でも想像しなかった文章が出来上がり、純粋に書くことを楽しんでいる。

この”文章を書く”という作業は、この世に存在しないモノを作り上げる作業だ。

横文字にするとクリエイティブな活動と言えるだろう。


サッカーの場合でも、クリエイティブなプレーが、勝負の分け目になることがとても多い。

創造性、意外性、発想力、打開力、洞察力…

あえて日本語で表現するなら、サッカーでの”クリエイティブなプレー”とは、上記のような言葉がキーワード。

創造性溢れるドリブルで相手を交わし、相手DF陣を打開。

周りの状況を洞察し、意外性のあるパスから、発想豊かなシュート。

字面にすると、なんだかゴールが決まりそうな予感がプンプンする。

勝手に身体が反応し、自分でも想像しないようなプレーを自然とした時。

そう、クリエイティブなプレーをした時。

その瞬間にゴールが決まり、歓喜の瞬間が訪れる。

それが、僕がサッカーをプレーする上で好きな部分。


サッカーにおけるクリエイティブな部分と、文章を書くクリエイティブな部分。

僕がサッカーを好きな理由であり、文章を書くことが好きな理由。

この2つに共通する「クリエイティブ」というキーワードが、僕がサッカーをプレーする理由であり、文章を書く理由である。


■まとめ

①読者を動かす

②自分の思考を整理する

③今の自分を記す

④人との繋がり

⑤大好きなサッカーに似ている

以上5つ理由から、サッカー選手である僕は、ネットで文章を書く。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

この記事を最後まで読んでいただいたあなたの人生に、すこしでもプラスになるように、これからも文章を書いていきます!


大津一貴(オオツ カズタカ)

1989年 10月 25日 北海道旭川市出身(その後すぐに札幌市)

札幌市立山の手小学校(山の手サッカー少年団) → 札幌市立琴似中学校(SSS札幌サッカースクール) → 青森山田高校 サッカー部 → 関東学院大学 サッカー部 → 2012 ホームテック株式会社入社(一般サラリーマン、サッカー引退) → 2013-2014 T.F.S.C(東京都リーグ、サッカー再開) → 2015 FC Ulaanbaatar(モンゴル) → 2016 Three Kings United(ニュージーランド) → 2017 Kamphaengphet FC(タイ) → 2018 FC Ulaanbaatar(モンゴル)

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記事連載【北のサッカーアンビシャス】大津流エンジョイフットボールライフ

Twitterアカウント(@kazuuu02)

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