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「ゆるめる」ということについて

プロフィールにも書きましたが、私は未知のものに触れたり思考をすることが昔から好きで、特に現在は、所属や専門の枠にとらわれない越境的な学びの場に参加することが大きな楽しみの一つです。そういう場で得られた知見やそれをきっかけに考えたことなどを、せっかくなのでここに書き記していこうと思います。

昨日は株式会社ワークハピネス(私が所属するgCストーリーでワークショップをやってくださったこともある会社)の方を中心に有志で集まった「ウェルビー」というコミュニティで初回イベントを行いました。(初回といいつつ、以前にもだいたい同じようなメンバーで何回か対話会をやっていて、「面白いからコミュニティ化しよう!」となりました。)

「ウェルビー」という名前は「ウェルビーイング」から来ています。「ウェルビーイング」を定義することは大変難しいですが、ここではひとまず「率直な自分」でいることが肝要だと捉え、多角的に「率直な自分」を見つめなおしていくための対話やワークショップをやっていこうというのが、当面の活動になりそうです。たぶん。(今後どうなるかは流れ次第)


昨日は2本の動画をみんなで観て、感じたことを対話しよう、ということになりました。この記事では1本目の動画について書きます。


働くママが追い詰められていく…

観た動画は、サイボウズが制作した「働くママ」をテーマにしたショートムービーでした。

短いので内容はぜひ動画を観ていただきたいのですが、簡単に説明すると次のようなものです。

働くママさん。仕事が忙しいときに子どもが熱を出してしまい、夫に迎えに行けないか聞くものの無理と断られ、自分で迎えに行って子どもを抱きかかえた帰り道。明日は大事な会議に出ないといけない、でもこの子を預けられる場所はあるのだろうか、保育に預けるならお弁当を作らなければ…色々と考えているうちに心はどんどん追い詰められていく。そんなときに我が子がふと「大丈夫?」とママに聞く。それに対してママは「大丈夫」と返事をする。(この「大丈夫」は色んな解釈ができると思います。)


対話では最初に感想のシェアをしました。私の最初の感想は、「小さな子どもとそのママという、私が最も希望に包まれていてほしいと願っている人たちが、こうやって追い詰められていく現実がやるせない。少なくとも自分の周りにいるママ・パパや子どもが追い詰められていないか、感度を高めて助けられることは助けたい。」というものでした。


ママの認識が変わったら…という選択肢

感想シェアでは、主人公のママに感情移入してしまって辛く感じたという言葉や、自分の現在の子育てを顧みるきっかけとなったという声など、様々な意見が出ましたが、その中である方が言ってくださったことが自分に新しい視点をもたらしてくれました。

それは、このママが自分で自分を苦しめてしまっているのではないかという意見でした。私は最初この状況の原因を社会構造ではなくママ個人に帰すようなその意見に違和感を覚えていましたが、よくよく聞いてみると確かにそういう選択肢もあるなという思いになりました。

その方の意見は、このママは本当は子どもの成長なんてなるようになるはずなのに、自分でやらなきゃ、ちゃんとしなきゃという気持ちに縛られすぎているというものでした。仕事をだれかに任せることができたら、どうせやってくれないからと諦めず、もっと夫に育児をお願いできたら、子どもの「大丈夫?」に対して、心配させてしまった…という罪の意識を持つのではなく、「大丈夫?」と心配することができる思いやりのある子に育ったんだと肯定的に受け止めることができたら、この人の世界は変わるんじゃないかという問いです。

働くママさんをどう支えるか、という社会や支援者としての視点で考えていた私に対し、この問いは次のような気づきをもたらしてくれました。

「ゆるめるレッスン」と「ゆるみ」を受け入れる場

1つ目の気づきは、特に今の日本人が「ゆるめる」ことを苦手としているのではないかということです。多くの場合、家族や学校教育、より広く社会で「がんばる」ことや「真面目にやる」ことが是とされるため、「ゆるめる」ということに対して否定的なイメージを持ちやすい環境にあるのではないかと思います。

でも実は、ゆるめるということをもっと意識的にできるようになった方が、より自分らしく生きられるのではないでしょうか。野球の一流のピッチャーが下位打線で上手く力をゆるめて、上位打線やピンチのときに最大限のエネルギーを出し切るように、本当に大切なときのためにゆるめることができるというのは、とても実用的なスキルなのだと思います。(そういう意味で実は「ゆとり教育」は構想としてはあながち外してなかったのかもしれません。)

でも、ゆるめることができるスキルを高めるのは意外と難しいでしょう。これまで必死に頑張ってきた人に対して、「ゆるめばいいじゃん」と気軽に言うことほど無責任なことはないですし、その人が本当に心から「ゆるんでいいんだ」と思えるようになることを目指していく必要があると思います。だからこそ、無理せずにゆるめていく「レッスン」を積み重ねていくプログラム・教育を作っていく必要があるでしょう。

そして、当然のことながら「ゆるみ」を許容する環境もつくっていかなくてはなりません。「ゆるめる」ことができない人は多くの場合、自分がゆるんでいる状態を否定された経験があるのではないかと思います。もちろん自分が頑張っているときに他人がゆるんでいるのを見て妬む気持ちが生まれることはありますが、そのときにふと立ち止まってその人の「ゆるみ」に寄り添い受け入れる余裕を持てる人が増えていくことで、もっと社会が「ゆるみ」に寛容になっていけばいいなと思います。


対話を通じて生まれた思い

「ゆるめることができるスキル」と「ゆるみを許容するスキル」の2つを育むことができれば、動画に出てきた追い詰められるママさんも救われるのかも知れないということと、その2つを育むメソッドを作っていきたいというのが、今回の対話の中で私に生まれた思いでした。

この思いは私が家にいて一人でこの動画を観てもたぶん思わなかったものです。改めて対話の中で他者から刺激を受けて考える、という実践は貴重だなと思います。一緒に対話してくださったみなさんに感謝です。



2つ目の動画の記事もまた上げようかなと思います。(こっちも長くなりそうです…。)

noteは一本一本気合い入れて書いちゃうから、続けるの大変かもなあと思っていますが、のんびり更新していけたらと思います。

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