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【筆記】 Part 1 | 2023.7.11

・ここ最近は礼賛というバンドの音楽を繰り返し楽しんでいる。全てにおいて気持ちがいい。

・メディアサイトのインタビューで、サーヤさん(別名義で礼賛のVoを担当している芸人)が
「"芸人の音楽"みたいな感じで売る/消費されるのはずるいし、分野の人たちにも失礼なので、そういう逃げはしたくなかった」
といった旨の発言をしていて、ん〜〜ねと唸った。そういう気持ちでいるのは望ましいことだと常々考えている(自分は別に芸人でもミュージシャンでもないので本当に何様なのだという感じはある)。

「礼賛ロングインタビュー サーヤ、川谷絵音と猛者たちが化学反応を語り合う」https://rollingstonejapan.com/articles/detail/38952/1/1/1

・普段作成する文章において、中黒と三点リーダーをどちらも使うようになっていることに気がついた。使い分けというほどの意識や根拠はなく、フィーリングで無意識に選んでいる。ちなみに"……"を打ち込むときは、「さんてんさんてん」で変換している。みんなはどうやって"……"←これ打ってるのでしょう。

・デリシャス・バイキングに行って、名称がよくわからんがデリシャスな副菜をたくさん食べたい。

・SNSでは可能な限り意味のあることを見たくないし呟きたくないという一心で生きている(ここでいう意味は、価値とか有用性とかを指す)。

・自由は愛らしく頼もしい。しかしどうもこの手の"自由"というワードが中心に据えられる話題では、しばしば"自由"が自己中心的なニュアンスを孕むことが多いように感じる(元々お前らは自己中心的でなさすぎるのだよ!という前説込みなのかもしれない)。「みんなもっと自分に正直に、自由に生きよう!」。

・「他人は言うほどあなたのことなんて気にしていないよ」は浅瀬の真実だと思う。対人関係にまつわる、比較的どうでもいいと感じる悩み事のような愚痴に対し第三者としての見解を求められたとき、適切な回答をすぐに見出だせなかった自分も苦し紛れにそういうことを言ったりしていた。

・しかし、だからといって「自由に生きよう≒思い切って自己中心的になっちゃおう」という解釈を全うするのは、それはそれでやっぱり気が引けるものである。

・つまるところ自分は、皮を剥いた中身の見せあいっこを自由な社会の真髄とするようなコミュニティで発生するパブリックトークが基本的には好きじゃなのかもしれない。

・↑読点の入れどころが全くわからなくて、話が通じながちの方っぽいリズムと尺の文章になってしまいました……。

・良い悪いとか正しい正しくないとかそういう話ではなく、ただ単純に何かとぶつかり合いたくないと願うことが果たして怠惰なのかと考える。衝突のストレスと我慢(許容)のストレスは種類が違うので、どちらの毒性がより人体に悪いのかを判断することは難しいし、衝突を恐れず意見するときの"必要性"の尺度も一定ではない。

・仲良く平和であるために仲良くしない。何かを受け入れ許容することを成立させるにおいて、衝突は必要条件でないはずなのだ。

・でもやっぱり怠惰なのかも。自分のために生きようとする過程で何かとぶつかってしまうことは不可避の事象であり、これを"自由"ではなく、人間らしく暮らすための高次元な"条件"(定めと言い換えても良い)と考えるのであれば、たしかに怠惰にほかならない。難しい。

・などと言っておりますけれども、少なくともその条件をたかだかSNSで全うする必要は全然ないなとも思います。

・水が好きなので、甘いジュースをわざわざ買うのは明確に損な気がしている。水に比べて色々なコストを払う必要があるため。

・でもコーラとかを飲みたいときはやっぱりまだある。なんとなくの気まぐれで絶対的な損と対峙し逡巡するのは、それこそコストが重たい気もする。

・うめ

・「〜爆笑してしまった」←誇張でなくこのように述懐できるエピソードを全く思い返せない。爆笑してしまったら、マジで楽しそうだ。

・20分程度Google検索で調べた程度の霞のような知識で、投資信託口座を開設し、微妙にお金がひとりでに増える様子を眺めた。実感を得ない。
その程度の無頓着野郎は、いずれ大損をして痛い目を見るというのが相場なのだが、本当に何十年経った後でもしっかり得をし続けているとしたら、ちょっとこれは仕組みとして凄まじすぎる。何が起きているんだ。

・浅野いにおさん作「おやすみプンプン」が先週末、漫画サイトで全話無料公開していたので読み返した(だいぶ前に読んだことがある)。

・"サブカル漫画"とか"メンヘラ鬱漫画"とか揶揄されるのも納得の作風で、シュール・エログロナンセンスといったアンダーグラウンドっぽい要素もたしかにこの作品の魅力の一つなのかもしれないが、そういったコテコテ文化を抽出・消費するという文脈はあまり関係なしに、自分はこの漫画が好きだ。

・自己陶酔することにおける相性の良し悪しを読み手に計測させるだけ(サブカル特有の、ファッションと自慰行為を楽しむ勢力と、それを咎める勢力の欄外対立)の作品では決してないように思う。

・主観と煩悩だらけで構成される人間社会のグロテスクさを、悪意も善意も誇張した劇的さで、それでもなお美しく普遍的なものだという風に描いて伝える、ある種の人間讃歌といっても差し支えないテーマ性が非常に爽快で気分が良いし、漫画という媒体上で巧みに表現されている。

・物語を消費することにおいて、登場人部に自らを投影して想像することと、自らの人生を重ね合わせて共感することは、似ているようで全くの別物だと思っている。
自分は後者の共感する感覚が未だあまり腑に落ちないために、共感を以て物語を楽しむことを得意とする人を見ると新鮮みを覚える。

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