14年後 | 2022.10.31
・お久しぶりです!
・低解像度のキュウリの画像。
・日常生活のステータスに関わらず、インターネットに書いて放るくらいのことはいくらでも遍在している気はしているが、自身が何らかの思惑を出力することに対していやに無気力を自覚することがある。近頃はお布団とYouTubeとSpotifyがちょっと尋常でない重力を発するようになり、それら以外のすべての事象に対して面倒の臭さを付与してしまっていた。
・前回の更新から1ヶ月強が経過したがそんな感じであった。季節の変わり目でなんかバイブスが上がらなかったという表現がつまるところ的を射ているのかもしれない。
・アニメ『チェンソーマン』の主題歌である『KICKBACK』がものすごい。ものすごくないですか? 楽曲もミュージックビデオもそれはもう、ものすごい。
・詳細なフレームの感想を思案して述べるよりも、脳に叩き込まれる“めちゃめちゃに大きい「オモシロ」の刺激”を黙って浴びたくなる作品だと思う。漫画を読んでいて感じた、爽快で愉快で出鱈目なグランジ感がブシュブシュ漂っていて良い。
・「こんなすげえMV作れる米津玄師はやはり天才だ」といったような興奮覚めやらぬ感想短文を見かけると、その文章にどれだけの意図的な省略が内包されているのだろうと考える。
・もちろん米津玄師さんは天才だ。だからこそ今作の監督である奥山由之さんをはじめとしたチームもこの映像を仕上げられたことは何ら違っていないが、米津玄師さんがその手腕を以てこのミュージックビデオを0から1飛んで100まで作り上げたという訳ではおそらくない、と思われる。
・アーティスト(ミュージシャン、今回に関しては演者という近似表現を含んでも良い)は象徴たる存在で、ものを制作し発信するときに最も近く大きく核として見えるし、そうあることこそが彼らの責務でもあるのだが、そのすぐ隣にはおびただしい数のチームメイトがきっといて、そこに居る群体そのものが作品のすべてに直結している。
・腹に入りゃ同じだし、別にどうでもいいっちゃどうでもいいんだけど、世にある作品は大体例外なく群体としてのプロダクトであることを知っているだけで、ちょっとしたディテールの見え方が変わることがあったりして、自分はそのときの視界がわりかし好きだ。
・8月頭、前髪に明るいグリーンのインナーカラーを入れたのだが、今現在このグリーンがほぼ色落ちすることなくその彩度と明度を保っている。
・その1ヶ月後である9月に入れた追加のカラーはとっくに見るも無惨な色合いになっているのもあり、前髪に突然変異が起きているとしか思えない。
・今後、墓場に入るまでずっと前髪の一部が明るいグリーンの人生になってしまっていたらどうしよう。好きな色なんて別にないのにこの人は緑が好きなんだろうなと思われるだろうし、むしろその客観視に引っ張られて靴とかカバンとかも緑色のものを気づいたらセレクトしてしまったりしそう。アイデンティティの獲得。
・ギャル「生え変わるから安心しな~」
・さいきんメルカリで買ったシンセサイザーのプリセット(予め定義された音色の初期設定)を見ていると「FROM 2036」という名前のものが出てきた。
・14年後の世界から運ばれてきた音はこんな感じなのか……と感慨に浸った(実際の音は秘密です)。
・この“プリセットの名前を考える”という行為からは、音色パラメータの調整よりよほどダイレクトにその作業者の人間性というかセンスが伝わってきて個人的に気に入っている。
・何より面白いのが、そのプリセット名で自身が予想した音色と実際に設定されていた音色が、どんなふうにどの程度違うか(あるいは似ているか)という部分の体験である。
・例えば「Cosmic Fireflies(宇宙のホタルたち)」みたいな名前のプリセットがあったとして
- おそらく宇宙っぽいような空間の広い残響が強めに付加されていて、ホタルといえばどこか神秘的で可愛らしいイメージがあるから、粒々としたきらびやかさがありつつ、コロっとした丸い音色なのだろう……。
とか推測しつつ実際に鍵盤を叩いてみると、ただのやかましい光線銃の音じゃないかこれは、みたいな音が鳴ることがある。プリセット作成者との感覚のズレをちょっとだけ知覚できた気がして素敵だと思う。
・お題として、このプリセット名もしくは画像から音色を作ってください!みたいなシンセ音作り大喜利大会みたいな催しがあったら面白いだろうな。
・今回のお題は「low resolution cucumber(低解像度のきゅうり)」です!
・それにしても14年後だ。2036年、自分は39歳のおっさんになっている。何ひとつ想像できない。
・ところで、10代からおよそ20代中盤の間に感受性はピークを迎え、後はただすり減って無くなっていくだけなのかもしれない、というような話を先日シーシャ屋でした。
・自分の尊敬するクリエイターが似たようなことを言っていたと解釈していて、もちろん歳を取ってからでもインプットとして沢山の作品を見聞きするし良いなと感じはするが、それでも普段の作品作りにおいて発揮されている源泉は大抵10代から20代中盤の頃のものだという。いわく、そのときの貯金を使うことで物作りが出来ているらしい。
・この理論でいけば、自分のインプット積立期はもう間もなく終了だ。なにかデカいチャンスを気付かず逃し続けたような、でも今更どうしようもない空白がのしかかってきてウワってなる。同窓会の場で、当時ずっと片思いしていた子が、実は自分のことも好きだったので相思相愛であることが発覚する(しかしその子はいまや家庭を持ち幸せに暮らしている)、みたいな謎の風通しの良さ。
・高校生の頃にいつもの帰り道からたまたま見た、なんでもないただの夕焼けが、その後の人生におけるベスト・サンセットであり続けるようなものだとイメージすると、実感として非常に腑に落ちる。重くなった身体をてけてけ動かしつつビル越しに見る夕焼けでは、あの美しさは更新できない。
・その逃避的な言い換えをなんかエモくていいねと思えているあたり、本当にもういよいよなのだと思います。さようなら! ピュ
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