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サウナ 識字 | 2024.01.18

・あけましておめでとうございます!

・職場の近くに、おいしいホルモン焼き店があるのでよく行っている。

・レバー焼きがほんとうに絶品なのだ。レバーの味というのは、だいたいの場合においてハードルを飛び越えていかない気がしている。下回るとまではいかずとも、なんかガシャーンってたいあたりしてハードルをなぎ倒しながらそのまま胃袋に走り去っていくというか、否定も肯定もない評価のまま完結するというか。

・しかしその店のレバーはハードルを軽々と爽やかに飛び越えていく。匂いにも舌触りにも一切の不快を感じさせず、食べ終わる頃にはもう一皿が欲しくなるレベルなんだな。結局のところ生き物の内蔵が一番おいしい、という個人的な価値観をより強固なものとしてくれた。内蔵最高!

・モツ岡修造「レバーギブアップ!」

・?


・ゲリー・ポッターと憂鬱の騎士団という具合で日々が過ぎていく。

・もう自分は駄目だ、おしまいだ……お布団に入らせていただきます……という心持ちの原因は承知していて、つまるところ部屋が寒すぎるという事実に10割帰結する。人は寒いと駄目になる。地元の石油ストーブが恋しい。やかんを上に置いたりするのだ。

・結局、人間が主体的に感じる寒さというのはある一定を過ぎると、固定数値ダメージとして表出するなというふうに思う。

・地元北海道の寒さと東京の寒さは文字通りレベルが違う。東京で吐く息は白くないし、氷柱なんてものはどこにも吊り下がっていない。雪も積もらないから、よく音も響く。しかし、北海道にいても東京にいても「冬は寒い」ことに変わらない。


・識字の癖、というものがある。

・アメリカ産まれのシンセサイザーの名機(およびメーカー)に"Moog"なる機種がある。原語の発音としては「モーグ」と読むのが正しいのだが、頭で分かっていても「ムーグ」と自分は読んでしまう。

・そういう癖として自分は幼い頃から、"刺青"をなぜだか「ししゅう」と読んでしまう。なぜ? 刺青と刺繍、漢字を形状で覚えてしまっているのか、「し」の先入観というか勢いみたいなものがあるのか。

・ところで高校生の頃、部活の先輩に自分と全く同じ姓の女性がいた。別に人数も多くない部活だし、そこまでたくさん見かける名字でもないので珍しいこともあったものだ(もちろん血縁関係も無い)。そのせいもあり自分は「2号」とか「2nd」という渾名で呼称されていたことを憶えている。

・ある日、部室内で何かしらの雑談が行われているとき、その先輩のほうの矢口さんがおもむろに「ししゅう」という言葉を口にした。会話の流れに沿ったワードではなかったために若干の疑問符が場に持ち上がったが、矢口さんはすぐに「ししゅうだって。刺青ね、刺青」と、少し照れくさそうに取り繕った。

・その瞬間、自分の体内がカッと熱くなった。いわゆる共感性羞恥とかそういった類のものではない。むしろ逆で、爆発しそうなほどの「その言い間違い、分かる〜」が心底から噴出したのだ。

・名字が同じという1点を除けば、先輩後輩という以外にたいした関係性も持ち合わせていなかったところに、当人たちしか(厳密に言うと自分しか)理解しえないディープな共通点が生まれた瞬間だった。一種の誇らしさというか、特別感みたいなものにも近かったかもしれない。

・自分は新入生で矢口さんは3年生だったため、特に仲良くなったりする間もなくすぐに代替わりした。もはや矢口さんの顔や声も全く思い出せないし他に何のエピソードもなかったのだが、あの体内の熱さだけは今も鮮明に想起できる。

・それ以来、ここまでの深度の「わかる〜」を他人に感じたことは人生において一切ない。ひょっとしたら矢口さんとはもっと仲良くなれたのかもしれないな……みたいなことを、ぼんやりとしたサウナの中で考えた。

・最後にかわいいデザートを見てください。

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