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田舎びくドン讃歌とペンライト | 2023.1.3

・おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい

・こんにちは~

・2022年最後のレコーディング仕事を終え、しばしまったりとした後、全裸でお風呂のカビと格闘していたところ、新しい年(ねん)がやって来てから40分くらい経過していた。

・そんな年越しをしてから、もう丸2日ほどが過ぎている。「光陰矢の如し」と言うが、矢とかそういうレベルではない。自動小銃から放たれる弾丸くらいまで文明が進化したうえでの初速である。

・noteの更新をサボっていたうちに色々なことがあって、トピックとして取り上げるべき事象はそこそこあった気がする。

  • シンガポール出張(人生初の海外渡航だった)

  • 「汽元象レコード」という何かしらの団体の設立

  • その他諸々のお仕事と暮らし

・あたりのことがありました。

・スタンスとして、わざわざ日記に情報をまとめるほどのものでもないので、気が向くことがあれば個別にまとめてみることもあるかもしれない。


・帰省する予定もなく、ぬべっとした年始休暇を過ごしていく。

・地元には昨年のゴールデンウィークに帰った。上京してから1度目の帰省だったので、このまま等間隔に丁度良くいくとおおよそ3年に1回のペースで帰省をしていくロードマップが引かれる。

・北海道という距離的な問題もあるのと、いざ帰っても比較的ほんとうの田舎エリアなのでやることが探してもあまり見つからない。親戚や友人の類も全くいないし。

・親の顔を見ること、東京で暮らしていてはまず握らないハンドルを握ってのドライブ→国道沿いの「びっくりドンキー」とか「ハードオフ」とかのバカでかい駐車場に頭から適当に駐車して軽やかに入店すること、くらいしか楽しみがない。

・「びっくりドンキー」が好きだ。ただ、自分は「びっくりドンキー」そのものではなく、おおらかな田舎に堂々とそびえている大きな「びっくりドンキー」という概念が好きなのであって、東京都内のビルや商業施設の一角の隙間に入っている小さな「びっくりドンキー」に対して全く魅力を感じないことに気がついたのは、ここ最近のことである。

・広すぎる駐車場に適当に突っ込み(空きを探したうえで、スムーズに出られるようにバック駐車なんて野暮なことはしない)、それを持って人に殴りかかれば普通に凶器として成立しそうな木製のメニュー表を経てから、もくもくと食べるレギュラーバーグディッシュは格別だ。

・電車を乗り継ぎ、人混みを掻き分け、階段を上り下りして、やっとの思いで辿り着いた小さな「びくドン」で食べるハンバーグ(注文はタッチパネル)とは、どう考えても味の質が異なってくる。食事は体験だ。

・そう思いませんか?

・あの皿、公式オンラインストアで買えるらしい。良い。

https://www.sowelu.top/view/category/ct2

・和製英語で言う「コンサート」と「ライブ」に違いはあるのか、ということをインターネットで軽く調べた。

・結論から言って「ライブ」は「コンサート」の派生から生まれた略称であり、指すものとしてさしたる差異はないようであったが、使う人間のニュアンスという部分に、同義語以上の微妙な差が含まれているように感じる。

・催しの開催場所が地下のちいちゃなハコなのか、地上のでけ~ホールなのか、音楽ジャンルは何なのか、客層はどのようなものなのか……等々、規模や内容を加味したうえでの印象の提示において、この用語の使い分けは蓄積されてきた。

・管弦楽団のクラシック演奏会や、アリーナでの演歌歌手・アイドルグループの公演に「ライブ」という名称は不適切な気がする、というなんとなくの認識のように。

・一方で、ペンライトをみんなで振るのが「コンサート」で、そうじゃなきゃ「ライブ」だ、という珍しい主観意見を見かけた。なるほど。

・この分類方法は語源から生じた意味を明らかに外していて、たぶん多くの人から疑問符を獲得するものではあるだろうが、個人的には面白くて良いなと思った。

・ペンライトを振るという行為は、どこか“作法的”だ。決まり事めいていると言ってもいい。グッズで売られているものを買い、指定された色を灯し、曲ごとに概ね決まった動作をすることで、ライブに対する共創意識・連帯感を表現する手段として、ペンライトは多くの場合動く。

・そういった「音楽を楽しむこと」の深い拡張性で以て成立しているその行為が、お行儀良く感じることが自分はある。その部分と「コンサート」の指し示すニュアンスが重なる感覚が解る気がした。

・という意味で自分は「ライブ」の楽しみ方が肌に合っている。スピーカーのスイートスポット(音が良く聴こえる傾向にある場所)で小さくゆらゆら揺れているくらいが丁度良い。腕を振ったり跳躍したりしすぎていると耳から入る情報が散漫になってしまう気がするので、無理はしない。なんなら座ったり寄りかかったりしていたいし、ペンライトは使わない。

・なによりも、ペンライトを振ることにより、ライブという作品を構成する要素として、いち見物客である自分の意思が良くも悪くも介在することになってしまう結果がちょっと恐ろしくもある。

・逆に、ただのいち見物客であるからこそ「音楽を楽しむこと」の自由度を獲得できるのかもしれないな。

・ここはライブを「参加型エンタメ」ととるか「鑑賞型エンタメ」ととるかの価値観によって大きく分かれる領域だと思う。自分は後者だ。

・ことライブという世界においては、ステージの上にいる存在は文字通り圧倒的な上位存在なのだ。自分はそこから分け与えられたものを全力で摂食・嚥下するだけの雛でいいんじゃないかと、心の底で思っている。雛にペンライトは振れない。


・そもそもペンライト文化の発祥は70年代の西城秀樹氏の野外コンサートらしい。夜間帯かつ球場での開催だったため、身の回りが見やすいように、そして西城秀樹氏自身がファンの顔を伺えるようにという理由だと思うが、懐中電灯の持参を呼びかけたことから始まり、その後ファングッズとして製品が普及しはじめたのだとか。

"「ケミカルライト(サイリウム)」の歴史は、こんなに壮大だった! 老舗・ルミカに聞く開発秘話"
https://news.livedoor.com/article/detail/12217829/
"西城秀樹さんが「ライブ客席でペンライト・サイリウムを振る」ルーツとされています"
https://news.line.me/detail/oa-jtownnet/23e01e72e7bf

・へ~~ 発祥とその後の流動が全く異なるものになることは珍しいことではない。文化はこういう風にして形成されていく。


・いくらなんでも寒すぎる。足が非常に冷えています。

・2022年よかった音楽を40個まとめたので興味ある人は聴いてみてください。

・今年もよろしくお願いします!!! さようなら

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