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オシャレの秘訣は土壁ラメパウダー☆貧乏への向き合い方と認識の重要性


どうも、僕です。
最近は貧乏の極みである食費1ヶ月1万円で過ごしています。朝 納豆ご飯 昼 おにぎり2つ 夜 鶏肉野菜鍋を食べて生きています。最高です。

今回はオシャレマスターである僕が、美しく生きる方法と貧乏への向き合い方について書こうと思います!!イェーイ!!パチパチパチ👏👏👏

いつも通りぶっ飛びつつ、真面目に役に立つことを色々書いていこうと思います☆

僕には二人姉がいるんですけど、2番目の姉が14歳中2、僕が7歳の頃の話をしようと思います。
前にも文章で書いたんだけど、僕の家族は僕が4歳ぐらいの時に夜逃げしました。大阪の元部落地域にあるボロッボロの家に引っ越してきて、3日に1回ネズミ取り機に引っかかっているネズミを起床する度に見ていました。なかなかのクレイジー体験のお陰で、今の僕があるって訳です。

当時14歳のお姉ちゃんは特にファンキーで、ノートに「ヤーマン」・「卍(地元の地名)卍」・「〇〇絶対一生親友!」とか書いて、表紙にラスタカラーの配色を施したりするファンキーオシャレガールでした。子供部屋は姉二人と僕の3人で使っていました。なので、よく喧嘩になりました。お姉ちゃんがコンポを使って、レンタルビデオ店から借りてきた三木道三のCDをMDに移している時に物音を立てると、ブチ切れられた思い出があります。このエピソードを30歳前後の人に話すとウケます。

また、家にお金がなくて、ルーズソックスを何足も買えなかったので、長女といつもルーズソックスを今日はどっちが履いていくかで喧嘩していました。

そんな中2の姉がある日学校に行った日に、友達に突然あることを言われたそうです。


「わ〜!◯◯ちゃん、なにその顔についてるラメ〜!めっちゃ可愛いやーん☆」


そうです、聡明な皆さんならお分かりの通り、

貧乏な家でありがちな、土壁のラメが顔についていたのです!!!

(土壁って勝手に呼んでますが、正式名称は綿壁っていうらしいです。こんな感じので、引っ掻いたり触ったりすると、砂とラメみたいなのがボロボロ落ちます。)

この壁をネズミが引っ掻いたのかなんなのか分からないけど、家の数カ所に穴が空いてた記憶があります笑
それくらい壁が脆いんで、姉の顔にこの砂がついてて、それで姉が一躍学校でオシャレ番長になったって話です。

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貧乏自慢はこれくらいにしておいて、本題に入ります。
たぶん、僕と同じように貧乏な家庭環境で育ったり、今でもかなり貧乏な人ってたくさんいると思うんですよね。今の僕は貧乏話をポジティブに捉えて、ネタに出来たり、この経験を今生きる活力にしてたりしてます。


けど、これが出来るようになったのって大学3年生になったくらいでした。それまでは小学生の頃、貧乏でDS買ってもらうタイミングが遅くてハブられたり、全部服はお下がりだったり、塾に通えなかったことを恨んでいました。大学1,2年の頃もまだ貧乏がコンプレックスで、家賃5万円の学校近くに住んでいる人たちを「富豪」と揶揄してバカにして妬み恨み続けていました。マジで情けなさすぎて、器の小ささ、ミジンコとニアリーイコールの芸人でした。笑

本当に生きていて辛かったです。

(オシャレマスターの僕が選んだ一番可愛いミジンコの画像)

そんな僕がこのミジンコな思考法を抜け出したのは本を読んだり、人から聞いたりして過去の悪い思い出をポジティブな認識にすり替えることができたからです。

ただ、それでも他人のことを気にしていて、お金持ちはいいなと一ミリくらい思っていました。けど最近、その考え方から完全に抜け出せた体験がありました。

それは、僕がとある東南アジアの国でインターンしてた時のことです。その国No.1のインターナショナルスクールで算数を教えていた時に、ある日本人の子供に出会いました。


彼は日本人の子供で、8歳なのに日本語も英語もペラペラでした。どこで英語を勉強したのか聞いたところ、

「僕はフランスで生まれて、ずっと英語で育ってきたよ〜」

なにを学食で食べているのか聞くと、

「僕はこの子たちが食べてるものなんて食べられないよ〜 学校近くの日本食料理屋に行ってるよ〜。おじさんたちも毎日レストランでごはんたべるでしょ?」

通学をどうしているか聞くと、

「専属のドライバーがいて、毎日送迎してもらってるよ〜」

と、本当に悪気なく伝えてきました。

その場面を見ていた、教育のプロフェッショナルである同僚が言った言葉が、僕のお金持ちに対する妄想を完全に打ち破ってくれました。

「こうやってあまりにも恵まれた環境で生まれ育った子供って、大人になってから人の心が分からないと悩みやすかったりするんだよね」と僕に呟きました。

僕は気が付きました。

誰しもが正の部分と負の部分を持っているんだと。

やっぱり大切なのは、どう物事を認識するかに本質があるのだと。

誤解を避けるために言っておくと、同僚も僕もこの子もこの子の親が悪いと言っている訳では全くないです。どんな生き方をしてもそれは本当に尊いことで、この子のご両親が本当に頑張ったからこそ、この子は恵まれた生活をしていて、それは本当に美しい。あと、お金持ちに生まれた子供でも、人の気持ちがわかる人もたくさんいるしね。

ここでもう一度、何を言いたいのかっていうと、事象に対してどう認識すればいいのかということです。物事にはいつも裏表があって、ネガティブに捉えない方がその人自身が楽になれるということです。

一般的に悪いことなんてないじゃんって思われがちのお金持ちでさえも、科学的根拠・妄想のどちらかを通して、ネガティブに認識しようと思えば、いくらでもできます。

けど、どうせ一回切りの人生を全力で楽しんで生きるために、無駄に過去に執着せずに、ポジティブに過去を認識していったほうが絶対いいと思うんですよね。

例えば僕の例でいうと、

お金がなかったから脳のおおよその発達が終わる9歳までに勉強させてもらうことができなくて、今かなり頭が悪いけど、頭が悪いからこそ「すみません〜バカなんで教えてもらっていいですか?!」って変なプライドを持たずに、スゲー勢いで学べたりします。


お金がなくて家庭環境が良くなかったからこそ、兄弟であったり、友達との複雑な環境を生き抜いたおかげで今、人の嫌がることをしなかったり、細かい気配りができたりします。


貧乏だったからこそ、どこの床でも寝れるし、どんな食べ物も好き嫌いせず食べられます。(事実ベースのネガティブな捉え方だと、美味しい好きなものを食べられなかった辛い思い出っていう風に捉えられます。)

こうやって物事の捉え方を少しイジることによって、過去の経験をマイナスからプラス自由に変換できるんですよね〜。

皆が皆、こういう考え方をしろとも言わないし、これが正解でもない。

けれど、今時代の流れを見てる感じ、「好きなことを全力でやれる」時代においては、変に物事をネガティブに捉えて生きる暇がないくらい全力で走り抜けた方がいいと思うんですよね。

あと、日常生活でこういうポジティブ思考になっていると、単に笑顔になれる回数が増えて楽しいんですよ。

ってなことで、本屋でKemio君のエッセイを読んで感化された僕でした。


マヂガラケーちっくな思考法捨てて、全力で生きていこうって、イェーイ!!!!!!!!!!!!!


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