見出し画像

動物病院のカルテ 上には上がいる

動物の扱いやご家族、特にご年配の人との接し方。

(この人には敵わないなぁ)

まだ若い獣医である羽尾先生が、つくづくそう思う動物看護師さんがいます。
ワタリさんと言います。
まだ三十そこそこの女性です。
羽尾先生と年齢は5歳しか離れていませんが、社会人としてのキャリアは10年も上です。

受付にいると、どうしてそこまで盛り上がれるのか不思議なくらい、おばちゃんとの会話が弾みます。
気難しいおじさんが彼女には笑顔を見せていた時は、(この人笑うんだ)と、心底驚いたものです。

そしてやはり真骨頂は動物と接するときです。
噛んだり引っ掻いたり、大暴れをするような犬や猫も、彼女の手にかかると借りて来た猫のようにおとなしくなります。

「動物は押さえるんじゃないんです」
診察や処置のために動物を押さえるコツを聞かれると、彼女はそう答えます。
「怖がらなくても良いようにして、落ち着かせてあげるといいですよ」
実際に、犬や猫が彼女に抱かれて安心して眠る事は日常茶飯事です。
また、とても力では負けてしまうであろう超大型犬さえも、暴れることなく彼女に身をゆだねます。
羽尾先生はコツを教えてもらった時に、宮本武蔵の五輪書か、あるいは世阿弥の風姿花伝か、とにかくこれは『動物看護師道』とも呼べる、凄いモノに接した心持ちがしました。


ある日の診察にて

羽尾先生とワタリさんとで、ウサギの診察をしていました。
飛び降りたりすると危ないので、診察室の床に座っての作業です。
草食動物は警戒心が強いのですが、ワタリさんに頭を撫でられながら、うっとりと目を閉じたウサギは微動だにしません。
「じゃあ、次は仰向けの体勢にして下さい」
羽尾先生がワタリさんに声をかけました。
しかし、ワタリさんは無反応です。
(寝てる?)
よく見るとワタリさんもうっとりとした表情で、撫でる手以外は微動だにしません。

寝ていても団扇の動く親心

そんな川柳が、羽尾先生の頭に浮かびました。
動物看護師道も突き詰めると、自分も含めた穏やかな境地に行くものか。
妙に感心してしまいました。

「あのウサギさんの方が、一枚上手だったんですよ」
診療の後、ワタリさんは照れたように、そう言いました。

この記事が参加している募集

猫のいるしあわせ

仕事のコツ

with 日本経済新聞

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?