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【ご意見まとめ】ビジネスにアート/アート思考は役立つか?

日経新聞本紙との連動企画で、アート/アート思考はビジネスの役に立つかについてご意見を募集しました。

コメントやnoteのポストで沢山のご意見をいただきました。ありがとうございました。遅くなりましたが頂いたご意見についてご紹介します。
※ 頂いたご意見は3月初旬の日経本紙でご紹介させて頂く場合があります。※
※ 本企画との連動イベントを3/4に開催します。登壇するお二人からもコメントを頂いていますのでご紹介します ※

※引用長いですがラストに僕の考えもちょい書いたので読んで欲しい※


■アートの「自」由で非常識な力

概観するとアートは概ね役に立つ、というご意見が多くありました。たとえば「アソビ」「パワー」など自由な力がビジネスの発想を刺激する、という形で。

koyoko | デザイナー・考える人
メーカーでデザイナーをしています。職場で「アート思考」はまだ聞いたことがありませんが、似たような意味で「アソビ」「オモチャ」という表現はします。いづれもイノベーションのネタになるようなものを生み出そうとする活動ですが、社会問題という重いテーマよりも、ワクワクを探すメイカーのような方向が強く、個人の自由活動という意味も含まれています。 アート思考も同様のものであればビジネスに役立つと思います。ただ自分の活動を「アート思考」というのは少し恥ずかしいです。

「自由」というのは(楽天大学の仲山学長の言葉を借りれば)自分に理由がある状態。これはダリャーさんのご意見にも通じます。

ダリャー
https://note.mu/leeday/n/nf10857060de7

そういう場合、アートでは、とことん自分に向き合うことで答えを導こうとする。何をやると自分は生き甲斐を感じることができるのか、どこに向かうと自分のコアな「欲望」を満たせるのかという問いを自分に発し、嘘偽りのない、本音の自分と対話をしなければ生命力のある作品はできない。経営理念も、それぐらいの深度があってこそ力を宿す。まさにアートに重なる部分だろう。


また、自身アーティストでもある池田真優さんは「常識を取っ払」う力が「不確実な時代」に必要とおっしゃっています。

池田真優(現代芸術家)
【アート思考はビジネスにおいて何故必要なのか】
ビジネスにおいて、不確実性が必ず伴う。ここ数年で、GAFAがITプラットフォームを席巻した。今後は、IoTやブロックチェーン、自動運転など益々技術革新が進むだろう。
一体どう変化を予測していけるのだろうか。過去の事例を基にして、画一的な思考で導き出そうとしても、問題は解決ができない。
今後必要となるのは、新しい市場を切り開いていく創造性だろう。今までの常識を取っ払い、0ベースで考えてサービスを生み出す中で、思いも寄らぬ市場が生まれる。
だからこそ、アート思考は、新しい世界を切り開くきっかけとなるだろう。
https://comemo.nikkei.com/n/n2b7864d1f82d

丸山高弘さんの「当たり前の中に疑問を抱くこと」koyokoさんの「イノベーションの起点」という言葉もまさにこのような既存の枠組みを飛び出すアートの力を表した言葉ではないでしょうか。

丸山高弘
・アートは問題提起
・デザインは課題解決
と言う大前提に立てば、アート思考は個人の問題から社会の問題まで、問題の内容の大きい小さい、深刻さの浅い深いにかかわらず「何がいま問題なのか」「何を今問題と捉えているのか」を顕在化させる力があると思います。見て見ぬ振りをしないで凝視して表現すること。臭いものにしている蓋を取ってうちわであおぐこと。大衆の空気に流されず何でだろうと考えて表現という形の質問をしまくること。「アート思考」は当たり前の中に疑問を抱くこと。
koyoko | デザイナー・考える人
この中からアート思考にとって重要なポイントは「感情の吐露」「ルール外し」「ブルーオーシャン取り」の部分です。
この3つによってイノベーションの起点になることができるからです。
https://note.mu/koyoko/n/n3e918332a583


また、ぐっさんさんは、アートは役立つはずであるものの、それだけでは足りない、と指摘します。

ぐっさん | グローバルビジネスプランナー
毎週美術館に通うほどアートが好きなので常日頃からビジネスに活かせないものかと考えています(職業はIT系)。ビジネスはどうしても言葉にすることが求められて、構想を言葉にしていく内にだんだん面白味がなくなっていってしまいます。基本動作としてイシューから始めよ、とありますが、イシューからロジカルシンキングで組み上げていくのではなく、「アートから始めよ」ということで、「このドカーンと来る感じ」「この得体の知れないパワー」など言葉を超越したところからビジネスを作り上げる手法が確立すればアート思考は現実的になると思います。その実現を助けてくれるのはまさにAIだと思います。ドカーンと来る感じ、やこの得体のしれないパワー、など頭の中にある「絵」を、AIがモニターなりに可視化されたアウトプットとして出せるようになれば、理屈を超えて構想を弾ませることができるようになると思います。実際に絵を描くのがうまくなくても、頭の中では素晴らしい世界観を持っている人がたくさんいますので、上述の通りそれをサポートする術が生まれればアート思考は現実のものとなると思います。

この「アート思考」を「サポートする術」としてぐっさんさんが挙げているのは、(それを発信する)「メディア力」や「ロジカル思考」です。

ぐっさん | グローバルビジネスプランナーhttps://note.mu/life_design/n/n8bbb1f0e4666

これは僕も重要だと考えていて、「アート思考」「デザイン思考」「ロジカル思考」は対立するものではなく相補的なもしくはフェーズによって相補的なもの、だと思います。(このあたりは本記事のおわりにもちょっと書きます)


■アートとデザインって違うの?

このように、「アート思考」を論じるなら「ロジカル思考」「デザイン思考」との関係を抜きには語れないのですが、武田敦さんはアートと隣接し、混同されがちなところもあるデザインとの比較についてコメントを寄せてくださいました。「アートー自己vsデザインー他者」という対比はデザインが課題解決であるのに対し、アートは内発的衝動であるということと関連します。面白いとおもったのは受け手の「感動vs共感」という分析です。たしかにアートはデザインの快適な「共感」をも超えた(時に不快ですらあるほどの)衝撃を与えることがあります。僕自身は「自分の中にないもの」というよりは(ラカンのle Réelのように)「自分の中に本来あったが予め失われている、もしくは触れられないもの」を引き出すのがアートであると思っています。

武田敦
アート思考とデザイン思考のビジネスにおける有用性を検討するには、アートとは何か、デザインとは何かという問題が避けて通れません。確立した定義もなく難しい問題ですが、レイヤーごとに落とし込んで自分なりの考えをまとめることは出来そうです。
▶視点(アート)自己の見たものを表現(デザイン)他者の見るものを表現
▶観察(アート)自己を観察(デザイン)他者を観察
▶感性(アート)対象物を自己の感性で表現
   (デザイン)対象物を他者(パブリック)の感性で表現
▶受け手(アート)感動・・・自分の中にないものに気付く喜び
    (デザイン)共感・・・自分の中にあるものに気付く喜び
 このように考えると、他者との関わりを重視するデザイン思考がビジネスに有効な事は明らかです。一方で、アートには、感動という強力な武器があります。アート思考をビジネスに用いることは、外れも大きいかわりに当たりも大きくイノベーティブなアイデアになりそうです。アートの発見をデザインで検証する作業が必要だと思われます。


■「アート思考」は使いどころ次第

僕も近い考え方をしていますが、「アート思考」「デザイン思考」「ロジカル思考」はそれぞれ適している段階や向いている仕事があり、それに応じて使い分ける/補い合うべきという方が多くいらっしゃいました。神田雄大さん、おしりたんていさん、Kazuhide Hasegawaさん、Makoto MizusawaさんAtsushi kainumaさん、そしてイベントでもご一緒するYUKO NAKANISHIさん、ありがとうございます。

神田雄大
ちょっと調べてみました。
アート思考は「why」、デザイン思考は「how」を求めるとありました。
ただ、20世紀初頭のバウハウスのようなデザイン運動はアートとデザインがコンビでした。
ドイツではいまだにバウハウスの系譜は残っています。
なぜか、それが経営メソッドになるとアートとデザインが違うものになる。
どこのデザイン学科でもアート学科でも美学が基本です。
whyだけで発想しても、howがないと経営は成り立たないです。
ただし、ロジック思考は結局、データ分析・統計手法を正しくやれば、結果が似てくるのでユニークな経営戦略は描けません。
逆に会計管理はロジック思考でやるべきです。
すっとんきょうな結果が出てくるのはインチキロジック思考です。
資金調達やCFの管理にマジックはないです。
そんなことをしていたら財務三表を企業ごとに読み変えることになり株式市場が成り立ちません。
経営ポリシーを考える上ではアート・デザイン思考が正解でしょう。
アートでコンセプトを考え、デザインで形にする。
ところでいわゆる戦略コンサルティングが下火になってから、新しいメソッドが多く出てきますねぇ。
内容はうろ覚えですが、大前研一氏の戦略参謀で書かれた手法が古くなって、20世紀のGEのような内部完結型の企業がないですからね
AGFAで戦略参謀は役に立たない。
アンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)は管理会計を当時のメインフレームで実現した。
おしりたんてい
仕事をしている時も、アートに携わっている時も個人として向き合い方に違いがないですが、アート思考が役に立つかどうかは産業・組織の売上の計上実態(予算)と意思決定の自由度(裁量)に相関しているように感じます。マーケや開発系の企業・部署(広告、放送、新規事業など)であればアートのような業務が多く、個人の裁量それ自体が売上に直結しアート思考は役に立ちますが、法律など他からの制約影響度が高い企業・部署(金融、メーカー、下請け系など)に関しては業務方法が固定的で権限によって細分管理されており、意志決定の自由度が低くアート思考は役に立ちにくいと思います。また産業・組織の特徴からの影響はあれど、組織のベーシックな部分としてPDCAが組織全体として前向きに回っている企業は、個々人が工夫して業務に取り組むインセンティブ(裁量等)が発生しやすくアート思考が役に立つと考えます。言い換えれば、個々人が安全・安心に工夫して売上が伸び、その結果がきちんと短中期的に還元される風土であれば役に立つと思います。※ここでのアート思考は、様々な情報をもとに、他の人の役に立つ表現をすること、もしくはブリコラージュすることを想定
Kazuhide Hasegawa
ビジネスにアート/アート思考は役立つと思いますか?
私は役立つと思いますが、ビジネスパーソンがアート思考を学んだとしてもすぐにアーティストのようになれるわけではありません。
私は、現代アートのコレクションや現代アートのイベントの企画をしていて、多くのアーティストと交流しています。彼らと話をしていてびっくりすることは、私には思いもよらない発想で社会を捉えていることです。その発想で作品を制作し、社会課題を提示しているのです。これは、アーティストとしての感性を磨き続けているからこそ得られることです。
一方、産業界では画期的なイノベーションが起こりにくくなっています。その原因の一つが、テクノロジーが進展し、解決すべき課題が見出せなくなっていることが挙げられると思います。
そこで、アーティストが独自の視点で提起した課題に対し、産業界がソリューションを開発していくというコラボレーションの形が考えらます。
ここで大切なのは、アーティストに、製品になりそうなものを創ってもらうのではなく、あくまで課題を提起してもらうことだと思います。
Makoto Mizusawa
ビジネスにアートは役に立つかどうかはその人の立場による、となるかと思います。
アートとは自分の視点から見えたものを自分の中で昇華して表現することと思いますが、これは、ビジネス、特にクリエイティブクラスであれば、そのスキルは非常に重要になりますが、クリエイティブクラスに該当する方はごく一部。
ほとんどの方はホワイトカラーかブルーカラーでしょうが、ここに該当する方々にアート思考が必要かといえば、基礎教養以上の意味は持たない気もします。
アートの本質は、この視点移動と捉えたものをどう表現するか、それを昇華させる部分にあり、いかにしてそこで発想の飛躍ができるかにありますが、これはビジネスにおけるイノベーションで同じことが言えて、社会のどこに着眼して、どう解決策を導き出すか、そこにどういった発想の飛躍が出来るかと言うところにあり、それぞれの思考回路は似ているように思います。
これを必要とする立場なら必要だし、必要としない立場なら必要ない、、のではないでしょうか?
Atsushi kainuma
サービス・プロダクトを作るときのプロセスとして、こんな関係になると考えています。
1. アート思考:表層化していないテーマ・課題の発想・提起
2. デザイン思考:テーマ・課題に対する解決策の発想・提起
3. リーン/アジャイル:解決策が正しいかをイテレーティブに構築・検証
1の段階ではビジネスのスケーラビリティを考えていないので、2,3であまりスケーラブルでないと判断したら1に戻る、という感じではないでしょうか。
YUKO NAKANISHI
こんにちは。登壇者の中西裕子です。若宮さんと市原さん、そして、3/4に会場にいらっしゃった方々とお話しできることを楽しみにしています。
さて、「アート思考とはなにか?」という問いについて、なんとなく私が感じているところは、ロジカル思考、デザイン思考、アート思考で、①主観と客観の織り交ぜ方のバランスが違うという点、②その思考で考える範囲や定義のされ方/仕方がそれぞれ違うのかなと思っています。
そして「不確実性の時代にアート思考をどう活かすか?」につながることかもしれませんが、私が日々仕事で向き合っている「美」というものも、全員にあてはまるただ1つの正解があるわけでもなく、新しいとらえ方や表現をすることで、もっと世の中をよりよくできるのではないかと思っています。不確実性の高い時代の中で、人や自分を幸せにする解をたくさん作りだすことを楽しむためのツールとしてアート思考は有益なのかもなと今は思っています。

■「アート思考」は特別じゃ、ない?

Wasiscaさんは「アート」はそれほど特別なものではなく、そもそも誰もがアーティストであり、役に立たない理由はない、といいます。このあたり、「アート」の定義というのはやや漠然としているところもあるので丁寧な議論が必要そうです。

Wasisca
役に立たない理由が見当たりません。生命を持ったものは全てアーティストだと思っています。江戸時代の人たちの思考、仕事の仕方、生き様は全てアートだと思っています。
アートは分野や領域に括る事出来るのでしょうか。日本のコーワカースペースというのはとっても日本人らしい考え方だと思っています。海外では子供がちょこまかしてるカフェでも打ち合わせをします。人間の耳は聴きたいことだけを拾うと聞きました。うるさくても集中できるんです。その中に入ってくるスパイスがまたビジネスアイデアに繋がるのではないかと思っています。ビジネス=マンションが買える金を稼ぐというのが焦点でしたら、定かではありませんが、お金基準で他人に賞賛されるためだけのビジネスの話をしていない限りは、アート思考がない人は経営が出来ないと思います。空間デザインもアートの一部ですよね?自分に従ってもらう空間を作る事もアーティスト性が必要だと思いますし、企業拡大するにしてもロジックな数字と照らし合わせてビジョンが必要になると思いますが、ビジョンを見るのはアート思考が働いていると思います。

一方、牧田さんは「アート思考」も他の思考と大差なく、ビジネスにおけるファッションに過ぎない、と断じています。

牧田 幸裕 名古屋商科大学ビジネススクール 教授
https://comemo.nikkei.com/n/nd2978204c248

不確実性の時代に何らかの解を得るために、価値を創出するためにロジカルシンキングは論理的に考える。アート思考がどのように考えるかは知らないのだが、不確実性の時代には(というか、ビジネスって確実な時代は一度もなく、古来よりずっと不確実な時代の中頑張っているのだが 笑)ロジカルシンキングも当然求められるものであり、必要性という点では変わりがない。
そう考えると、アート思考も論理思考(ロジカルシンキング)も目的、動機、必要性ともに変わりがないのである。では、何が違うのか?それは、流行のタイミングだ。

これはビジネスを長く見てきた方だからこその視点で、こういう振り子というのはたしかにあります。集中⇔分散、自前主義⇔M&A、などもそうですね。たしかにその通りなのですが、僕自身はその振り子というかファッションが「なぜその時、そのように変化したのか」というモメントをとらえることも大事だと思っていて、やはり「アート思考」が”今”求められていることには意味がある、とおもっています。

美味しい氷さんも「言葉遊び」とコメントをしていますが、「アート思考」がなにか新しさをもつ思考法なのか、ただのバズワードに過ぎないのか、こういう視点もいただけるとディスカッションが深まります。

美味しい氷
デザインは多くの人を喜ばせるために アートは自分のためにだったのになんか人が喜んでるという意味の気がしていて、アートのタネの時点でビジネスを見つける能力がビジネスパーソンにあるかってことが先で、ないから言葉遊びでここにきた感じがするな。


■グローバルではもっとアートを活かしている?

俯瞰的な視点としてUedaさんは日本を海外と比較し、日本はその活用が遅れている、というご意見をくださいました。ある活動の価値について考える際、違うエリアと比較するのはとても有用で、気づきをもたらしてくれます。

Yuzo Ueda
アーティストが集まればお金(ビジネス)の話をしたがり、企業家が集まればアートの話しをしたがる。
まず日本型の企業と欧米型の企業の大きな違いを確認する必要があるかと思います。特に銀行関係を見てみるとオランダでは全ての銀行にアート作品の購入を義務づけています。そしてDeutsch Bank(ドイツ銀行)では本社がフランクフルトにありますが、この本社には膨大な作品がコレクションされているのです。Deutsch Bankでは専属のキュレーターを雇い常に管理し、作品を購入し、コレクションしています。フランクフルトの2つのオフィース棟(Tower A)にはGermany、Europeのコレクションもう1つのオフィース棟(Tower B)にはMiddle East / Africa、The Americas、Asia/Pacificのコレクションをしているのです。本社だけでなく東京やニューヨークの各支店にも各地域のアーティストの作品を購入し、オフィースやロビーに展示しているのです。
では何故Deutsch Bankはこんなにもアートに力を入れているのでしょうか、簡単に説明すれば、アートをコレクションすることはビジネスの一環であるということです。かと言ってDeutsch Bankが作品を売買したり、オークションに出品して利益をあげるというわけではありません。作品をコレクションすることでその地域の人々の考えや、生き方、精神について学ぶことが多いのです。アートはその時代の精神を最も反映し、人々の生きかたに影響を与えているからです。アートを知的財産と呼ぶことも知識や価値が人々の生活を豊かにさせるという「人間の価値基準」を知ることができるからだと思います。
お金は価値であり、人間が作ったルールです。お金は世界中に共通する価値でもあります。アートも同じく人類共通の普遍的な価値であり、アートはイノベーションであるという価値=物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」つまり「価値の創造」であること、すなわちこのアートによる「価値の創造」がこれからのビジネスには特に重要な価値をもたらす。
現在世界でもっとも重要なイノベーションによるビジネス、GoogleやAmazon、Facebook、Twitterは世界中のマーケットで「新しい活用法」と「価値の創造」をビジネスにしている。
「アート思考」とはまさしくイノベーション(innovation)そのものであるという考えだと思います。ナショナリズムや政治、人種、言語を超えた多様な価値感を受け入れて、多様なグローバルで普遍的な時代の精神を思考することが「アート思考」と呼ぶのではないのでしょうか。
https://dbcollection.db.com/kunst-in-den-tuermen/en/#/start/1
アートやアーティストという呼び方自体をもう変えてみる必要があるかと思います。日本ではミュージシャンやタレントをアーティストと呼びますが、こんな呼び方をするのも日本だけです。私はアートとは既成概念に囚われないもの、新しい価値観、新しい哲学であると考え、アーティストをグローバルプレイヤーズ(Global Players)と考えています。グローバルプレイヤーズは全ての国に属さなく、全ての国に属し、全ての国で活躍できる人だと思っています。個人的な世界の中だけでものを作っている人ではなく、新しい価値観で世界を変えた人と思っています。となるとスティーブ・ジョブズもビル・ゲイツも大阪なおみも錦織圭もグローバルプレイヤーズで、ダミアン・ハーストもジェフ・クーンズも村上隆もグローバルプレイヤーズなのだ。という風に同列に考えることが「アート思考」ではないのかしらと思う。 GLOBAL PLAYERS curated by Yuzo Ueda http://galleryq.info/past_projects/deutsche/index.html


■アート側の観点から

来月クロストークをさせていただく、メディアアーティストの市原えつこさんからもコメントをいただきました。市原さんはアートのビジネスへの活用法のみならず、逆にアートにとってビジネスの観点も必要、という視点をくださっていたり、赤澤岳人さんもアートサイドを鼓舞しています。僕も同じような課題認識があり、アートとビジネスをつなぎ相互に触発できるような活動を始めているのでこの辺もイベントでぜひ話したいところ!楽しみ!

市原えつこ(メディアアーティスト)
若宮さん、3月のイベントではご一緒できるのを大変楽しみにしております!メディアアーティストの市原えつこと申します。
>「社会課題の解決」や「市場ニーズ」を超えた内発動機、原体験
こちらのくだり非常に共感で、社会を構成する一人ひとりの顔が見える属人化の時代になっていくにつれ、ビジネスの世界でもプロジェクトの発起人がもつ「その人からしか生まれ得ない強い動機」や「ストーリー」、「絶対に枯れない泉=初期衝動」といったものは世の支持を得る上でますます重要になっていくだろう、という肌感が私もあります。
逆に「アート」の世界でもビジネスの考え方は非常に重要で、若宮さんの仰るそれぞれの分野のムラ化と分断は私も問題視しているところです。
アーティストも仙人のように生きてるわけではないので、資金調達・契約関係・交渉・売り込みなどなど、お金やビジネスのことはどうしても付きまとってくるため、一人で会社を経営しているような状態に近しいと感じることが多くあります。
アートとビジネスは世のイメージほど分断されているものではなく、それぞれ親和性のあるものだと感じています。
またアーティストというと、ゴッホのような「清貧」を体現したような生き方で、生前は評価されず死後評価されるようなタイプの方ももちろんいらっしゃいますが
クリムトのように生きてるうちから野心をもってセルフブランディングを行い、生前からサクセスしたある種ビジネスマン的なアーティストも多くいたようです。
日本の風潮だと「アーティストは純粋であるべき、お金にがめついのは良くない」という言説が強い気がしますが、クリエーターにとってお金は非常に大事なので(資金は制作活動の基本になるガソリンで、あればあるだけ面白いものが作れるので……)相互にノウハウ・メソッドの流通がなされるとビジネスの分野・アートの分野ともにヘルシーになりそうです。
……などなどお話したいことは尽きないので、3月のイベントでお会いできますことを楽しみにしております!w
赤澤岳人(アートの会社「株式会社OVER ALLs」代表取締役社長)
アートはビジネスに役立つか、という問い。
少し変えて、テレビはビジネスに役立つか、と言い換えれば、どうだろうか。
テレビには頭を空っぽにして笑うだけのバラエティ番組も、ニュース番組も、経済情報番組もある。
アートだって同じなのだ。
アートにも、アマチュアやプロ、ただ自己表現のためのもの、空間や時空の切り取りを楽しむようなもの、様々なものがある。
その中で、弊社がやっているようなプロアーティストによる「企業理念を絵にする」アートは、
間違いなくビジネスの現場で役立っている。
というより、弊社の場合はアートそのものがビジネスとして、サービスとして成立している。
http://www.overalls.jp/business.html
そんな、プロのアートもあればアマチュアのアートもある。
ただ、それだけのことなのだ。
アートがビジネスに役立つか?
この問いが成立する時点で、アートがいかにこの国ではまだまだ特殊なもので、
プロアーティストの存在が認識されていないかを思い知らされる。
これは、120%、弊社も含めアーティストサイドが弱いことが原因。
ビジネスの世界でアーティストを名乗って、社会人として胸を張れる人間は、国内にまだまだ少ない。
朝起きて、挨拶して、ビジネスマナーと納期と契約条件を守って。
そんなことしたくないからアーティストになった、って人間が多い。
逆だろ。
自身のアートを世に出すためなら何でもします、だろ。
好きなことで食っていこうなんて思ったんだ、多くのビジネスマンの方がやっていることもやってのけて当然だ。
そんな強いプロアーティストが増えれば、この国はもっとアートが溢れ「楽しい国、日本」になる。
だから、自分たちがまずは強くなる。
そのために私は、弊社は、今日も戦っている。


■その他のご意見

Mew2
かのダヴィンチも時の権力者がパトロンであり、常に芸術は時代の富と権力と切っても切れない関係にありました。ボヘミアンクラブは欧米の支配階級の芸術愛好秘密クラブと伺います。経済と芸術、哲学の関係は奥が深い。。。
例えば、ルネサンスは過去現在未来を繋ぐ、イノベーション時代ですが、この時代を芸術を軸に捉えると、会社での試練も前向きに対処できると思います。日本は型の文化で、型にはまっていれば安心というのは昭和の高度成長期、終身雇用の時代であり、今はルネサンス期のように、伝統を元に世界に目を向けざるを得ないのだと思います。
tomo_asobe
出た〜、"アート"だの"クリエイト"だの、"スタートアップ"だの"meet up"だの、そんなフレーズを語る時の、なんとなく斜に構えたブログの文章〜。
本間 充(アウトブレイン顧問/アビームコンサルティング顧問)
はい、まだまだ「アート」「アート思考」はビジネスに有効です。
その理由は、ビジネスの通常のコミュニケーションには、まだ語彙として不足があるからです。
近代のビジネスは、きわめて客観的、論理的にコミュニケーションを行います。これは、近代ビジネスは、近代の数値を明確にするマネージメントを活用しているためです。このことは、近代のビジネスにとって大きな貢献を行っています。
一方、私は数学も専門にしていますが、まだ世の中には「数」にならないことが多いのです。例えばギターの「ド」の音は、周波数は決まっており、表示可能です。しかし、同じ「ド」でも、「固い」「やわらかい」「響く」「優しい」「透き通る」などの感覚は、まだ明確な数値にはできません。
つまり、「アート」の語彙の方が、ビジネスで使い語彙よりも広い部分があるのです。
常にいつでも「アート」と「サイエンス」の往来が重要なのでしょう。
MQF9
アート思考などの新たな発想を支える基礎が、今の日本に足らないのではないでしょうか?
例えば、二件のシンドラーエレベーターの死亡事故は、欧米、とりわけ、欧州と日本との安全に対する姿勢の違いを物語っているように思います。
港区での事故は、十年にも及ぶ 裁判の末、港区と被害者家族との間での示談に終わっています。
一方、金沢市での事故では、石川県警は六年以上経っても、事故の捜査を終結させることが出来ていません。
つまり、日本は欧州の厳しい安全基準に適合したモノ作りが出来る一方で、日本の安全基準に適合する程度の製品を作っても、それほど安全でもなく、法律で守ってももらえない、ということなのです。
では、消費者や労働者を守らない日本は、クリエイターにとって、有利な国といえるのでしょうか?
シンドラーエレベーターのその後を思い出してください。激しくバッシングされ、日本から撤退するしかなかったのです。
その点で、日本のクリエイターが国際展開を図る場合、最終的にプロダクトが生じるなら、欧米の安全規格などをリサーチしておくべきかと思います。


■最後にちょっとだけ僕の考え:フェーズとADLループ

みなさま、多くのご意見本当にありがとうございました。最後に、僕の今の考えを少し書きたいと思います。コメントを多数頂き引用でもここまでで12,000字を超えていますので、2スライドだけ。詳しくはイベントでもこの辺の話をしますので興味を持っていただけた方ははぜひ、3/4のイベントへおいでいただけたらと思います(宣伝)。

コメントでも多く頂いていたように、アート思考/デザイン思考/ロジカル思考はどれが一番えらい、とか、ロジカル思考はもう古い、とかいうものではなく、それぞれ得意な対象領域やフェーズがあると思っています。

これは不確実性の度合いに関係すると思っていて、たとえば赤ちゃんと22歳とではどんな将来を歩むか、の不確実性は赤ちゃんの方が高いですよね。将来の予測可能性が上がるほど、顕在的な課題を解決するMECEやPDCAをつかったロジカル思考は効果的になります。一方で課題そのものがよく分からない状態、不確実性があがればあがるほど、それでは太刀打ちできなくなります。モノをつくれば売れた「工場」のパラダイムは予測可能性が高くロジカルな打ち手が奏功しますが、モノが飽和した成熟市場であり、かつ変化のスピードが以上に早いVUCAの時代には、アート思考が必要とされてきます。


また、これは「体験の深度」にも関連すると思っています。

アートとデザイン、ロジカルを比べると、ロジカルがもっとも伝達効率が高くなります(ロジックは直接でなくても遠くまで届く)。一方で、ロジックだけでは記号的になり、体感や熱量は伝わりづらくなります。(ロジックの集大成たる六法全書を読んで感動する人はほとんどいません)

これは「プレゼン」をイメージするとわかります。ロジックは大事ですが、それだけではなく共感を得るプレゼンには身振り手振りのような五感への訴えかけが大事です。ロジックは例えばプレゼンに立ち会えなかった人にも資料だけで伝わりますが、共感はその場にいないと伝わりづらいでしょう。これがロジック思考とデザイン思考の相補的関係であり、両者は「伝え方(how)」の技術です。しかしどれだけそういうテクニックを身につけても、そもそも伝えたいこと(why)がないプレゼンは空虚です。本当に伝えたいこと、その最も熱いなにかを抽出するのがアート思考だと思っています。

赤ちゃんは衝動のままに生きていますが、我々は大人になるに従い、学習によって記号的世界に移っていきます。そして大人になるとほぼ記号的な世界の中だけのループで生きているのです。マニュアルや肩書き、KPI、etc.を通して世界をみるようになり、これは効率的である反面、熱量が低く、個の力やUXの質的な部分の多くを捨象しがちです。UU(ユニークユーザー数)として数えると同じ1でも、その質や熱量は全く違うのです。

優れたデザイナーは、そのような記号的世界からもう一歩深いところに入り、潜在的なインサイトを掴むところまでループを拡張します(=デザイン思考)。またアーティストは子供のように(それがたとえどんなに非合理に見え理解されず孤独であっても)自分の衝動に真摯に向き合い、研ぎ澄まし、行動するのです。

このような衝動は時に記号的世界と背反してしまい、非常識に見えることもあるでしょうし、アンチテーゼや問題的にもなり得ます。

衝動は非効率で、記号は効率的です。

学生時代、同級生に記号論を研究していた女性がいたのですが、彼女は駅を歩くとき記号をみると、普通の人は気に留めない記号のディテールの違いやその意味を考えこんでしまい、何時間も動けなくなってしまう、と言っていました。日常生活をスムースに送るには「記号としてスルー」できることも大事なのです。UUが1万人を超えた時、1万人それぞれの人生に想いを馳せていては事業は進まないでしょう。ですので、多くの「大人」はそれをかっこに入れてスルーしながら生きており、五感や自己の衝動に向き合う瞬間というのは実は多くはないのです。

ただ、ずっと「記号としてスルー」していると体験や内的衝動のエネルギーが希薄化してしまう。このような希薄化が進行し、ムーアの法則で何倍にもアンプリファイされたのがここ50年かもしれません。ロジカル優位で記号世界のループを続けてきた結果の体験や衝動の希薄化、その懸念が高まってきたことも「アート」を求める機運が同時多発的に高まってきた理由の一つではないかと考えています。

などなど。こういうあたりの議論をしたい方はぜひ↓においでくださいませませ!



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