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「おわり」のすゝめ。あるいはバトンをつなぐということ

「おわり」をテーマにしたこんなイベントが今週2/17(日)まで東京・表参道で開催されています。

実は、アートの正客となるべく活動している一環で、このイベントのビジネス周りやマーケティングのサポートをしているのですが、プロジェクトにスタッフとしてまたゲストとして立ち会ってを通じて思ったことについて書きたいと思います。ちょいエモ


文化をつないでいくこと。

『裏参道フェス』の初日は、渋さ知らズなどのヴォーカルとして活躍する、玉井夕海さんのパフォーマンスから始まりました。演劇的で、玉井夕海さんの儚くも伸びやかな歌声が印象的なパフォーマンスだったのですが、その最後に玉井さんはこんなメッセージをおっしゃっておられました。

「今回のライブパフォーマンスはあえて無料にさせて頂きました。今日ここにきて立ち会ったものの価値、それが千円か1万円かはわからないけれど、このパフォーマンスにもし価値を感じてくれたら、その分のお金をもって、どうか他の、まだ聞いたことのない音楽や、見たことが無い絵画や映画や、読んだことの無い本に出会いにいってください。このパフォーマンスがそんな、文化をつないでいくきっかけになったらうれしいです」

もちろん録音していたわけではないので大体の記憶ですがこんな感じのメッセージでした。

僕はこの日、そのパフォーマンスを観に家族で行っていて、このメッセージをきいて、なんというかとても温かな気持ちになりました。

この時まだ小学生の娘2人も一緒だったのですが、彼女たちにとってもこのメッセージをもらえたことはとても素敵なことだったと思っています。

以前こちらの記事でも書いたのですが、僕は「文化」というのは消費され、なくなってしまうのではなく、育くみ増やしていくべきものだとおもっています。だからこういう風に新しい文化との出会いのきっかけが増えていくというのはとても素敵だなと。「ペイ・フォワード」のように、文化から文化へとつながっていく。


「おわり」とはバトンかもしれない。

こちらのプロジェクトでは『おわりのことば、』展という展示会もやっていて、そこには訪れた人たちが「おわり」から連想する言葉を蔦のようににどんどん書き足して壁を侵食していきます。

さて、何という言葉を書こうか、と思った時、ふと「バトン」という言葉が頭に浮かびました。

玉井夕海さんのパフォーマンスは、おわることで次の文化との出会いへとバトンを渡してくれました。会場となるアパートはまもなく取り壊されますが、そこはまた新しい建物に変わり裏参道の新しい文化をつくっていきます。


「おわる」というと袋小路のような、ぷつんとしたendをイメージしがちですが、じつはそこでは途切れてしまうのではなく、かならず次の何かへとつながっていくのであり、そして次のつながりは、「おわり」がなければ生まれないのです。


そういう意味で、「おわり」はバトンのようなものかもしれない。僕はそのおわりのことばの壁に「バトン」と書いてきました。


ちゃんと「おわり」をする。

バイオテクノロジーが進歩して、いつか人間は不死を手に入れるでしょうか。「死」も、そんなバトンの一つなのではないかなと思います。(このアートプロジェクトでは主催のmizhenが演劇作品も出展していたのですが、その作品も「死」がテーマでした。おわらせること、ふいにおわること、つなぐ、ということを思う独特の寂しさを纏った女二人劇です。)


死生学的なことをいうと、「死の感覚」というのは実は時代によって変化してきました。近代社会以前においては死はもっと身近で、生の一部のようなものであったでしょう。日が昇り沈むようなもので、「バトン」という感覚もそれに近いかもしれません。近代になるに従い、人はおわりを制御するようになり、死はスイッチのように繋がりというよりON/OFFの断絶のようなものになってきます。


僕はもう長いこと新規事業をやってきているのですが、新規事業は打率1割なら上出来、というくらいのもので、たくさんの事業をおわらせてきました。

事業を実際に立ち上げた身としては、やっぱりおわらせる、というのはなかなか辛いものです。どうにか続けれないか、と考え終わらせないようにあがくものですし、またおわった事業については「失敗事例」としてあまり触れたくないとおもってしまったりします。

でも、ちゃんとおわる、というのはとても大事です。それによって新しいことが始まりますし、「おわり」から目をそらさず受け止めた方が次に繋がります。逆に「おわり」を厭うと過度に保守的になったり、現状を守るために誰かを攻撃したりして閉塞してしまいます。「死」や「事業のおわり」、「関係のおわり」ということについても、上に書いたように「バトン」のようなものだと少し気持ちが軽くなるような気がします。

そしてまた、「おわり」のその次に思いを巡らすことで、どう次にバトンを渡すか、と前向きに「おわり」の価値を考えられる気がします。そんな風におわれてこそ、「おわり」が無駄にならず、その価値を最大化できるのではないでしょうか。(おわったものの価値をきめるのはそれがなににつながったか、です)


deadendではなく、つながりの起点。


いたずらに「おわり」を恐れずそのバトンをちゃんとわたすこと。段々歳を重ねてきて、だからこそ必要以上に続けることに執着せず、ちゃんと「おわる」。そんな風にこれから生きていけたらいいなあ、と思いました。



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アートプロジェクトは2/17(日)で「おわり」を迎えます。プロジェクト終了の翌日から会場となったアパートは取り壊され、二度と同じ空間は体験できません。お近くの方は週末ぜひ立ち寄ってみてくださいね



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