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作家が「自分だけの言葉」を見つけるということ

 僕は「つかこうへい」という劇作家・演出家に育ててもらいました。つかさんの芝居が好きで、入った劇団。その稽古場では、つかさんがその場で、怒濤のごとく新しい台詞をつけていきます。それをその場でパソコンに打ち込んでいったり、手書きで直しを入れたものを打ち直したり、必要な資料があれば調べたり…。その中で、つかこうへいの芝居作りを真横で見て育ちました。

 つかこうへいの言語は特殊です。極めて平易な言葉で書かれたセリフでありながら、強く、鋭く相手の心に突き刺さります。あくまでも主体は「役者の持つ、人間のエネルギー」であり、シンプルな言葉を媒介にそれを相手に叩きつけるのです。(もちろん、それは巧みな構成あって為せるものであり、ただテンションを上げてしゃべればそうなるわけではありませんが…)

 これはキマるととても気持ちの良いもので、そのキマる芝居にはまってしまうと、麻薬のように抜け出すことが難しくなります。

 はたして、僕もそうでした。

 自分の作品を書いていても、ついキメたくなってしまう。この「つか言語の呪縛」から逃れようと思っても、そもそもそれが好きで芝居の世界に来ているので、逃れがたい。

 しかし、自分の言葉で書かなくてはならない。つかさんが亡くなったとき、僕はその決心をつけました。それは作家として当たり前のことであり、それが「お前は文章が書けるから本を書け」と言ってくれたつかさんに、応えることでもあると思ったからです。

 そこで、この呪縛から逃れるために、僕はあえて「つか以前」の固い言葉を多用することにしました。もともと、日本語の響きが好きで、できる限りきれいな日本語を使っていきたい、という思いはありました。固い言葉を使うことで「つか言語」から離れ、「熱量を叩きつける」テクニックは残し、「言葉の美しさ」を場の昂ぶりにつなげていく…。

 言うは易しですが、固い言葉は役者がしゃべりにくく、感情も乗せにくい。物語の構成とのバランス、観客の観やすさ、何から何までが新しい挑戦であり、試しては壊し、試しては壊す。ここ数作品は、ずっとそのトライアルの繰り返しでした。

 作家である限り、自分にしか書けない言葉で、作品を描きたい。当たり前の欲望だと言えますが、それを見つける道のりは、なかなか遠いものです。
 今回も、新しい挑戦をたくさん戯曲に折り込みました。それが吉となるか否か…。どうぞ見届けてやってください。

[公演情報]
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9PROJECT vol.10「異ノ邦ノ人へ」

作・演出= 渡辺和徳
出演=高野愛・相良長仁(北区AKT STAGE)・中村猿人(劇想からまわりえっちゃん)・白神さき(タンバリンアーティスツ)・農坂夢香

日程=2019年9月12日[木]~16日[月祝]
木・金/19:00 土/14:00 & 18:00 日月/14:00
会場=キーノート・シアター(荒川区西日暮里1-1-1-B1F)

公式サイト=https://www.9-project.net/vol10


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