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3人の先生~学生時代のお話~

人生を変えた出会い、とまでは行かないけれど、自分の人生にある程度以上は影響を与えたと思う3人の先生がいる。思い出しながら、これらの先生方と自分の学生時代について、いろいろ書いてみようと思う。

1:中学の時の国語のS先生

確か1年の頃の担任の先生で、以後も度々お世話になった人だと思う。一言で言えば非常に砕けた性格の先生で、2年・3年次に担任になった数学のI先生に比べるとずっと話せる先生、という気がしていた。I先生はハッキリ言うと嫌いな部類の先生ですらあったが、S先生に限るとそんなことはなかったと断言できてしまう。
出会った当時はそれなりのおじさんだったと思うけど、どういうのか、それなりに気は若い先生だった。音楽が好きとかアニメが好きとか特撮が好きとか、そういうことは一切なかった先生だが、とにかく気分だけは若いという面を見せてくださった先生で、自分もこの先生からは名前でなく当時の渾名で呼ばれることが多かった。授業も楽しかったような記憶しかないし、当時の自分が国語の授業を何となく好んでいたのも、この先生の影響に因るところ大だと思う。
ただ、別に何くれとなく相談に乗ってもらったとか、そういう経験はない。ただ、この先生はわりと自分の中では信じられる大人の人、という印象だけは強く残っていた。
中学で最初にこの先生に受け持ってもらったことを、今でも実はずっと感謝してさえいる。この砕けた性格の先生からは有形無形の主に精神的なものを与えていただいたと思っている。
もう恐らく今の時点ではご存命ではないと思うけど、せめてもう一度会ってみたかった。そして、できればあのフランクな語り口で自分のあの頃の渾名を呼ばれてみたかった。

2:高校の時の国語のN先生

こちらは逆に高校の2年・3年次を担任された先生。やはり国語の現代文の教師であった。
この先生には大変にお世話になった。実を言うと、自分は高校の特に1年次は進学クラスにいたが、そこでの勉強がどうにも性に合わなかったので、2年次以降、一般クラスに移っているのだ。
ただ、2年次の秋頃にかけてだと思うが、一部の(思い当たるのは女子だと思う。男子生徒にそんなことをする連中はいなかったと断言すらできる)生徒から執拗ないじめを受けていた。
肉体的に直接的な暴行を受けたとかそういうことは一切ないが、「バカ」だの「アホ」だの「〇ね」だの、そういう言葉の暴力を机や学生服に落書きされたり、そういうのが続いたので、だんだん学校に行くのがバカらしくなって、しばらくサボっていた時期があった。
朝は普通に出て行ってたけど、学校には行かないで適当な場所をぶらついていた。田舎でそんなことすりゃバレるよな、ってぐらいだが、幸い見咎められることはなかった。
だが、学校に行かなかったことは当然わかってしまうわけで、「それは何故だ」と問われることにもなる。
そこで、自分はそのN先生に状況を説明した。「自分はこれこれこういうことをされた。それは大変に苦痛でしばらく学校に行きたくないのだ」と。
するとN先生。そんな自分の言い分を全面的に理解してくださり、ほとぼりが冷めるまで学校を休む猶予を与えてくださった。恐らく出席日数の範囲内でのことだと思うけれど、その配慮はとても有り難かった。
そんなわけで、しばらく父親の単身赴任先にかくまってもらった、というわけでもないが、押しかけ同居していた時期があった。短期間だったが、心に受けた傷を癒すには十分すぎる時間だった。
その期間を終えて、学校に再び出るようになると、問題のいじめはぱったりと止んだ。恐らくN先生が当該生徒に相当キツくクギを刺したものと、今にして思えば考えてしまう。
その後、高校を卒業するまで、いじめを受けることは一切なかった。先生のご努力があってのことかもしれない。
自分は高校の時の同窓会にも一応は出席するが、正直自分をいじめたあの女子生徒とだけは会いたくない。あいつだけは許せないのだ。向こうがどう思っていようが、そんなもん知ったことか。あの女だけはこれまでもこれからも絶対に許さない。他の連中には会いたいので、機会があれば出席するかもしれないが、あいつにだけは会いたくない。それだけのことだ。
ただ、N先生には当時お世話になったお礼をよくは言っていないので、いつか機会があればお礼を申し上げたい。
ただ、今のこんな状態を晒したら驚かれるかもしれない。優しい先生だったからなあ。

3:大学の時のM教授+おまけ

さて、こんな自分でも大学時代というものがある。神奈川県の平塚方面にある某大学に通っていた。ただ、自分は正直言えばものすごい不良大学生だった。大学の授業をひたすらサボりまくっていたのである。
1年次、ずっとサボっていて、さすがに大学から呼び出しを喰らってしまった。いや、それが純粋にサボっていた。バイトとか、そういうものに明け暮れていたのなら、まだマシだったのかもしれないが、そんなことすらしていない。
でまあ、2年次に学校に行くことになり、それなりに授業は受けた。その際に世話になったのがゼミのM教授。自分が(恐らく高校の時に受けた前述のいじめなどの影響もあって)あまりにひねくれた態度でいたためでもなかろうが、この教授、何と半分泣き声で真摯に自分を叱るではないか。
これには些か驚き、以後、少なくともその年は真面目に授業を受けるようにしていた。
しかし、3年次にはまた元の木阿弥に戻ってしまった。親身になってくれていた先輩が卒業して下宿を出て行ってしまったから、というのと、同じ時期に同じ下宿に入った同級生たちがほぼ全員出て行ってしまったからだ。
拠り所をなくした自分は、孤独になった。1コ上の先輩(学部はたぶん違うはず)がいたが、子供じみた性格のこいつとは全くソリが合わなかった。むしろこいつのことは嫌いですらあった。今会いたいとも思わない。こいつを除く先輩は悪い人々ではなかったが、出ていってしまわれた。
3年次に下宿に入ってきた後輩もソリの合わない連中ばかりだったので、下宿ではもうほぼ孤独に暮らしていた。
一足先に出ていった同級生で、福岡から来ていたSというヤツとは会いたい気がする。他に同じ福岡から来ていた少々ミステリアスな面のあるNとか、愛媛から来ていたKというおっとりしてそうなヤツと、自分とを含めた4人でもう一度会ってみたい気がする。
まあ、それはともかく、結局留年までしたものの、大学に通う意義がなくなってしまった、と自分の中では思うようになっていった。そもそも無目的で大学になど通ってはいけなかった。ああいうところは、キチンと目的を持って通うべきところで、自分のようにただ何となくその時のトレンドで通ってはいけなかった。
何しろ、最終的に入れた大学も含めて、大学受験の際の受験勉強というものを、ほぼろくにした記憶がないのだ。一応、形式的には受験勉強をしたつもりだが、本腰を入れまくって勉強した記憶はない。
自分はどういうのだろうなあ、あの頃たぶん「他人よりは頭がいい」つもりでいたんだと思う。クソ生意気なガキだったのだ。だから真剣に受験勉強とかする連中に合わせてはいたが、心の底では半分ぐらい小馬鹿にしていた面があった。
そんなことだから、今の「中途半端に知識だけを仕入れてきては適当なことを言い散らす」みたいな自分が形成されてしまってるのだろう。そうなった理由の大部分は自分で蒔いた種だ。
話が大幅に逸れたので元に戻すが、大学時代のM教授には、だから大変に申し訳ないことをしてしまった。あの先生には両手をついてお詫びしたいぐらいだ。「こんな不出来なヤツのために真摯になってくださったのに、その思いに何一つ応えることができなくて大変に申し訳ありませんでした」と心からお詫びしたいのだ。

こういう様々な先生との出会いを経て、今の自分がある。なんだか50歳にもなって家庭すら築けないような、ただのろくでなしの中途半端なサッカーファンに育ってしまい、何ら申し開きもできないのだが、ここまでに挙げたそれぞれの先生方には、皆何らかの恩義は感じている。

あの3人の先生方は「自分の人生を変える」まではいかなかったかもしれないが、相応に強い影響は与えていると思う。学生時代にこの先生たちと出会ったことは、間違いなく自分の人生を形成する上で大切な影響を与えてきたことだと思うのだ。
S先生、N先生、M教授。本当にお世話になりました。ありがとうございました。遅いかもしれないけど、今この場を借りて、皆さんにお礼を言わせていただきたい。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。