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サッカーにかこつけて故郷を訪ねる旅

現在(2019年9月)から遡ること4年前の9月、まだ当時、共に中国サッカーリーグにいたデッツォーラ島根と松江シティFCの試合が浜田市陸上競技場であった時、これを機会にちょっと行ってみたいところがあったんで、足を伸ばしてきた。

自分が生まれたばかりのガキの頃に住んでたらしい辺りだ。

何故かそれはよく覚えている。自分の原風景みたいなものだし、細かいことはもちろん覚えちゃいないけど、ボーッとだが、記憶にはあった。

浜田市の長沢って辺りだ。

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場所的にはこの辺。これが出せる数少ない写真の中の1枚。生家らしいところも撮ってるけれど、今は別の人が住んでると思うので、出さない。この辺のどっかに住んでた、ということでご勘弁願いたい。

試合をしたのは、この近所にある浜田市陸上競技場。

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設備的には小規模と言って良い。駅から歩いてそんなにかからないということだけが利点と言える。

当時のデッツォーラ島根EC。

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当時の松江シティFC。

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この試合についてはこちら。内容についてはあまり積極的に振り返りたくないので、自分のブログ記事でも読んどいてくれると嬉しい(なんて適当なんだか)。

試合後に、当時はまだご存命だった若三康弘さんのお引き合わせで、このチームに籍を置いていた林一章さんにお会いできた。
彼はこの当時から既に指導者をやってたりするので、後年はこのチームに来ることはあまりなかったけど、若三さんに呼ばれて来ることが多かったみたい。この試合の4年ぐらい前に、天皇杯でジェフ千葉とやったことがあるけど、その時のデッツォーラのGKが誰あろう林さんだった。

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林さんは熱い人だったが、また、機会があるなら、何処かでお目にかかりたいなって思う。

林さんのことはさておいて、問題は自分の故郷の近辺。

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この時はまだ2回目の脳梗塞でぶっ倒れる前だったので、楽に動ける範囲が全然違ってた。なので、その辺を歩くのもそんなに苦じゃなかった。
浜田市の長沢って場所は、浜田市の東側に位置していて、国道9号が比較的小高い丘の上の辺りを通っているので、陸上競技場などがあるところは、国道9号から降りた辺りにある。
ポルセイド浜田がホームゲームをやる島根県立体育館も同じ敷地の中にあったりするのだ。

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この体育館の近所に鍛冶屋があったりするらしい。セブンイレブンが近所にある浜田市の中心部にもかかわらず、だ。

で、この時でおおよそ45年ぶりぐらいに訪れた自分の生家近辺をちょこっとだけ見て回った感想を述べると、やっぱり田舎だよな・・・ってこと。島根県だもの。それはどう頑張っても田舎だ。
だけど、そこは紛れもなく自分の原風景だもの。嫌いになんかなれるはずもない。もうあんまり昔過ぎて、思い出なんかありもしないけど、でも訪れてみて思ったのは、やっぱり懐かしいということ。
あの辺りのことなんか全くと言って良いほど覚えてもないし、在住期間もそんなに長くない。だけどあの辺りにいたことだけは確実に覚えていて、時々だけど、無性に訪れてみたくなる。

そう言えば、またいずれ近いうちに浜田を訪れる予定もあるので、天気が良ければそこら辺を歩いてみようかな、などとも思ったりする。
自分の身体の自由が利いて、再び行けるうちに、また生家の近く辺りを散策できたなら、もうそれだけでいいやって、そんな気分でもある。
別にその光景を見せたいって人がいるわけじゃないけど、誰かと一緒に見てみたいって気もする。
その一方、やはり自分の大切な原風景だもの。自分だけで独占しておきたいって気分もある。
50のひねたおっさんから、そんな台詞が飛び出してくるのはおかしいのだろうが、乙女心に揺れるような心境でもある。いずれにしろ、自分の原風景を再び見てみたい気持ちだけは確実にある。それは間違いない。

生まれ在所と言えるような場所は浜田市の長沢というところだが、浜田市の浅井町というところにも住んだ経験があり、そこにもいずれは行ってみたいと思っていたりする。
浜田市もかなり自分の知っている頃とは様子が異なっているはずなので、その様子を見てみるのも一興かもしれない。
銀天街を歩いたこともあるが、そこにあったデパートのようなところは、今はたぶんもう無いだろう。
浜田もいろいろと変わったはず。大昔のことを思い出そうにも、もういろいろと、なくなってしまった物事も多いと思う。それらを思い出せるなら、思い出したような気がする。いつか、それができたら。その程度には生き延びていられたら良いかもしれない。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。