見出し画像

ガイナーレ鳥取監督列伝

外国籍選手を2回やったので、次は監督をやることにします。これもガイナーレ鳥取になってからの人に限ります。敬称は略します。

水口洋次(2007~2007.8)

ガイナーレ鳥取の初代監督です。写真は撮ってないのですが、赤いキャップがトレードマークだったので「赤帽」と呼んでいました。この方、たぶん当時の最新且つ効果的戦術の採用には、あまり積極的でなかったのかもしれません。
出足で躓いたガイナーレ鳥取は、その後浮上することもままなりません。4月に行われたロッソ熊本戦で、鶴見聡貴(現スタッフ)を湘南ベルマーレから加入させ、彼の華々しい活躍でこの試合をものにするなど、浮上のきっかけを得かけるところまでは行ったのですが、完全に浮上するには至らず、サポーターからの信頼も失い、ダンマクで手厳しくやられるに至って、8月を以て辞任してしまいました。
もっとも、その後、バードスタジアムや東山陸上競技場に寄り付かなくなったわけではなく、たまに試合を観に来ていたらしいです。

ヴィタヤ・ラオハクル(2007.8~2010.2)

ま、ある意味、日本では最も馴染み深いタイ人サッカー指導者かもしれませんよね。
最初は、水口さんのアシストをするヘッドコーチとして来ていました。しかし、当の水口さんが辞めてしまったので、彼が内部昇格の形で監督になりましたが、このヴィタヤの政権が意外に長続きします。
2007年は水口ショックからの巻き返しを図ることにひとまず成功したので続投することになり、2008年は、かの「龍ケ崎の悲劇」まで辿り着き、翌年に期待が持てるので残留。翌2009年も良いところまでいくことはできたものの「東山の約束」の行く末の見届け人的な形で残留します。
実際、2008年も2009年もあと一歩のところでJFLを卒業できるところまではいったんですが・・・。ただ、彼には日本でJリーグチームを率いるのに必要なS級指導者ライセンスに相当するものを持っていませんでした。なので、2010年に継続して監督をしたとして、この年でJリーグに参入することになった場合は、どうするんだろう?・・・と思ったのですが。
2009年の年末にタイに帰国していたヴィタヤは、ある時、自動車事故の当事者になってしまいます。この際、彼は大怪我を負ったようです。そして、リハビリが間に合わず来日が難しい、となりました。よって、彼のガイナーレ鳥取に於ける監督人生が突如終わりを告げました。
もしこのままヴィタヤが監督であり続けていたら、ガイナーレ鳥取が進むべき道はもっと違っていた可能性があります。

松田岳夫(2010.2~2011)
就任の経緯が何しろヴィタヤの復帰が叶わないので、その時身柄の空いている人なら・・・ということで、実際、その時身柄が空いていた松田さんが就任することになりました。
まあ、この頃のガイナーレは服部だの岡野だのがいて、ハメドはエースとして君臨していましたし、守護神が小針だったりと、まあ、豪華チームだったんで、初手から飛ばしまくりまして。
2010年は見事にJFL優勝を飾るに至り、Jリーグに参入し2部の一角を占めることになりました・・・が・・・。
J2は少しばかり敷居が高かったのかもしれません。初年度から苦しいシーズンが続きます。結局2011年で松田さんは職を辞してしまいます。その後、FC琉球の監督をされたり、なでしこのエルフェンやレオネッサでも監督をされたのですが、2019年現在は福島ユナイテッドで監督をされているようです。

吉澤英生(2012)
Honda FCや松本山雅FCで監督経験のある人で、期待はされたんですが・・・。この人がどういう戦術を指向し、どういうサッカーを目指したいのか、よくわかりませんでした。今でさえよくわかりません。
この人は監督を辞めた翌年に同じ鳥取のヘッドコーチを務め、更に翌年には鳥取のU-18の監督までやるという、何を期待してそういう依頼をしたのか、今一つわからないことになっていますね。
なお、その後、群馬・水戸・栃木でコーチを務めるなどしておられますが、2019年6月時点では監督業には復帰されていません。

小村徳男(2013~2013.8)
彼のFacebookだかマネージメントオフィスのブログだかで監督就任をぶち上げたようなのを見た記憶があります。
でも・・・、実際どうだったんでしょうね。一応DF出身だからかどうかはわからんのですが、堅く守ってそこから反転させようみたいな趣向があったのかもしれません。
確かに最初の5試合はともかく、途中からの成績は振るわなかった面もありますが、ブラジル人トリオ(ラファエル、レジナルド、ブルーノ)が揃って期待外れに終わってしまうなど、フロントのバックアップというか準備にも恵まれない面がありました。
なので、彼に関しては今でさえも少々可哀想な面があると思っています。8月頭に成績不振で解任されてしまうのですが、助ける体制に些か不安のあるフロントが、いくらOBではあっても新人監督に何もかも丸投げするようなことではイカンと思うのですが。

前田浩二(2013.8~2013.12)
元々強化部長として招かれていたのですが、小村氏を解任したので、彼がそのまま監督を兼任しました。
まあ、勝てない監督だの何だのといろいろ言われましたが、この人しか監督のなり手がいなかったことが全てかな、と。彼についてはあまり多くは語りたくありません。

松波正信(2014~2015)
ガンバ大阪が、よく彼みたいな人材を鳥取に預けてくれたと思いましたね。J3初年度と2年目の監督でしたが、前田氏に比べれば、ずっと信頼されてる印象のある人でしたよ。またいずれ鳥取で監督をやってほしい気がしますね。優勝争いにまでは至らなかったものの、彼が監督していた頃は、あるいみ幸せな時期だったかもしれませんし。

柱谷哲二(2016)
哲さんのネームバリューに依存したって意味ないですよ、と彼が就任した当初からずっと思ってましたが・・・。
前田氏と並ぶ、サポーターから信頼されたイメージのない監督さんでした。

森岡隆三(2017~2018.6)

小村さんの頃からそうでしたが、Jリーグのトップチームでの監督経験がない、またはそれが少ない人を監督に選ぶ傾向が出始めました。佐川印刷でコーチ修行をスタートしたあと、京都サンガのU-18で監督をやり、その後にガイナーレの監督をやったわけです。
彼は最初のうち、論理がやたらと勝ちすぎる印象があって、チームのFacebookページなどを見ていると、事細かに戦術の意味や効用、対応などが記されていて、そこまで手の内を明かして大丈夫なのかしら、などと思っていました。
ただ、そういう理論派じみたきらいこそあったものの、2シーズン目となる2018年には、理論の披講をだいぶ抑えるようになられました。
同時に人柄としては誠実な感じがして、自分としては好きな監督でしたよ。2018年、あのまま監督を続けていたら、かなり良いせんまでいっただろうになあ、と思ったのですが・・・。
5月のある試合での出来事が一因となったのか、翌月頭にはお役御免になってしまいました。

須藤大輔(2018.6~2018.12)

森岡さんがあんな形で辞めさせられたので、こんな面倒くさいチームの監督など誰も引き受けてはくれないのでは?とも思ったのですが、ここにホワイトナイトが登場します。須藤さんです。

こういう面倒くさい状況のチームを引き受けてくださる以上、あまり多くを期待しなかったのですが、それが良かったのでしょうね。しかも、2018年についてはレオナルドという頼れる選手がいた。これは本当に助かったと思います。
彼も必ずしも成功した監督とは言い切れませんでしたが、そのレオナルドがJ2で得点王となる活躍をしたことで、一躍有能な監督という評価を得るに至りました。
このまま今季も監督を続けてくれるのかな、と思ったのですが、当の本人は「家庭の事情がある」との理由で退任してしまいました。でも、彼がいた数ヶ月間は、それなりに楽しめる時期でした。

髙木理己(2019~)

で、まあ、今の監督です。前はガイナーレのU-18で監督してました。この人があの「オールガイナーレ」の文言を広めた人、ということになっています。
とりあえずこの人にも手厚いケアが必要なのでは、と思わざるを得ない面もありますが、それが必ずしもできかねるクラブ環境であることをわかっていますし、いろいろ望みすぎても彼も辛いかも。ともかく、もうしばらく様子を見た方が良いかもしれません。

ま、こんな感じで監督編まで作ってみましたが、如何なもんでしょう?

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。