備忘録くん

ひびのことをかいてわすれないようにしよう わすれてもいいことばかりだけど

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最近の記事

1型糖尿病という私の生涯のツレについて

私が1型糖尿病を発症したのは21歳でした。 それから時を経て今30歳を迎えました。 発症以来、毎日、毎食前にインスリンの注射を打ちながら何とか生き延びています。 そんな私の糖尿病ライフを振り返りながらこの病について少しでも誰かに何か伝わってほしいなぁと思い、書いてみようと考えました。 もしかしたら私の文章を見て不愉快に思う同病者の方もいらっしゃるかもしれません。 そんな方にはただ、すみません!と謝ることしかできないのですが、許してください。 あと医学的に正しくないことを書いて

    • 「熱々」信仰への反逆

      つけ麺に目が無い。夏も冬も春も秋もつけ麺が好きだ。 するとラーメンが好きなマジョリティが眉をしかめて私に言う。 「せっかくのスープがぬるくなっちゃうよ」 その言葉を聞いた瞬間に私は尾を踏まれた猫のようにバン!と机から立ち上がりこう言うだろう。 「ぬるいから食ってんの!つけ麺を!」 ただの猫舌なのだ。 子猫ちゃんと同じ舌を持つ30歳の独身男性なのだ! すると呆れたように散り散りに去っていくラーメン好き、もとい多数派の諸君に問いかけたい。 本当に熱々が正しいと思ってい

      • 「この世界の片隅に」を今更見た男

        今更ながら「この世界の片隅に」をアマゾンプライムビデオで鑑賞した。 あらすじなどに関してはもう無数の方が述べられていると思うので省略し、自身が感じたことだけ書き残しておこう。 ■「映画」というものに関して 久しぶりにぶっ通しで映画というものを見た。 このサブスクリプションで映像作品が自宅でバシバシ見られる時代だと作品を見てる最中でも電気ケトルが私を呼んだり不意に床の髪の毛が気になってコロコロをかけだしたりしてしまうタイプの集中力皆無系男子の私が食い入るように2時間見続けた。

        • 「面倒くさい」がイノベーションを生む

          何もかもが面倒くさい!と感じる自分の心理を夏のせいにしたいのは山々なのだが、私の面倒くさがりは四季折々に理由を付けて顔を出しQOLをぐんぐんと低下させて満足げな顔をして衣服の散乱した部屋で寝転がっている。 だがそれだけで私のことをゴミクズ、畜生と断罪するのは待ってほしい。 世の中面倒くさがらない人間なんているのだろうか。 「面倒くさい」という言葉は多重的に意味を持っている。 ■時間的面倒くさい ex.)これ全部スプレッドシートにまとめろとかクソめんどくせえなぁ ■肉体

        1型糖尿病という私の生涯のツレについて

          夏との戦争

          夏が私に想起させるものといえば海でも青い空でも三ツ矢サイダーでもなく食品の傷みだ。 少し外に置いておいた葉物野菜はいつの間にか私に内緒で痛みまくり気づいたときには謎の汁を垂らしながら恨めしそうにこちらを見ている。 追悼する暇も与えずに次々と他の食材たちが悲鳴をあげて謎の汁やカビを身にまとい始めコバエを呼び始める。 これは戦争なのだという自覚を持たねばならない。 先程昨晩作ってタッパーに入れてほったらかしにしていたレタスチャーハンと豚肉とじゃがいもの炒め物を晩飯にしましょう

          お菓子のパッケージ表示に関する邪悪

          シュリンクフレーションとは、値段据え置きで内容量を減らすことで実質値上りしてんじゃねえか!という状態を指す。 これは実際に生活していて感じている方も多いのではないだろうか。 この手法の嫌なところはいつの間にかコッソリ行われて消費者が気付きにくい点だ。 私は根っからの貧乏性からかお菓子を買うときなど大体裏側の内容量とカロリーを見て割り算を行い金額あたりの摂取カロリーを確認して購入するという、行き着く先はサラダ油を舐めて暮らすしかないような買物方法を行っているのだが、このシュリ

          お菓子のパッケージ表示に関する邪悪

          神様のつくり方

          私は宗教に関して一応仏教徒ではあるのだろうが、 特に信仰が厚いわけでもない、所謂普通のゆるふわ系仏教徒に分類されるだろう。 他の多くの日本人同様、多種多様な宗教のイベントを周囲とともに楽しむし豚も牛も食べて酒も飲み、何の意味もなくアーメン、南無阿弥陀、何妙法蓮華経、般若波羅蜜多、と節操もなく何でも口に出し、自分にとって都合の良いタイミングで都合の良い神様に祈りを捧げて無償で、もしくは10円程度で7億当たりますように!などと身勝手極まりなく祈りを捧げまくる。 そんな私にとって

          神様のつくり方

          そのコンテンツを『「体験した」という自分』を得たいだけでは?という不安感について

          映画、小説、書籍、その他諸々のコンテンツを楽しんでいるときにふとこんな気持ちが去来することがある。 早く終わんねぇかな、という気持ち。 まだ半分あるな……という気持ち。 「いやお前がそのコンテンツをただつまんねえと感じてるだけだろ猿」というご指摘を頂くかもしれないが、そうでもない。 その時は面白いなぁと思いながら読んだり見たりしているのだ。 だからわざわざ我が四肢の如く大切なお金を使っているわけだし! だがここにも色々と自問自答の余地はある。 ■金払ったからといってそ

          そのコンテンツを『「体験した」という自分』を得たいだけでは?という不安感について

          ベスト盤のジレンマ

          中学生くらいからだろうか、私は音楽の仕事に就きたいと思うようになった。 理由はシンプルに音楽が好きだった。 いや、今思うと「音楽について詳しい未来の自分」に憧れていたのかな、と思い何だかイノセントな、本心からくる音楽への愛ではなかったのではと疑問が湧くことに少し悲しくもなる。 話が反れたがその頃から「教養」的に過去の有名バンドやアーティストの所謂名盤を集め聴き始めた。 中学生は貧困だ。 愛ある両親からの恵みである小遣いを五体投地して手を擦り合わせ施していただき、月数千円。

          ベスト盤のジレンマ

          「シャコタン」について雑に考える

          私は地方都市に住んでいる。 しかもその隅っこの、端の、オマケ感覚の田舎に。 故に公共の交通機関が息をしてないレベルで貧弱なため、自家用車の利用というのはもはや義務に近く、勤労・納税・教育に続く運転が我々田舎者には課せられていると言っても過言ではない、のかもしれない。 そのため毎日車に乗っているが、私個人としては車そのものにあまり興味がなく、4つタイヤのついた箱くらいの意識で日々接している。 もちろん今現在乗っている車にも人並みの愛着はあるが、もし見知らぬジェントルマンからあ

          「シャコタン」について雑に考える

          ひょんなことから死にかけた夜は久々に腹が減った

          ひょんなことから瀕死になり救急車で運ばれた。 そこからの一日半はもはや朦朧とする意識の中で力石ばりに水をくれーッ!と叫んだことしか覚えていない。 えげつない脱水を起こして呼吸困難に陥ったとのことだった。 ケモノと化した私が自我を、ヒトとしての理性を令和の医学によって取り戻したのは当然病室である。 しばらくは思考を空にして身体が軋むほど目を閉じていれば時が過ぎていったが、何と睡眠にも限界があるのだ。 つまり、昼間寝ると夜眠くないのだ。 となると夜は長い。 21時には消灯

          ひょんなことから死にかけた夜は久々に腹が減った