お菓子のパッケージ表示に関する邪悪

シュリンクフレーションとは、値段据え置きで内容量を減らすことで実質値上りしてんじゃねえか!という状態を指す。
これは実際に生活していて感じている方も多いのではないだろうか。
この手法の嫌なところはいつの間にかコッソリ行われて消費者が気付きにくい点だ。

私は根っからの貧乏性からかお菓子を買うときなど大体裏側の内容量とカロリーを見て割り算を行い金額あたりの摂取カロリーを確認して購入するという、行き着く先はサラダ油を舐めて暮らすしかないような買物方法を行っているのだが、このシュリンクフレーションは近年より強く感じる。

最早シュリンクフレーションに関係してるかどうかわからないような愚痴になるが、2点お菓子に関してやめてほしいことがある。

①個包装という邪悪
チョコやクッキーなどのお菓子によくある個包装。
一枚一枚ご丁寧に袋に包まれ大事に大事に育てられた袋入り娘であることはわかりましたが、お気遣いは無用。
まず一枚ごとにゴミが出る。邪魔。
そして内容量にも個包装の重量も含まれて本当の貴方の姿がわからないのだ。
ガードの硬い、尻軽ではないことは重々承知したが私は荒々しくザバザバッと海賊のようにクッキーの袋を傾けて一枚ならずとも二枚口に飛び込んでくるハプニング性ごと貴方を食したいと思う。

②内容量の枚数表示という邪悪
パッケージ裏に記載されているのはグラム数ではなく、枚数表示の場合がある。
10枚、とか8個、など。
これはあまりにも夢がない。
そのお菓子を買う前から「終わり」を突き付けられているようなものだ。
10回手と口を動かしたらそれはなくなってしまうのだ。
絶対に訪れる確実な終わり。
それが私にとっての枚数表示だ。
その昔、自分で砂糖など混ぜるタイプの大きいヨーグルトにスプーンを入れて敢えてすくわず、付着したヨーグルトだけを食べていればこのヨーグルトは一生減らないんじゃないだろうか、ガチで考えていたほど馬鹿な私を騙してほしい。
グラム表示にはまだ夢がある。
もしかして40枚くらい入っているのでは?と一瞬でも私に夢を見させてほしいと願うばかり。

いつまでも人は夢を追う生き物だ。
お菓子という存在にはいつまでもそんな夢と浪漫が詰め込まれた存在であってほしい。
つまりブルボンの100円くらいで買えるチョコ&コーヒービスケットが大好きだという所信表明なのだ。

(今ブルボンのクッキーのパッケージを確認したら枚数表示だったのでこの結論は全くそれまでのテキストにそぐわないものだが、24枚も入っているという点で完全なる正義と認定いたしました)

地方都市に住むにんげんです。 なにか思ったことなど、カタカタ書いておきます。