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第二回「星占いで子育て」〜ジェンダーバイアス

先日、きりりこさんとのTwitter共同スペース第二回「星占いで子育て」を開催しました。
今回は、課題図書を設定し、この本について考えました。
課題図書は、太田啓子著『これからの男の子たちへ』です。

第二回「星占いで子育て」の課題図書


私にもきりりこさんにも、息子がいます。そして、私たちは女性であることで理不尽な目に遭ってきました。
これから先、女性であるだけで理不尽な目に遭う女性を減らしたい。
同時に、「有害な男らしさ」から息子たちを守りたい。
この本には、そんな社会を作るヒントが書かれています。

これからの男の子たちへ

今回のスペースでは、「はじめに」と第一章「男の子の日常にかかるジェンダーバイアスの膜」について考えました。

はじめに

著者の太田啓子さんが、なぜこの本を書くに至ったかが書かれています。
子どもの頃から「女らしさ」「男らしさ」の押しつけに反発してきた著者は、子どものを育てるうちに「男の子の子育ては、女の子の子育てとは違うな」と感じるようになります。

…人間の行動や考え方が、生まれついた性別に基づいて(たとえば遺伝子とか脳の構造といったレベルで)決まっているわけではありません。
(中略)
むしろ、息子たちを見ていて感じるのは、周囲の大人やメディアの情報を通じて「学び」、外から「刷り込まれ」、彼らの内面に無意識に根差すようになるものが、かなり大きいのではないかということです。

『これからの男の子たちへ』はじめにP.6

著者は、外から「女らしさ」「男らしさ」を刷り込まれる例として、おもちゃが、それを使う子どもの性別を意識して作られ、そのようにアピールしていることを挙げています。

息子たちとの毎日の中で、社会が彼らに投げかけてくるメッセージを感じると、たとえ親が家庭で「女らしさ」「男らしさ」を押しつけるようなことはしなくても、子どもは社会から発せられる性差別的な価値観や行動パターンを身につけてしまうのではないか、と真剣に考えるようになりました。
これは女の子についてももちろん同様なのですが、性差別構造においてマイノリティ属性である女の子と、マジョリティ属性である男の子では、そのあらわれ方も違うのだから、子育てにおいて意識すべきことも違うのはむしろ当然だと、いつしか感じられるようになったのです。

『これからの男の子たちへ』P.8

社会が子どもたちに、「女らしさ」「男らしさ」についてのメッセージを与えていることに、私たちは激しく同意します。
そして、そのようなメッセージは、無くしていかなくてはならないと考えます。

男の子の日常にかかるジェンダーバイアスの膜

この章では、社会が与えるジェンダーバイアスについて考えています。
第一章の中のどの小見出しも大変興味深いですが、私たちは2つの小見出しを取り上げました。

「有害な男らしさ」とは

「有害な男らしさ」とは、1980年代にアメリカの心理学者が提唱した言葉であり、以下のように定義づけられているそうです。

社会の中で「男らしさ」として当然視、賞賛され、男性が無自覚のうちにそうなるように仕向けられる特性の中に、暴力や性差別的な言動につながったり、自分自身を大切にできなくさせたりする有害(toxic)な性質が埋め込まれている…

『これからの男の子たちへ』P.21

「有害な男らしさ」という価値観を身につけて大人になってしまった男性は、身近にいないでしょうか?私もきりりこさんも、そんな男性はかなりの数いると思っています。

例えば、昨年SNSを騒がせた、飲食店での不潔な行為は、「有害な男らしさ」に価値を置くコミュニティー内で行われたチキンレースだと感じられます。
道徳的にあり得ない不潔な行為をどこまでやれるか、集団内で競争し、面白がった結果です。
あの若者たちのコミュニティー内では、あの行為をやれることが、英雄視されることだったのかもしれません。あるいは逆に、集団内で弱い立場の者にやらせることで、自身の「男らしさ」をアピールする行為だったかもしれません。
どちらにしろ「有害」です。
私たちは、男の子たちに「そんな『男らしさレース』から降りなさい」と伝えていかなくてはならないでしょう。

親から子どもへのジェンダーバイアス

親が子どもへ与えている無意識のジェンダーバイアス。私はこれが一番罪深いと思っています。重要なので、スペース内では、この小見出しの全文を読みました。
そして、人生において感じた親から子どもへのジェンダーバイアスについて、熱く語りました。

「私だけ正座」問題
私は、鹿児島出身です。男尊女卑思想が色濃く残っている土地です。
私の父は、保守層が強い鹿児島県人にしては珍しくリベラル思想で、人間は平等であるという考え方です。が、その「人間」の中に、女性は入っていないのでは?と思うことが度々ありました。
そのひとつが「私だけ正座」問題です。
私には弟が2人いますが、弟たちは胡座を許されているのに、私は父に「正座しなさい」と言われました。
「女の子だから」
理由が「お行儀が悪いから」なら、そして兄弟3人とも正座を求められたのなら、納得がいきました。
しかし、性別によって求められる座り方が違うことには納得がいきませんでした。
正座は足が痛いですし、ね。

優秀なのに鹿児島から出られない級友たち
私はちょっと賢い高校に通っていました(私自身はすぐに落ちこぼれましたが)。
各学級から3人が東大に合格するレベルです(私自身は落ちこぼれ…)。
優秀な女の子たちも沢山いました。が、優秀なのに「親の考えで鹿児島から出してもらえない」女の子たちが沢山いました。
不思議なことに、親の考えで鹿児島から出してもらえない男の子たちはあまりいませんでした。
もしかしたら、女の子に学問を与える必要がないと考えているご家庭が多かったのかもしれません。
実際、2015年に鹿児島の当時の知事が「高校教育で女の子にサイン、コサイン、タンジェンドを教えて何になるのか」「社会の事象とか、植物の花や草の名前を教えた方がいい」と発言して問題になっています。

「弟のことは無条件に可愛い」
これは、学生の頃の女友達が、母親に言われた言葉です。
それを聞いて、女友達は合点がいったそうです。
私は、条件付きでなければ愛してもらえないのだ、と。
これまでの育てられ方から分かっていたこと。でも、面と向かってはっきり言われたことで、その女友達は上手に食べられなくなってしまいました。

「息子は小さな恋人」
そんなことを言う母親は、存在しています。私も、リアルで耳にしたことがあります。
子どもの個性による相性はあるかと思います。が、性別によって、育て方や愛情の掛け方を違えていいものでしょうか。
決して許されることではないと思います。


社会におけるジェンダーバイアスにはどんなものがあるのか、私たちの実体験を踏まえてお話しました。
ぜひ聞いてみてください!そして、ジェンダーバイアスについて、一緒に考えましょう!
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