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明けない夜に

人生には到底受け入れられないと思うことが必ず起こる。絶対に上手くやりたいと思って準備したにも関わらず思い通りにならず望まない結果になる時がある。
入試で第一志望の大学に不合格になる、すごく好きな人に振られる、災害で財産を失う、家族の病気と死... そしていつかは自分の死も。

あきらめれば楽になるのか

受け入れたくないことに抗ってのたうち回り、何度も考えてしまうことで傷は深くなる。すぐにあきらめれば楽になりそうだが、簡単ではない。あきらめることに後悔や敗北、喪失を感じるからだ。

だが、「あきらめる」の本来の意味は喪失ではないという。

【諦・あきらめる】
つまびらかにする。ものの真実をよく見る。観察して真相をはっきりさせる。物事を明らかにすること。
受け入れるかどうかの前に、まずは起きたことをありのままに見ることなんだ。

人生を半分あきらめて生きる

https://www.amazon.co.jp/dp/4344982657/

この本で紹介しているキューブラー・ロスの「死にゆく過程の五段階」が、大きな喪失感を受け入れ手放していくのに役立ちそうだ。

死にゆく過程の5段階

第1段階:否認と孤立
事実を認めたくない、否定したい。頭では理解しても現実を直視するのは容易ではない。自分が死につつあることを簡単に受け止められるほど人は強くない。したがって誰もが事実を認めないとする。

第2段階:怒り
認めずに済むのなら認めたくない事実をいよいよ認めざるを得なくなったとき、人はやり場のない怒りに襲われる。なぜ自分がというやるせない気持ちが怒りとなって爆発する。

第3段階:取り引き
自分の死を直視し始めた人が行う最後の悪あがき。避けることのできない自分の死を少しでも先に伸ばそうと、神仏に祈り頼み交渉する。

第4段階:抑うつ
死への抵抗をひと通りやり終えるとやってくる絶望的な感情。体の痛み、治療の副作用、体力の衰え、家族への迷惑、経済的な損失、社会からの退却など多くのものを「喪失」する。

第5段階:受容
運命と戦わない。かつ絶望もしない。最後の休息、静かで安らかな気持ち。

...
これが自分の死を受け入れるという、究極的なあきらめのステップらしい。
段階を経ることで、自分に起きたことをひとつひとつ明らかにしてゆく。そうすることで時間とともに徐々に受け入れられるようになる。

第4段階がヤマ場、いちばん辛いだろうか?
わたしは4を乗り越えることができず、怒りから抑うつの無限ループに陥ったことがある(同じ思考を繰り返すなんて、なんと無駄な時間を過ごしたことか!)。

いきなりあきらめるのは辛い。だが少しずつなら。第2〜4段階を何度か繰り返して受け入れていくのではないだろうか。

経験の数だけ上手く生きれるようになる

死ではなくとも、絶対に思い通りにしたかったことに対してあきらめの5段階を経験すると、何回目かであきらめるポイントが分かるようになる。

逆に人に何かをあきらめて貰いたい場合にも、相手が今どの段階なのか観察することで他人の感情に振り回されることを避けることができると思う。

自分を苦しめている怒りや虚無感がどこからきているのか見極められるようになるので、経験するごとに早く楽になれる。苦しむことが減る。

これは精神的に強くなることとは別だと思っている。自己中心性から抜け出し、あるがままを真っ直ぐに見て受け入れるという、自由な精神へ向かう思想なのだ。

#あきらめる

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