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ドラクエウォークと人生相談から私の思い。

こんばんは、ドラクエウォークにはまっている中川です。

今日は休みだったので外に出掛けたのですが、歩くのが好きな私なので、がっつりドラクエウォークをやってしまいました。ながらスマホはダメだという認識もあったのですが、つい熱中してしまいました。ゲームに熱中すること、ましてやスマホのアプリでゲームにはまったことなどほとんどなかったので熱中している自分に驚いています。しかし、驚きと同時に熱中しているものがあることで本当に生きる意味をもたらしてくれるのだなという実感も付いてきました、付録で。

今日は幡野広志さんの「何で僕に聞くんだろう?」を読んだためか、不登校の子供について考えたのですが、学校に行かなくても熱中できるものがあればそれでいいと私が親になったら言ってやりたいなと思いました。本当に父親になって言ってやれるかは自分次第なのですが、不登校という学校という大多数の枠からはみ出たっていいんだと伝えてやりたいです。というのも、私は人の目を気にして学校生活を過ごしてきたので、枠からはみ出すことに抵抗もあり、親のありがたみを考えると逃げ出すこともできないと思っていたのですが、今日のように幡野さんの連載を読んだり、社会人になってそれなりに経験を積んでいったりしてゆく中で、他人の目や空気を読むことはそれほど重要でないことがほんの少しわかってきました。24歳になるとたくさんの人との出会いがあるので、多くの考え、十人十色の社会を生きている実感が湧きました。すると、それぞれの人にはそれぞれの人生があって、それぞれが主人公となって悩んだり、喜んだりしているのだなと思いました。まだ完全にそれぞれの人生があることを実感しきれてないところもありますが、少しはわかってきました。そんなそれぞれの人生を自分も含めて何故生きてゆけているのだろうと考えると、大切な誰かの存在や熱中できるものがあることが大前提にあるのではないかと思いました。きっと誰かのためにという、彼氏彼女であったり家族であったりする人もいるだろうし、趣味のために仕事を頑張っている人も自分をブランドで固めるために金の亡者になって生きている人もいるでしょう。それでいいんだと思います。自分が進みたい方向に進む、それ以上も以下もない。そんな気でいます。

熱中しているゲームの話に戻りますが、不登校の子どもがもしゲームに熱中しているとするならば、それはそれでいいんだと思います。なぜなら、私を熱中させてくれる存在、場所がその子にはあるのだから。まだまだ実感として思えていないから、本当に父親になったとき不登校の息子にそれでいいんだと言えないかもしれないが、それでいいんだと言ってやれる親になりたい。世間体よりも目の前の大切なもののために動ける方がかっこいいじゃんか。

でも、ドラクエウォークに熱中し過ぎてながらスマホをしていることは反省しましょう、自分。

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