運命の糸はあるのかもしれない

久しぶりに志賀直哉の「范の犯罪」を読んだ。

「范の犯罪」は、大学の卒業研究の時に取り扱った自分にとって思い入れのある作品である。

あらすじは、范という奇術師が妻をナイフ投げの奇術の最中に殺してしまうが、それが故意なのか過失なのかどうなんだろうという感じだ。

再読して感じたことは山ほどあるが、一番驚いたことは、今の自分は范を応援したい気持ちでいることだった。卒業研究の時には、自分を弱い弱いといって妻を殺そうと思っても殺せない(結果的には殺してしまうが)という范を情けなく思っていた。しかし、人というのは時間が経てば色々なことを経験し考え方が変わる。今は范に同情してしまう。

同情してしまう理由はいくつも挙げられそうだが、一番の理由は自分が今、仕事を辞めたいけれど辞められずにいることにある。

私は仕事が辞めたいが辞めるアクションを起こせていない。一人でいるときなんかは、仕事に行きたくなさすぎてやめることばかり考え、自分の人生にとって今の仕事にプラスは皆無だから辞めてやろうと意気込んでいる。しかし、いざ仕事に行くと、他者の目や忙しい空気に押させてしまい、誰にも打ち明けられない。そして、そのまま帰宅する、そんな毎日が続いている。本当はすぐさま飛んでいきたい気持ちだが、なかなかできずにいる。自分を責める、弱いダメなやつだと。

そんなに気持ちでいるから、范が殺そうと思っても殺せない、逃げようとしても逃げられないし考え方や視野の狭さが追い詰められている人間の心理状態で、自分みたいだと共感した。これは今の仕事に息詰まっている自分だから感じられることなのだろう。

そんな鬱のような范の心理状態は決して弱いものじゃなくて、誰もが持ち合わせてしまう可能性のある危険なものだから、苦しいときは誰かに頼ってくれよと范に思ったものだ。

誰かに頼ること、それは今の自分にも必要なことかもしれない。必要だが、それは誰でも言いわけではないようだ。実際に、上司に辞めたいニュアンスを出しながら仕事の悩みを相談したが、結果的には頑張れ、踏ん張れと言われて余計に頑張りたくなくなった。気張るのは大便の時くらいにさせてくれ。無論、元痔だから気張るのは怖いや。

話し逸らせましたが、つまり、自分が頼りたいと思った人に頼ること、そして自分の弱さを未熟さを受け入れてもらわないと心が范のようにかげってしまう。

もう一度いう。范さんよ、あなたは全く弱くないし、むしろ頑張っているから無理なさるな。あなたの苦しみはあなただけのもので、それを私たちは想像しかできない。できないけれど、嫌な中でも頑張れてしまうことは立派なことだから、自信を持って生きてくれ。立派な自分を守るためには時には逃げてもいい、弱みを見せてもいい。そうすれば、誰も殺そうとしなくとも本当の生活に入っていけるから。その日まで、心枯らさず養分を残しておいておくれ。

今の自分に必要なこと、期待していることはこういうことかもしれないな。

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