個の時代?いや、繋がりの時代じゃない?

Twitterを見ていて、個の時代だからこそ甘えずとか、副業は受け入れもやる側も覚悟を持つべきとか流れてきた。

個の時代って表現に違和感があったので、レモンサワーをぼんじりと合わせながら久しぶりにnoteを書いている。

焼き鳥美味しいです

たしかに、強い個が評価されやすい時代にはなってきたと思う。それは間違いない。
突き抜けていて、素晴らしいアウトプットをしている人がきちんと陽の目を見ることは本当に素晴らしい。

個の時代、というと個人の力だけでなんでも出来るように感じるが、正確には個の力を認めてチームに活かすことが出来るように社会が変容してきている、というのが正しい解釈であるように思うのだ。

個が突き抜けて強くてもヤベーやつは叩かれるし、それほど有能でなくても共感得られる新しい視点は歓迎される。

つまり、個の時代とは、今まで倦厭されてきた飛び抜けた個や新しい切り口の普通の個を受け入れるチームとしての柔軟性を獲得してきていると解釈すべきだというのが僕の意見となる。

情報がオープンになり、クローズドな世界における画一的正義(のディスコース)が通用しなくなるにつれ、多様で多層な正義が生まれることになる。

そうなるとそれぞれの価値観における正しさの基準が重なり合って曖昧になり、そのチームにおけるpurposeにとって何が有効なのか、という視点がチームにおける最上位の正しさとなるのだ。

社会は相互に影響し合う故に、永続的なチームは成立し得ず、社会の変化と繋がりながら、チーム自体も常にアウフヘーベンしていかざるを得ない。

となったとき、purpose drivenの最適解を求めると、チームに欠けている最上の機能をどうやって獲得し得る受け皿となるかということが問題となる。

これは社会全体で起こるので、経営者の好き嫌いが事業の首を絞めることになる(最高!はやくもっとオープンにしようぜ!)

市場原理が働くだろうから、境界が曖昧なチームほど強くなるとすると多様な個を受け入れる柔軟性が生存するうえで重要となるだろう。

覚悟ある飛び抜けた副業希望者は勿論どこでも欲しいから当然として、それ以外も受け入れるべきだし、甘えと言われる個にも役割はあって然るべきなのだと思うし、多分そういう仕事はある。それに、その選択をし得るというのが社会全体にとって幸福度は高まるはずである。

別に、甘えてるやつに甘い汁を吸わせよというわけはなく、あくまでフェアに。提供できる価値がありふれたものなら相応に、貴重なら高く。

場所、時間、雇用形態、性別、国籍、年齢とかさ、いろんなバイアスによって無駄にしてきた全てのものを尊重して活用できることが、個の時代なのだろう。というのが、言いたい事です。

いろんな状況の人がいて、テクノロジーやルールの柔軟性で活躍できる人が増えるならそうすべきで、その結果幸せな人たちをどれだけ増やせるのか、こだわって生きたいですね。

おやすみなさい💤

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