見出し画像

いい時間とわるい時間

時間について考えることが多くなった。

きっかけは、会社員だったときの職場の先輩との会話。

「最近、メールやチャットばかりの毎日で時間に追われてる気がする。前は手紙だったからもっと時間があったのに。」

人事部の先輩。連絡を急かされる毎日に疑問を抱いていた。わたしも新しい部署に異動したタイミングで、以前の部署に比べ、メールやチャットそして会議に追われるようになり、似たような疲労感をもっていた。

明日に返信しようとしても、チャットの嵐が怒涛のようにやってくる。そして最近のチャットはよく出来ている。チャットが届いたときに、会議が入っていないことが相手に分かるようになり、急ぎのときは電話までとんできた。

もちろん、これは必要だから連絡がきている。設計の仕事をしていたから、工場との連携が欠かせなかった。

便利になるのはいいことだろう。
なにかをするのにかかっていた時間がギュッと圧縮される。空いた時間が増えて色々なことができる。生産性が上がり利益をより追求できるようになる。

とはいえ、わたし一個人としては、その空いた時間に「メールやチャット漬けになりたいのか」「生産性をあげたいのか」は疑問だったりする。

いい時間ってなんだろうなと考えることが増えた。


時間の使い方。
いい時間もあればわるい時間もある。

わるい時間から考えてみよう。

パッと思いつくのは、気が乗らないな、嫌だなと思うことに時間を使ったとき。

気が乗らないのに、断るのが面倒な飲み会に参加したとき。イマイチな誘いはやっぱりイマイチな感じで終わる。

わるい条件で仕事を受けたときも、わるい時間になる。
目先のお金という理由で仕事を受けたが、モチベーションも上がらないし、わたしが出せた結果はイマイチなものだった。

あ、そうだ。

悪い時間の使い方だったな、と思うことに、学生時代の恋愛がある。

初めて恋人ができたのは遅く、25歳のときだった。
それまで恋愛はしていたけれど、実ることはなく玉砕していた。

ひょんなことから恋が実り付き合うことになった。けれど、その恋愛は2週間で儚くも散ってしまう。

あまりの短さにショックを覚え、周りの友人に愚痴をいいまわっていた。

その時、大学の友人にかけられた言葉が、

「彼氏ほしかったの?」

だ。

「あたりまえじゃん!」

と返したものの、思い返してみると、彼氏がほしいと周りに言ったことはなかった。

学生時代は、工学部だったので男子学生ばかり。紹介してくれるチャンスは多かったハズなのに、一度も彼氏がほしいと言わなかった。

理由は単純で、恥ずかしかったからだ。

でも、一度周りにぶちまけてからは、恥ずかしい気持ちは飛んでいき、周りにも「彼氏が欲しい」と言っていた。

そのあとは、友人に紹介をしてもらい、今までのはなんだったのかというくらい、とんとん拍子に彼氏ができた。

そんなわけで、
欲しいものを欲しいと言わず、行動にうつさず、ただ待つだけだった日々。

これが、わたしにとっての悪い時間だと思う。

じゃあ、いい時間はなにかと考えると、

わるい時間の反対で、行動にうつしたときだと思う。

なんかいいなと思う人と会ってみたり、

仕事をやめて海外に長期間行ってみたり、

仕事が合わないと辞めたけれど、会社で働いたことだっていい時間だ。

働いてみて初めて、合わなかったんだな、と納得して辞めることができた。6年という歳月を会社で過ごしたけれど、その時間を無駄だとは思わないし、気の合う友人もできたのでいい時間だったと思う。

欲があって行動にうつす。それが失敗であれ成功であれ、どんな結果でも、自分で決めたことであればいい時間じゃないかなと思う。

いい時間は挑戦することばかりじゃない。

わたしはリラックスした時間が好きだ。

森のなかを散歩したり、ヨガをやって体調を整えるのも好きな時間だ。猫とお昼寝する、生産性ゼロの時間だって充実したものだ。

結局のところ、納得していれば、自分で決めていれば、それは全ていい時間になるんじゃないかなと思う。


いい時間が増えるように意識したい。
明日は何をしようかな。



お読みいただき、ありがとうございます。
次の記事でお会いしましょう。

またねー!




よろしければサポートお願いいたします(^^)頂いたサポートは、新しい学びの資金にさせていただきます。