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ビートたけしの“送迎車”変遷1984-1988

俺が在籍した約4年間。殿の送迎車は3車種に渡った。ちなみに個人所有車は一貫してポルシェ911(930)3.3ターボ(年式1984)だった。駐車場は四谷サンハイツの1F駐車場

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↑旧テレビ朝日社屋駐車場にてファンが勝手に撮った写真をなぜか貰った。

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↑同型モデル。オフに何度もワックスで磨いた思い出がある。それもボーヤの仕事の1つ。殿は仕上がり(光沢)のチェックがいつも厳しい。

殿にとって「最高の車」は昔からポルシェと決まっている。決してフェラーリやランボルギーニ等のイタ車ではない。

なぜポルシェに拘るのかは聞こうと思いながら結局、聞きそびれたがどうにも本人には絶対的なものがあるようだ。

この後は1988年に911ターボフラットノーズを経て“幻の”ポルシェ959スポーツの黒に乗り換えた筈だ。

さて送迎車だが、俺がニッポン放送で弟子入り志願した頃の1984年冬はニッサン Y30 セドリックだった。

深夜3時が近づき「オールナイトニッポン」の放送終了時間が迫ると、ニッポン放送出口前の歩道へ横付けされるや、軍団が花道を作りファンを制御しながら殿が乗り込んでいく姿は今でもしっかり眼に焼き付いている。一度は見送り二度目で直訴したのだった。

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↑普通の国産“高級セダン”これは新車で納車のようだ。

明けて1985年。新番組ラッシュのタイミングに揃えたかのように乗り換えたのはMercedes-Benz 350 SE (W116)だった。

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↑運転は菊池さん。助手席に俺、TBS旧社屋で出番が終わった北野大さんが待っており、目が合った菊池さんが笑みを返している。

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↑同型モデル。ボーヤの時代には一番乗った車なので思い入れがある。フライデー事件頃まで乗っていたからとても懐かしい。とめどなく思い出が蘇る。

そして各局8時台視聴率トップ獲得を機に乗り換えたのがRolls Royce Silver Shadow MPWだ。これは冒頭の画像が実車だ。

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↑同型モデル。年式は1968年とヒストリックカーではある。

最初に乗り付けたのが河田町社屋時代のフジテレビ“オレたちひょうきん族”の撮りで、それを聞きつけた明石家さんまさんが殿の楽屋に駆けつけ、扉を少しだけ開き「ロ〜ルス・ロ〜イス」と声をかけ、からかいに来たのも懐かしい。

この時代ロールスロイスならSilver SpiritSilver Spurが発売されていたのだから、敢えて新車を買わないあたりがケチな太田プロらしい。

さて、ここまでは太田プロ時代になり、車の所有は全て事務所。オフィス北野に移って引き継ぎ期間を経て送迎車は日産プレジデント(三代目)になったが、これは一旦軍団を離れた俺が日テレへ挨拶に来た際に観て知った。

1984年あたりから熱心に「出待ち」をしていたコアなファンならこれらも大切な青春の思い出の1つだろう。

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