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さようなら、理想の人

自信が無くて彼氏ができない日々

私は過去、なかなか彼氏ができなかったタイプです。

容姿がたいして良くなかったのでコンプレックスがありました。

顔の形とか手足が短いとか…。

小学4年生くらいの時母親に、自分の容姿について愚痴を言ったことがあります。

「もっと かわいかったらよかった。○○ちゃんみたいに…」

すると母は

「そんなことないよ。かわいいわよ」

と、いつも言ってくれました。

親が子供をほめると自己肯定感が育つと言いますが

いくら親がほめても「容姿」は一目瞭然です。

親は私を「かわいい」と思って育ててくれてとても感謝してます。

でも、周りの友達がどんどんキレイになって

彼氏ができたりすると、私の自己肯定感は、どんどん下がりました。

大学生のころには

容姿が良くない上に、自己肯定感も低い私が出来上がっていました。

それなのに恋愛したいし、

彼氏だって、すっごく欲しい…

ノートの理想の人


それで私は、その時どこで読んだのかは忘れたけれど

「自分の理想像の男性」についてノートに書く、ということを始めたのです。

それをやることで

「潜在意識に刷り込まれ、脳が勝手に理想の男性を見つけに行く」

と、なるそうです。

本当だったら凄い!ラッキー!!これ、絶対やらなきゃ!

と思って、きれいなピンクの、少し小さめのノートを買いました。

新しいノートを開き、ページの上に「理想の人」と書いてみました。

なんだかワクワクしてきて、思いつくままに書いていきました。

今でも覚えているけれど

身長から書きました。たしか175cmって書いた気がします。

身長175cm
体重はよくわからないけど、細め
筋肉質
髪は短くて流す感じ

みたいに、まず外見の特徴を書きました。

大まかなイメージができてから、想像は細部へと移動し

顔のパーツに移りました。

目は涼しげでほどほどにパッチリ

鼻は細くて高い

唇は普通

顔の形は面長で男らしい顔つき・・・

みたいに、書いたと思います。

それは今でも変わっていない気がするから

本当に理想だったんだと思います。

そこから、仕事はどんな感じか

とか

趣味は?

休みの日は何してる?

どんなファッションが好き?

とか、つらつらと書いていきました。

ノートの見開きには

ぎっしり「理想の人」についてが書かれていきました。

書いている時ワクワクしたので
このワクワク感が引き寄せのパワーになるのかな、と思いました。

けれど

朝晩何度もそれを見返し、潜在意識に染み込ませているけれど

何も起こらない

あれ?「脳が勝手に見つけに行く」はずじゃなかったの?

私の脳は、バカなのか、方向音痴なのか…。

私はガッカリしました。

いつの間にかノートは開かれなくなり、

本棚の端っこに、立てられたままになりました。

その後、スピリチュアル系の講座で

「自分のなりたいセルフイメージを、ありありと想像しましょう。

どこで、どんなことをしているか、誰といてどんな服を着て

何を食べているのか、隅々までありありと、です!!」

と言われました。

それを聞いて

「ああ、私はノートには書いていたけれど、ありありとイメージはしていなかったんだな

だから脳は探しに行ってくれなかったんだ」

と納得したのです。

それで、ありありと想像してみたけれど

やっぱり、何も変わらないので

「やっぱり私の脳はバカなのかもしれない」

と、またガッカリしたことを覚えています。

それでも紹介やらアプリを駆使して

何人かとの男性と出会いお付き合いに発展することも、ありました。

紹介してくれる友人知人は、必ず

「どんな人がいいの?」と聞いてくれるし

アプリには「希望のタイプ」を記入するところがあります。

その度に私は本棚のノートを思い出し、たぶんそこに書いていたことと

同じ内容を伝えたり、書いたりしていました。

理想って、やっぱり変わらないものなのね、と思いました。


違う、この人じゃない…


けれど、出会ったのは

ノートの「理想の人」とは、全然違う男性ばかりでした。

はじめて会った瞬間に

「あ。理想の人とは○○が違う」と思い

はじめてお茶する時は

「あ。理想の人と雰囲気が違う、もっとスマートなはずなのに」と思い

はじめてデートする時は

「あ。理想の人と違う。選ぶのは居酒屋じゃないのに」と思い

はじめて手を繋いだ時

「あ。理想の人と違う。もっとなんていうか大きくて包み込むような手なのに」と思い

こんな感じで

会えば会うほど「違う。違う…」となって行きました。

もちろん、優しい彼で「私、幸せなはずなのに…」

と思うこともあったのですが、ずっと「この人じゃない感」を抱いていました。

それって、相手に伝わるんですね。

「本当に、僕のこと好き?」みたいなことを聞かれました。

そして、なんとなく別れていました。

「幸せなのかもしれないけど、この人じゃない」という気持ちでした。


ヨガの教えと恋愛


さて

私はずっとヨガをやっています。

カウンセリングでヨガを使うこともあります。

私のヨガの師が、ある日こんなことを言ったのです。

「『私は○○だ』と決めないほうがいいよ。決めたらそれにしかなれないし

なれなかったら苦しいでしょ。

できるだけ『私は○○だ』をやめてごらん。

そうしたら『私は何にでもなれる』に変わるから」

はじめて聞いた時、よく意味が解りませんでした。

けれど、ヨガを続けていくうちに感じたことがあります。

カウンセリングのクライエントさんが苦しんでいるのは

「自分の思いが叶わない」ことが理由なのがほとんどです。

それを見て私は

「その思いを手放したら、苦しめるものは何もないのに。

なぜ、自分で苦しみを生む原因を手放さないのだろう」と

思ったのです。

そして、それは自分にもすっぽり当てはまりました。

カウンセリングでクライエントさんに話していることが

自分にも言えることでハッとすることが時々 

「あ、私の理想の人と同じだわ。理想の人があるから他の人との幸せを感じられない。

手放そうとしたら

妥協してるって自分を責めていたんだ。そもそも理想なんて無かったら

私を好きでいてくれたMくんのこと、本気で好きになれたのに」

と気づきました。

ヨガの師の言ったことを恋愛に置き換えると

「私の理想は○○な人、と決めれば決めるほど、その人でないといけなくなるし

手に入らなかったら苦しいだけ。私の理想は○○な人、をやめたら

誰とでも幸せになれる」

と言うことになります。

今なら当たり前にこのことがわかるのですが

その時は「私は○○」

という、アイデンティティ的なことを手放すのを怖いと感じたのだと思います。

目標やなりたい自分を決めて、それに向かってがんばるのが

当たり前だと思っていました。

だから

自分が何者でもない者になるのが不安でした。

それで

「アイデンティティは、それとして受け入れて

でもこだわらない、自由になる」

と私は選択したのです。

この考え方を取り入れると

毎日どれだけたくさんのことを、自分で決めて縛って

苦しんできたか、がわかりました。

それは恋愛に劇的な変化をもたらしました。

出会った彼はノートの理想の人とは違っていました。

けれど理想の人から自由になった私は

誰とも彼を比べることがありませんでした。

すると

私がノートに書いていなかったような分野で

素晴らしい人だと、わかりました。

たとえば

毎日規則正しい、とか

まわりの人に分け隔てなく思いやりがある、とか

私を絶対に責めない、とか

理想の人を頑(かたく)なに求めていたら

気づかなかったところでした。

理想の人ではなかったけれど、二人の関係は

理想以上のものになりました。

私は、ずっと気になっていたけれど

何年も触れることができなかった本棚のノートを

やっと捨てることができたのです。

さようなら、理想の人。


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