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僕と未来と。

#お金ライター #お金コラム部門#家族#お金#育児#老後#将来#夢を叶える
「何買おうかなー。」
「これとー。あれもいいなー!」
幼少期はそんな事ばかり考えていた。
歳を幾らかとった僕は、自分で得たお金さえ自由に使えなくなってしまった。
月末を気にしたり、突然の嬉しいハガキが届いたり。
服を買いに行っても、つい見てしまう子供の服。
これも子供への投資と思うべきか、当然というべきか。
僕が年老いたら、子供が助けてくれる保証もないし、僕自身そう願ってもいない。
今は老人ホームが当たり前になりつつあるが、一体幾らかかるんだろう。
ピンキリだしは思うが、僕は正確な相場を知らない。
調べれば容易に判る事だとは思うが、それは今じゃないと感じているからだ。
子供頃は夢があって、何になりたいとか、素敵な家に住んで大きな犬を飼いたいなんて考えていた。
今の将来の夢というより、現実味を帯びた願いに等しいこの想いは、お金さえあれば誰でも叶えられるものへと変わってしまった。
いつか海外で自由気ままに暮らしたいとか、趣味のショップを起業して毎日好きな事を生業として暮らす…その夢も捨ててはいない。
しかしその夢を叶えるのって、老人ホームに入居するよりはるかにお金がかかるんじゃないか?!
そう、思うと大人しく行くべき所に落ち着いた方が、子供にも心配かけないんじゃないかなと思ってしまう。
何につけても老後血縁に迷惑をかけることになったり、家族の手を煩わせる事は避けたい。
できる限りスマートに生きて、終わりを迎えたいので、それには先立つ物が必要になってくる。
僕ごときの一般人が子供を育てながら、あと幾ら自由なお金を手にすることができるだろうか。
決してこのまま健康で、人生を走り抜けられるとは思っていない。
大きな出費や、大きな買い物もするんじゃないかと思う。
そう言った事で喜びを噛み締めながら、毎日の糧となればいいと思っているのは決して間違いではない。
「この先何が起こるか。」
「僕はいつまで健康でいられるのか。」
それが僕自身ですら、誰にも判らないからやっかいだ。
あの頃は結婚するなんて思わなかったし、自分の子供が授かる日が来るなんて考えてもみなかった時代もあった。
でもそれはとても幸福な事であり、満たされ、生きる活力となっているのは間違いない。
それと同時に守るべきものや、責任、心配事も増えた。
幸せと、不安はいつも隣合わせだ。
長女が大学受験。
次女が高校受験。
何かと失費がかさむが、合格できたらそれは大きな喜びだろう。
とんでもない入学金や、制服、教科書、学費。
家だって借りてやらねばならない。
でもそれが嬉しいのだ。
子供を持つ人ならこの気持ち、少しは分かってくれるんじゃないだろうか。
今僕は家族の為に働き、家族の為に投資している部分が大半だ。
それは誰に言われた事でもなく、僕の選んだ道だ。
自己満足かも知れないが、自分はそれで納得している。
必要なお金を使いながら、細々と老後に備えて節約する。
こんな時時折考える事はあるが、明暗を繰り返すだけで、これと言う決め手は見いだせてはいない。
これはこれからの人生の課題であり、尚且つ期限付きである。
急がず、のんびりしている暇もなく、考えていかなければならない問題だ。
家族のコミュニケーションもとても大切にしていきたい。
しかしか必要最低限のお金と、自分の将来のお金は無くてはならない物だと常々感じている。
幸せの為、幸せにしてあげるため、生きて行く為、円滑な日々を送る為として必要なアイテム。
「それはお金。」
今日も、これからも、家族の為に、自分の為に、僕は働いていくだろう。
未来のみんなの為に。
近い将来の僕の為に。

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