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加害者としてのテレビー2016年1月18日SMAP「公開謝罪」

■公取委「注意」のその後
2019年7月17日、NHKがジャニーズ事務所に対する公正取引委員会の「注意」を速報で報じて以降、事務所をはじめ、NHK、民放各局はこぞって疑われているような圧力、忖度の存在を否定した。

例えば日本テレビの小杉善信社長は7月29日の定例会見で、圧力について「一切そういう声は聞いていない」と完全否定した上で、
「出演者に関する日本テレビの基本的な考え方は、まず番組側が出てほしいタレントさんを出演していただだけるよう努力する。また視聴者ニーズがあるタレントさんにも同じように出演交渉するということ」であると強調し、暗に事務所退職後の3人の出演機会が無いのは、彼らが「番組側が出てほしい、視聴者ニーズがあるタレント」ではないと言明している。

また、疑われているような圧力や忖度を否定する声の中には、本来であれば出演者を選定する権利は持たないはずのタレントの意見などのように、必ずしも当事者の客観的な事実証言とは思えないものも含まれている。
問題はそれらによって、テレビ局側の一方的な言い分が十分な検証のないまま流布されることだ。
すなわち、3人が地上波テレビに出演できないのは、彼らに対する「需要」の有無という、彼ら自身の問題だ、という言説だ。

実際には、映画、舞台、CM、ラジオ、雑誌、インターネットテレビ、地方局のテレビ番組など、在京キー局以外の媒体への彼らの露出を考えるなら、これらの言説は客観性に欠ける。
しかし、客観性に欠ける言い分を一方的に流布できる立場にあるテレビ局や、多くの番組に出演し発言機会の多いタレントがこれらの主張を行うことそれ自体が、公平性に欠ける、不当な「パワー」の行使である。

そもそも、公正取引委員会が問題視しているのは、事務所が一方的な契約を結んで芸能人の独立や移籍を制限することだ。

今回公取委が行った「注意」とは、違反行為の未然防止を図るために取る措置で、違反行為の存在を疑うに足る十分な証拠は得られないものの、「違反に繋がる恐れがある行為」が見つかった場合に講じられる。

それにもかかわらず、この件への弁明が、3人が独立してからの対応に限定されている時点で、故意に論点がずらされているのを感じる。
「独立や移籍の制限」と言えば、誰もが思い浮かべる出来事があるにもかかわらず、事務所もテレビ局もそれには一切触れない。
そう、それは2016年1月18日、独立を画策したと言われるSMAPのメンバーが、テレビの生放送で事務所社長のジャニー喜多川氏に謝罪したように見えるあの出来事だ。
また、公取委が問うのはあくまでも独禁法の違反行為についてなので、「違反につながる恐れのある行為」を弁明するのであれば、テレビ局は「買わない商品」のことではなく、むしろ特定の業者が市場を独占していることの正当性、優先的に「買っている商品」の消費者ニーズから見た妥当性を客観的に示すべきだろう。

にもかかわらず、なぜ意味のない弁明をするのか。
その効果は何かと言えば、まさに彼らの「価値」を貶めて、独立後の業務を妨げかねない攻撃であり、侮辱である。

■2016年1月18日の暴力
私は、2016年1月18日のSMAP×SMAPの生放送を人権侵害に類するものだと考えている。
この場合の被害者はSMAPの5人であると同時に、通常は視聴に何の危険性もないその番組を、だからこそただ無防備に見ていただけの視聴者だ。
後に「公開処刑」と呼ばれたその場面を目撃させられて大きな衝撃を受けた多くの視聴者だ。
そして加害者は、彼らにあのような「謝罪」をさせた誰かと、それを放映し、その内容の是非を問うことなく翌日以降も放映し続けたテレビ各局である。

30年近く芸能界の第一線に立ち続け、多くの功績を築いてきたSMAPが、目の前で理不尽な暴力に屈服させられている姿の衝撃は、彼らを大切に思うファンはもちろんのこと、それ以外の視聴者にまで広く及んだ。

表面的に語られていたのが事務所からの「独立問題」だったこともあって、SNS上には「SMAPほどの実績があっても、会社を辞めようとしただけでこんな目にあうのか」と、職業人としての自分たちの境遇と重ねて落胆する声も多かった。

また、あの生放送によって、それまで築き上げられた彼らのタレントとしてのイメージは著しく損なわれ、その後の彼らの仕事にも影響したことは否めない。
もしも、あの「謝罪」が第三者から強要されたものだとしたら、その第三者はそれによって彼らの価値を貶め、今事務所に留まっている2人も含めた「独立、移籍の制限」につながりかねない行為をしたことになる。
そして、多くの視聴者は彼らの「謝罪」に強制性を感じ取った。

やがてそれらの声はBPO(放送倫理・番組向上機構)への訴えにつながり、BPOにはこの生放送での「謝罪」に関して、「パワハラだ」「無理やり謝罪させた」などの抗議が1月だけで約2800件寄せられた。
また、SNS上では様々な反応が見られていたにもかかわらず、翌日以降の関連報道では「街の声」として、この生放送を評価、肯定するインタビューばかりが流されたことについても多くの批判が寄せられたという。
しかし、それに対してBPOは結局「審議しない」という見解を表明した。

BPOは「放送における言論・表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理の問題に対応する、第三者の機関」(ホームページ)であり、「主に、視聴者などから問題があると指摘された番組・放送を検証して、放送界全体、あるいは特定の局に意見や見解を伝え、一般にも公表し、放送界の自律と放送の質の向上」を促すのがその役割である。

「<BPOって何?>なぜSMAP謝罪生放送は却下され『ニュースな晩餐会』には勧告が出されたのか」(藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者])によれば、SMAPのケースが不問とされた大きな理由の一つは、放送内容が「放送倫理違反ではない」という判断にあった。
しかしこの判断には、ここでいう「倫理」の範囲自体が捏造、虚偽、不適切編集などを対象とした限定的なものであり、今回の事案がそれらには当たらないということが大きく影響したと言われる。

二つ目は、本人たちから被害の訴えがないこと。
BPOは、「放送によって名誉、プライバシーなどの人権侵害を受けた」という申立てを受けた場合にはこれを審理して判断することがあるが、この申立ては本人によるものに限られている。
そのため、たとえ多くの視聴者が「パワハラだ(人権侵害だ)」と感じたとしても、「人権侵害かどうか」の検討対象にすらすることができなかった。
しかし一般的な「ハラスメント」事案では、何らかの「ハラスメント」を目撃することによって生じる間接的な被害も想定される。
そもそも「本人からの訴え」が起こるには、そのことによって今後業界内で不利益を被らないという十分な保証が必要である。現状は、それが担保されているとは到底思えず、そのようにハードルの高い「本人からの訴え」でのみ動くというBPOのルール自体が、「ハラスメント」に対応しきれていないとも言える。
つまり、「審議しない」という結論は、必ずしもあの生放送が「人権侵害ではなかった」という証明ではないということになる。

三つ目は、BPOの「青少年が視聴するには問題がある、あるいは、青少年の出演者の扱いが不適切だなどと視聴者意見などで指摘された番組について審議」するという役割に関連する。
まずSMAPは青少年には該当しない。
しかし、私の娘のように彼らには青少年のファンもいるし、番組を見ていた視聴者にも青少年はいたはずで、SMAPが「生放送で所属事務所社長に謝罪している(させられている)」ということが、こうした青少年にどのような悪影響を与えるかは想像に難くない。
にもかかわらず、そうした悪影響は必ずしも客観的に立証できるものではないため、ここでも審議に至る明確な理由が見つからないという判断がなされたのだ。

つまり、BPOの「審議なし」という判断は、必ずしもSMAPの「公開処刑」に問題が無かったという証明ではなく、この出来事が、BPOが想定する適用範囲内では裁けない、言ってしまえば前例のない出来事だったということだ。
しかし問題はそのことによって、この生放送の「異常性」「加害性」が曖昧となり、多くの視聴者に残した「傷」の責任主体が明らかにされる機会を逸してしまったことだろう。

■加害者としてのテレビ局
前述の日本テレビ社長の談話を読んだ時、娘は泣いた。

こんなことだったら公取委の調査なんてなければ良かった。
そんな、絶対に思いたくないことを思わずにはいられないほど、
「加害者」たちの自己弁護の言葉による「二次加害」は
今も私たちを、そして彼らの尊厳を傷つけ続けている。
それは10代の娘から見たら、いじめを隠蔽する汚い大人そのものだ。

2016年1月18日、テレビ局ははっきりと加害者だった。
視聴者である私たちは、まだ一度もテレビの暴力の「被害者」として認識されたことがない。だから謝罪も傷のケアも受けたことがない。
それでも公取委の調査をきっかけに、少しでも好転すれば癒されるのかもしれないが、逆に傷に塩を塗られるようなことが続いている。
加害者が、何も主張してはいけないわけじゃない。
ただしその主張や自己弁護にも、被害者の二次被害やフラッシュバックに配慮できるかが問われる。
しかし今はそれが全くないどころか、そんな被害自体が無かったものにされている。

いや、それだけではない。
この出来事を通じて一貫して忘れさられているのは、その被害者が、テレビ局自身が基本だと語った「ニーズ」の持ち主、つまり最も尊重しなければならないはずの「視聴者」だということである。


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