見出し画像

SMAPというキャリア -それでも決して失われないもの

稲垣吾郎さんが、自分たちが経験した大きな変化について「40代の社会人なら皆経験すること」と語っていたのが、
とても印象に残っている。

だからというわけでもないが、ついついSMAPに起こったことを一般の社会人に置き換えて考える。
例えばこんなふうに。

30年近く同じメンバーで高い実績を上げてきた社内プロジェクト(あるいは社内ベンチャー)が何らかの理由で終了となり、チームは解散。
一部メンバーは退職して同業種で事業を立ち上げ、残留メンバーは特定部署には所属せず、各々単独で社内ベンチャー的に動いている。
そして、プロジェクトが生み出した成果物は企業の所有になっている。

……といったぐあいだ。

例えば特許法では、職務での発明の特許は企業の帰属。
特許じゃなくても、職務上の成果物の帰属も通常は企業になる。
まあ、曲やグループ名はこれとは性質が違うけれど、退職で「ゼロになる」という論理はなんとなくわかる。
でも、そこに関わったメンバーが退職せずに社内に残っている場合はどうなのだろう。

一方、彼らが一般の社会人と決定的に違うのは、彼ら自身が商品でもあるということだ。
たとえ彼らが関わった成果物は持ち出すことができなくても、彼らという商品は社外に持ち出すことができる。
だからこそ名前や曲は違っても、彼らをひとたび目にすれば、人々は、以前から続く同一の商品として認識する。

しかも、この商品は自ら努力し、成長する。
かつていた、その環境だから成果を上げられた部分もあるけれど、その功績に、その人の資質や努力を加味せずに全てを企業のものだと考えるのは、やはり無理がある。

時々、新しい地図での活動について
「いつまで3人でつるんでいるんだ」みたいな揶揄を聞くけれど、これはまったくバカげている。

稲垣さんが言うとおり、一般的な40代の社会人であれば、転職やセカンドキャリアをスタートさせるケースは決して珍しくない。
その時、スキル、知識、人脈など、これまでのキャリアで培ったものの中から、使えるものを総動員するのはあたりまえのことだ。

ずっとチームでモノづくりをしてキャリアを積んできた人に、会社を辞めたからといって、同じものを一人で作れとは言わない。
同じように、30年近くプロとしてグループという形で歌って、踊って、バラエティーをするための高度なスキルを身に着けてきた人たちが、そのスキルを活かせる仕事をこれまで通り続けて何が悪いのか。
あなたはそうじゃないのかと聞きたくなる。

ましてや、大きな成果を上げた同じ企業に留まっているならなおさらだ。
十分なスキルも経験もあり、それを裏付ける実績もある。
それなのに、そうした仕事をさせない力があるとしたら、それは暴力以外の何者でもない。

音楽、演技、笑い、スポーツ、料理、
誰かに寄り添うこと、
誰かを応援すること、
新しい才能を引き上げること、
道なき道を行くこと、
変わりながら変わらずにいること、
紛れもなくSMAPを形作ることに貢献してきたこれらの要素は、SMAPというキャリアの実りとして、今もなお彼らから失われていない。
誰も奪い取ることはできない、ほかの誰のものでもない彼らの帰属だ。

「キャリア」の語源は「わだち(轍)」。
轍は、車輪が通った後ろに残るもの。

もしも、彼らが刻んだ轍に誰かが必死に砂をかけたり、別の車輪でその上を踏みつけて消そうとしているなら、そろそろ気づくべきだ。
あらゆる方向にくっきりと刻まれた轍の全てを消すなんて、到底無理だと。

しかもその轍は今も、そしてこれからも、さらに四方八方に広がりながら、伸び続けている。
ただ5本の車輪が前に向かって走り続けている、それゆえに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?