「アイドル」という枷から解放されるべきは彼らではない。

ジャニーズ事務所退職後、
稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾はそれぞれ単独で映画出演を果たし、
その演技は、一様に高い評価を得ている。

6月末に封切り予定の香取慎吾主演の『凪待ち』にも
既に試写を見た業界関係者から
彼の「汚れ役」を称賛する声が寄せられている。
ところが多くのレビューには、他の俳優を評価する際には
使われない言葉が躍る。

「元SMAPの文字は見えない」
「元アイドルというフィルターを確実に外して見て下さい」
「脱アイドルをしたかったんだろう」
「『アイドルたれ』との事務所の方針という枷から解放されたことが
プラスになった」

これらの言葉は、
彼らの演技を素直に評価することに対する抵抗にも見えるし、
演技の世界における「アイドル」への偏見を知るがゆえの
「これは、あなたが思うものとは違うからぜひ見て」
というエールにも見える。

いずれにしても、それらは彼らを評価しているからこその善意の言葉、
彼らを「アイドル」の肩書から解放してやることが正しいと疑わない言葉、
そして、他ならぬ彼ら自身が「アイドル」として生きたいと望むことなど
想像もしていない言葉だ。

彼らはずっと、
こういう先入観や偏見に基づく評価に晒され続けてきたのだろう。
その負わされたハンデの中で黙々と最善を尽くし、
他者の無責任な言葉を受け止め、
それでも腐らずに進んできたのだろう。
しかし、その末に与えられるのが
彼らがそんな理不尽に耐えてでも誇りをもって続けてきた、
続けたかったことを軽んじる言葉だとしたら、あまりにやるせない。

あの時もそうだった。
SMAPの解散を彼らの意志だと考えた人たちは、
もう十分に芸能界に貢献した彼らの功績を称賛し、
彼らへの好意ゆえに
「もうアイドルはやめて自由になればいい」と言い、
「だから彼らを解放してやれ」とファンに言った。
ファンは彼らを望みながらも、これ以上を望むのは、
彼らに犠牲を強いることなのだろうか?と煩悶した。

でも新しい地図の誕生は、
それが事実ではないことを高らかに宣言した。
彼らは今もなお「アイドル」であることを選び、
「アイドル」である彼らを待つステージに帰ってきた。

彼らの演技に心を掴まれたのなら、
「ステージでは全力でみんなを幸せにして、
映画では全力でろくでなしを極めるのだから、アイドルってすごいよなあ」
そう言っても良いはずなのに、なぜか誰もそうは言わない。

褒めているつもりの「脱アイドル」という評価に潜む
「アイドル」という仕事への侮り、己に巣喰う偏見に気づかない。
前時代的で凡庸な、その「アイドル観」を隠すこともなく
30年にわたって、5人の人間が誇りを持って続けてきた仕事を
誰かから押し付けられ、やらされていたものだと決めつける非礼を
改めようとはしない。

「アイドル」という枷に縛られて
これまでもそこにあった
彼らの真の姿を見ることができなかったのは誰だ。
新しい地図が開かれて
その枷から解放される必要があるのは、いったい誰だ。


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<追記>
このnoteへの反響の中に、
「強く首肯する。
だけど一方でそういったアイドル像を作ったのも芸能側だ。」
という言葉を見つけて、自分の中にあった「書ききれなかった」部分が
明確になった。

そう。物事には常に表と裏がある。
そして、ステレオタイプのアイドル像が作られるのは
それを望んだ誰かがいるからで、
そこに嵌ることで、得をすることもたくさんある。
彼らにとっても、それは必ずしもハンデばかりではなく、
当然、そこから享受してきたものも多かったはずだ。
でも、だからこそ彼らは
「アイドル」の肩書が上手く働く時も、枷になる時も
それを下ろすことなく、仕切られたアイドル像の枠の中で精一杯、
限界ギリギリまで動き回り、少しずつ枠を壊し、広げ、
そうやっていつしかSMAPという、唯一無二のアイドルの形を作り上げた。

最初は「そこでしか生きられない生き物として作られたから」。
それがやがて、
「アイドル」としてそこに立つものにしかわからない喜びと
「アイドル」としてそこに立つものにしかわからない苦しみ
そのいずれをも引き受けて進み続ける、主体的な覚悟に変わった。
しかしそのあり方は、彼らを枠に閉じ込めたい側には疎まれ、
古い「アイドル像」のモノサシしか持たない側には理解されなかった。

彼らは、もはやどこにでも行ける。
それでも彼らは「アイドル」という枠を選んだ。
以前とは違うのは、その枠の形も大きさも、
決めるのは彼ら自身だということだ。
今までなら枠の外に押し出していたものも、
枠の内側のものとして見せることができる。
そう。「アイドル」の鞄の中身として。

そんなふうに語るべき物語の枠組みが変わっているのに、
それを評する側のモノサシがいつまでも古いままで
今もなお「アイドル」であり続ける彼らを語れないのは当然だ。


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