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「4技能」や「教科」にとらわれない、大人の英語学習のこと

School systems should base their curriculum not on the idea of separate subjects, but on the much more fertile idea of disciplines.

TED でも有名なケン・ロビンソンの言葉です。教科をバラバラにとらえるのではなく、学問全般に目を向けよう。その方がずっと実りが多いよ、ということですね。

「修了生インタビュー」に対していただいた感想の中に、「4技能のバランスがいい」というのがありました。

「4技能」というのは、「聞く・話す・読む・書く」のことです。2020年度に大学入試が変わると決まってから、日本の英語教育界隈で特に大きく取り上げられるようになりました。これまでのセンター試験で問われていたのは「聞く・読む」の2技能、新しい試験では「話す・書く」が加わって4技能、ということになっているようです。

そういえば、KECのプログラムは「教科横断的」と言われることもあります。「教科横断的」というのは、学校の時間割でいうところの「国語、算数、社会」など、いろんな教科に関わっている、ということです。たとえば、ある教科を学ぶことを通じて、自分で課題を見つけたり、情報を分析したりする能力が身につくと、その能力は他の教科を学ぶ場合にも応用できるとされています。

KECのウェブサイトは基本的には英語を学ぶ人向けですが、教育関係者やカリキュラムデザイナーの方たちにご覧いただいても恥ずかしくないようにつくっています。専門的なご意見をいただけるのは光栄で、ありがたいことです。もちろん、どなたにも自由に感じ、解釈してもらってかまいません。

ただ、私は「4技能」も「教科横断的」も目指していないので、どう反応すればいいのやら。なんだかモヤモヤしてしまいます。

確かにプログラムには「聞く・話す・読む・書く」の要素が入っています。大人の受講生に“教科”はありませんが、KEC での経験を仕事やプライベートに応用している話はよく聞きますから、「横断的」でもあるのでしょう。でもそれは、「4技能」や「教科」の視点に立つとたまたまそう見えるだけ。実際は、私も受講生も、技能や教科の境目を意識していないのです。

振り返ると、私は子どものころから技能や教科を切り分けることにぼんやりと違和感があったのですが、アメリカで教育を学んで、いよいよ「やっぱり無理があるよな」と思うようになりました。たとえば「4技能」って、そんなにくっきり線引きできるもんじゃないでしょう。聞いたことをもとに文章を書くとき、あるいは、少し前に読んだことを思い出しながら話すときなどを考えてみればわかります。いつ、どの技能が働いているか特定するのは難しいし、特定する意味もなさそうな気がします。

「聞く・話す・読む・書く」は、表現の手段として主要なものですが、手段は他にもあり、ほとんどの場合、複数の手段が連動しています。会話の中でうなずいたり、目を見開いたりするのも手段です。また、人それぞれ得意な/よく使う手段、不得意な/あまり使わない手段があってかまわないし、むしろアンバランスなのが普通だと思います。「書くより話す方が好き」「聞き手にまわりがち」などは個性であって、弱点でも欠点でもありません。得意で不得意をカバーしてもいいし、不得意を克服したくなったらすればいい。

研究の世界では、特定の枠や条件を決めて対象をしっかり絞りこむことが重要です。人間の言語活動を「聞く・話す・読む・書く」の4つに分けることは、研究者にとっても言語を教える先生にとっても便利なアイディア。でも、その線引きはあくまでも便宜上の、仮のものです。実際に線が引いてあるわけではなく、4つをクリアすれば言語活動のすべてを制覇できるわけでもありません。

教科も同じです。「分けておくと使いやすい」という以上の意味はありません。どこまでが国語でどこからが算数なのか、本当はあいまいで分けようがないのです。でも、いきなり抽象度の高い、だだっ広い学問の世界へ放り出されては学ぶ意欲が失せてしまうし、教える方も大変なので、とりあえず小さく切り分けることになっています。教科という概念は学習をスタートさせるには便利ですが、なにぶん仮のものですからすぐに限界がきます。そこから先の、教科の枠を超えたところに、学ぶ楽しさが待っています。

実は KEC の受講生も、多くの場合、最初は「教科としての英語」、その中の「4技能」…というふうに切り分けて考える癖をつけた状態でやってきます。卒業してから何年も経っても、“英語のお勉強”と思うと頭が学校モードに戻ってしまうのかもしれません。せっかく自由に学べるのに、もったいない。

幸い、プログラムがはじまると、“切り分け癖”や学校的なマインドセットは薄れていきます。

たとえば、文字起こしで聞き方をチェックし、聞き取れない語を探っているうちに、動画で発音の違いを知る。会話でよく使う表現を書いて覚え、数日置いてしゃべってみたら自然に言えている自分に驚く。調べるときのキーワードや辞書の引き方をチェックしているうちに読むことにハマる。たくさん読んで話題が増えると、説明の仕方を工夫したくなる。日本語や、これまでに培ってきたコミュニケーションのスキル、スポーツや趣味、仕事から学んだこともフル活用。「あの経験が、こんなところで生きるとは!」といううれしい発見は、人生経験を積んだ大人の学習者の特権です。

プログラム後半になると、受講生は手段を自在に組み合わせて学習計画を立てられるようになります。見方によっては技能や教科を横断し、さらには “横断的な学び” と “教科(英語)に固有な学び” の間を行き来していると言えます。でも、受講生にそんな意識はないでしょう。彼らは誰かが切り分けたピースを貼り合わせているのではなく、いわば芋づる式に、自分で学びをたぐりよせているのです。

ケン・ロビンソンが唱える学校システムが世界中に浸透し、そこで育った子たちが大人になる頃には、切り分けるという発想の方が理解してもらえなくなっているのでしょうね。


Photo by Clarissa Watson on Unsplash

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