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国際コーチ連盟 (ICF) 認定言語コーチのこと

最近は日本でも「コーチング」が広まりつつあり、コーチを養成する学校などもすぐ見つかります。また、英語教育の方面でも「英語コーチ」が増えてきています。

言語コーチは、ライセンスという意味での資格がなくても名乗れます。TOEIC や英検などが、その結果だけで英語力のすべてを測れるものでないのと同様、資格があれば良いコーチ、なければ悪いコーチというわけではありません。資格は一定のトレーニングを受け、ある基準を超えた経験を証明するもの。それにどのくらい価値があると考えるかは、人それぞれです。

私は言語に関する資格をたくさん持っていますが、これは自分に自信がないせいです。試験や講座を受けて合格・修了までたどりつけば、とりあえず少しは安心できる。受講生が資格試験を目指す場合は、自分に経験があった方が相談に乗りやすい。資格を取ってしばらく経つと、力が落ちたかも…と心配になる。そんな理由でいろいろと受けていたら、まるで資格マニアのような、なかなかイカつい保有資格リストができてしまったのでした。

国際コーチ連盟 (ICF) 認定言語コーチの資格を取ったのは2014年。前年に Rachel Paling がつくった第1回オンライン講座に参加しました。いまや言語コーチは世界中に450人超を抱える大所帯ですが、当時は小さなコミュニティで、アジア人は私ひとりでした。最近はセミナーなどに参加すると、すっかり古株扱いされます。

ヨーロッパを中心に増え続けている言語コーチですが、日本ではまだほとんど知られていません。この note では、認定言語コーチになるまでの道のりと、コーチたちの人となりについて書いてみようと思います。

認定言語コーチへの道のり

認定言語コーチになるには、Efficient Language Coaching で計36時間の資格講座を受け、最終課題にパスする必要があります。受講条件は、言語教育の資格を持っている、大人向けに3年以上言語を教えた経験がある、など。講座は対面もしくはオンラインで受けられます。いわゆる座学は多少ありますが、主となるのはロールプレイやディスカッション。ハンズオンの実践的なトレーニングです。最終課題では、実際にクライアントを相手にコーチングセッションを行い、それを録音したものを提出します。

私がネット上でこの講座を見つけたときは対面受講しか選択肢がなく、会場はロンドンかパリでした。アメリカでの開催がないか問い合わせると、「ちょうどオンライン講座を新設して、募集するところよ!」と言われ、ちょっと運命を感じて申し込んだのでした。

クラスメートでいちばん近所だったのはコスタリカで語学学校を経営する男性。他はイギリス、フランス、ハンガリー、ポーランドなど、ヨーロッパの人たちでした。ロールプレイは毎回とても緊張しました。イヤな汗をかきながら必死で取り組み、終わったあとはがっつり凹んでぐったり疲れる…の繰り返しだったのを覚えています。


コーチはどんな人たち?

これはあくまでも私の個人的な印象ですが、言語コーチが集まる場に参加すると「国籍や人種はバラバラなのに、よくこんなに似たような人が集まったな」と感心します。代表 Rachel の人柄もあると思いますが、全体的にやさしく穏やかで、挑戦をいとわず、教育者としての矜持を感じさせる人が多いです。

コーチたちが初めて一堂に会したのは2017年、ドイツ・マインツで開かれたカンファレンスでした。その場で私がいちばん強く感じたのは、「めちゃめちゃ気の利く人たち」ということ。帰宅後、私はこんなふうに書き残しています。

世界中から、言語コーチや言語コーチングに興味のある人が集合してみたら、それはそれは気の利いた場になった。

気が利くというのはとても微妙で繊細な動作の結果、他者がハッと感じることなので、派手なことは何ひとつ起きない。「気を利かせてまっせー」という見た目のわかりやすさも、「ホラ、こんなことをしてあげる私って、気が利くでしょ?」というアピールも、全然ない。

空になった瓶がいつの間にか新しいものにかわっていたり、知らないうちにゴミが消えていたり。ちょうどいいところに、ちょうどいい感じのお菓子が現れたり。気持ちの良い空気が入って来てから、誰かが窓を開けてくれたことに気づいたり。誰かがジャケットを羽織ると同時に窓が閉まったり。前方の人が姿勢を変えるとき、後ろの人の視線を邪魔しないようチラッと確認したり。近くの人が発言するときはそっと下がったり。

デモンストレーターが「あ、手がふさがりそう」と思うと同時に、立ち上がってサッとマイク係をやる人がいたり。会話の途中で入った人を、ごく自然に溶け込ませたり。隣の人が席を外してしばらくすると、別の人が話しかけてきたり。一方で、沈黙も、一人にさせておくことも、どうってことなかったり。協力するとか、手伝うとか、譲り合うとかは、もう、当たり前すぎるぐらい当たり前。

なんなの、この人たちは。

いくら言語や教育やコミュニケーションが本職の人たちとはいえ、いくら empathy や compassion のプロとはいえ、このさりげなさ、いろんなちょうど良さ、快適さは尋常じゃない。

表現としては、「みんながこぞって気を利かせあってる」というのが近いだろうか。

いや、違うな。
なんかもう、そんな次元の低いことじゃないんだ。

コーチは学習者にとって快適な空間をつくり、学びを促進する役ですから、相手の気持ちや欲求を察して気を利かせるのは仕事の一部です。また、言語コーチは教育者なので、一歩引いて全体を見渡すことにも長けています。でもそれが自然にできる人が何十人と集まると、なんとも言えない不思議な雰囲気をつくるのです。カンファレンスは丸2日、朝から晩までカンヅメで大量の情報が飛び交う場。私を含め何人かは時差ボケで眠気と戦う場面もありましたが、この常軌を逸した快適さによって、脳が学びをぐんぐん吸い込む感覚を味わうことができました。

そして、言語コーチたちは苦手も似ています。営業やマーケティング、宣伝の話題になると、空気がどんよりします。先日も言語コーチ向けのビジネスセミナーに参加したのですが、冒頭に「私たち教育者は、お金の話が苦手ですが…」と言われました。一般的なビジネスセミナーって、たぶんもっと情熱的に集客や売上アップのノウハウを教わる場でしょう。そこへ「気が進まないのはわかってるけど、しょうがないよね」という低温っぷり。そのギャップに笑ってしまうと同時に、「あぁ、やっぱりそうなんだな」とホッとしました。

「無償でコーチングを提供できる世界になったら理想的。でも、そうなるまではお金の話は避けて通れないので、なんとか工夫して苦手を乗り越えましょう」という言葉に、大きくうなずく。言語コーチは、そんな人たちです。



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