雨水は塩を含まないように、言葉に嘘はない。

『cicago vol.06』(2018年 TOKYO ART BOOK FAIRにて販売)より

体じゅうに寒気が走って、頭が締め付けられる。かと思ったら、急に体が熱くなり全身に汗をかく。頭がぐらぐらする。息苦しい。高度が下がってくるごとに、寒気と妙な汗と頭ぐらぐらと息苦しさが加速する。辛すぎて機内非常時の体勢と同じ格好をしてみるけど、そうすると胃が圧迫されて余計にきつい。逆に背を伸ばしてみるとベルトでお腹が苦しい。バレないようにベルトをゆるめて着陸体勢に入る。成功。顔が真っ青になっていると同行したRに言われる。それはなんとなく自分でもわかる。すぐに日本から借りてきたwifiの電源を入れ、飛行機、着陸、気持ち悪いと検索すると、誰かの知恵袋が答えてくれた。それは単なる乗り物酔いです。はあ、そうですか。特に大きな病気を期待していたわけではないが。入国審査を抜けて外へ。この国はAusgangだ。

ホテルにチェックインし、束の間の休息。窓を開けてみると、すぐそこに駅が見える。トラムの走っている町はいい。夕食を食べようとWさんと合流。プールに入ったばかりらしくいい匂いを漂わせながらロビーのソファに座っていた。駅前はホテルと飲食店がたくさんある。怪しい店もちらほら。変な顔をした星のマークの店は何屋さんなのだろうか。何か見るものあるのかね? 皆何しにこの街に来るのかね? と自分たちも来ているくせに言いながら、駅から真っすぐ伸びる大通りへ。おしゃれなフライドポテトの専門店、スターバックス、マック。あんまり探しても見つからなさそうなので、適当なハンバーガー屋に入る。ニューヨークスタイルと書かれていた。アボカドバーガーとサラダをレモネードで流し込む。寝る。

3時48分。最初の時差ボケ。二度寝。7時起床。平たい桃をかじる。朝ごはんはカフェでサンドイッチとカプチーノ。アイン、カプチーノ、ビッテ。なんてもちろん言えなかった。Rは仕事をするというので一人manufactumへ。地下鉄に乗り、ひと駅。女児が鏡の前で笑顔の練習をさせられているようなこわばった顔のマネキンとすれ違う。彼女は、毎日ウィンドウの前を行き交う人たちに向かって、歪んだ作り笑いをしているのだろうか。会社のロビーのような場所に2メートルほどの人型でスーツを着込んだ木彫りの彫刻があった。前にも見たことのあるわりと好きなドイツ人作家の作品かなと思って中に入ってみるが、サインを見てもよくわからない。写真を撮ってもいいかと聞いたらダメというので諦めた。manufactumに着く。入るなり園芸コーナーだし、霧吹きとかシャベルとか、使い道はないけれどもノコギリとかいろいろ買って帰りたいけど、まあ無理だ。園芸コーナーをなめるように見て、キッチン、バス、文具コーナーをパトロールする。奥の洋服は見なくてもいいか。初めてmanufactumに行った時にはあんなにテンションが上がったのに、今日はそうでもない。だって、旅程の最初の日なんだもん。これからスーツケースを持ったままあちこち回ることを考えるとできるだけ荷物は増やしたくない。その心が購買欲を一気に萎えさせた。

ランチはRとWさんと合流。食堂らしきところがあったので入った。温室のようなグラスハウスには光が差し込んでいてきれい。壁には絵が描いてあるし、ここは何なのだ。カウンターの列に並んでランチはと聞いてみる。どうやらスチューデントとここの会社の人とビジターの料金が違うらしい。君たちはビジターだよと教えてもらい、3つくらいの中から頼んだ。5ユーロだったか6ユーロだったか、とにかく安かった。待っているとすぐに食事はやってきた。ビーフのトマト煮とご飯の上にカッテージチーズがぱらり。小さなサラダも付いていた。うまい。Wさんが私の隣でランチをしているご夫人たちに、あのーここは一体何の建物なんでしょうと話しかける。シュテーデル・シューレという美大と美術館よ、学生たちは夏休みなのとご夫人。美大生っぽい学生いないねと言いつつ、今の美大生ってどんな感じだったかなと思い返してみたが、確かにつなぎ着て木くずとか絵の具をつけているような子はいなかった。

公衆電話が並んでいるというので見に行ってみたいというWさんからの提案でMuseumsstiftung Post und Telekommunikation(コミュニケーション博物館)へ。私とRは特に予定もなかったので、ついて行くことにする。ていぱーくみたいなところだろうか、それともICC的なところだろうか。ビルの前に来てロゴを見ると、塗りつぶされて冠のような形になったMの文字の2つの山部分にPとTがあしらわれた、可愛らしいロゴ。ていぱーく側に軍配が上がる。あれ、ていぱーくってまだあるんだっけ? 閉館したんだっけ? どうでもいいことが頭をよぎる。ひとまず様子をうかがうことにしてみる。地下1階の常設展示はリニューアル中。ふと見ると不思議なオブジェがある。グレーのぐるぐる巻きの電話コードを大量に使って見た目ふわふわとした羊の体の形が象られ、顔の部分には古い電話機が配されている、受話器が角というか耳になっており、つま先部分にもぐにゃりと曲げられた受話器が使われている。微妙にくすんだグレーの色味とぐるぐる巻きのコードはいかにも羊らしい。誰が作ったのかわからないが、思いついた時にはさぞ嬉しかったことだろう。

2階の展示室へ。ここは無料。シルクハットをかぶったキツネの口から吹き出しが出て「Mein Name ist Hase!」と言っているが何のことやら、マイ・ネーム・イズ・ハセ? わからない。展示を見てまわるが、どうやら言葉をテーマにしたものらしく、単語が描かれた木片が吊るされていたり、タッチパネルで言葉を選ぶものがあったり、大きなルーレットの一片ずつに言葉が書かれ何か組み合わせると面白いことが起こるような仕組みがあったり、人形劇セットのようなものもある……。きっとドイツ語を楽しむためにいろんな工夫がされているのだろうけど1ミリもわからない。悔しさすらない。奥の方に、ボタンを押すとレシートが出てくることわざマシーンがあった。これくらいならできるだろう。ポチ、べべべべ。紙には「Das Regenwasser enthält kein Salz, das Sprichwort keine Lüge」と。そうだった。google翻訳の画像モードがあったことを思い出した。ドイツ語→英語「The rain water does not contain salt, the saying is no lie」。ふむ。モンゴルの諺、とある。わかったようなわからないような言葉だが、今度ドイツ語がわかる人に会う機会があったら聞いてみよう。あ、これ、一生聞かないやつかもしれない。

3階の企画展では大きくOh Yeah!と書かれ「POP MUSIK in DEUTSCHLAND」というタイトルがある。入り口ではミラーボールがまわり、壁一面にヘッドフォンが吊り下げられ、スタッフが一人にひとつ手渡してくれる。どうやらポップミュージックの展覧会らしいが、どこがポップなのだろうか。大きな長いソファがあり、そのところどころに半球型の装置が添え着けられ、そこには3つくらい穴が開いていて、プラグが挿し込めるようになっている。刺すと音楽が流れる。展示全部がそういう仕組みになっており、鑑賞者はヘッドフォンをつけたままプラグを手に持ち会場内をうろうろする。気になる展示があったら、球体にプラグをグサッとやる。このオーディオ用の大きなプラグをぐさりとする時の触感がなんとも言えず気持ちがいい。iPhoneの音声プラグや、Macのマグネット式のプラグにはない快感。何の音楽だかわからなくても、特に好きな音楽でなくてもグサッとやりたくなるし、実際やった。音楽自体は何をポップと定義するのかすらよくわからない大らかさで、デスメタルがあったかと思いきや、シュトックハウゼンのライブ映像があったり、プレスリーの衣装も展示されてる。意味がわからないながらも、プラグ抜き挿し体験も楽しくて、相当な時間を費やしてしまった。Wさんとはここでお別れ。次の都市へ移動。電車で4時間以上かかっただろうか。ホテルにチェックインをし、夕食は近所にあったイタリアン。少々塩気がきつかったけれど、パスタの茹で加減はちょうどよくおいしかった。シードルを飲んで寝る。

翌朝、ホテルで自転車を借りた。右ハンドルのところに前タイヤのブレーキはあるが、左側には何もない。そのかわりに後輪はペダルを逆回転させるとブレーキになるのだ。もう20年以上前になろうか、ビーチサイクルに乗って以来の運転。しかも、タイヤもフレームもハンドルも何もかもがでかい。大きな人たちの国の乗り物だもの、仕方がない。Rが部屋に忘れ物を取りに行ってる隙に練習をする。いつものように左の足をペダルに乗せサドルに座って自転車をまたぎ、右足をペダルに乗せ、よいしょと漕ぎだそうとすると、勢いで逆方向にペダルを回してしまったらしくそのまま自転車は急ブレーキがかかり左側に倒れ、肘と腰を石畳に打ち付けた。痛い。一日これに乗るのかと思うと不安しかない。

「SP」の文字と地図を頼りに作品を探す。最初に行ったのは、ホテルから自転車で数分のところにあった貸し農園だ。門が閉じていたが、勝手に鍵を開けられたので入ってみる。「SP」の文字を頼りに作品の場所を探す。ダリアの花が人気なのだろうか、各色のダリアが咲き誇っている庭。野菜を中心に栽培している庭。でもどの庭にもだいたい果樹が植わっている。本のかたちをしたオブジェに「SKULPTUR PROJEKTE」と描いてある。どうやら場所はあっているらしい。園内のどこに作品があるのだろうか。矢印が書いてある方に進んでみる。しかし、それらしき建物は何もない。場所を間違えてしまったのだろうか。うろうろする。敷地の一番端っこまで歩いてみる。そんなに広くはない。端の敷地で夫婦らしき男女が作物の手入れをしていた。9時40分。ひょっとして早過ぎたのだろうかとウェブを見てみると、展示は10時から。なるほど。特にやることもないので、作家の名前で画像検索をしてそれらしい建物を探すことにする。レンガ色の塀で黒い屋根、やっぱりない。と思っていたら、あったあったとR。生け垣の奥の方にどうやらそれらしき建物を見つけたようだ。また勝手にゲートを開けて入る。ぐるりと生け垣を回っていくと、小さな人工池と木製のテーブルセット、赤いレンガ色の壁はここにあった。玄関のドアノブをひねってみると、まだ開いてない。外のベンチに座って待つ。

9時52分。ひょろっとして色白でくるくるした金髪の男の子がやってきた。グーデンモルゲン。スタッフなのだろう。大きなパラソルを出したり、池のモーターに電源を入れたりてきぱき働く。入っていいかを聞くと、いいよ、僕はまだ準備をしているけどと言ってドアを開けてくれる。小屋の中へ。左手の白い壁の前には3段のチェストがあり、緑色の布が貼られ赤い栞が飛び出た本がざっと30冊くらいは並んでいただろうか。本棚の一番上の段には等間隔に多肉植物やサボテンが植えられたプランターが置いてある。正面はピンクの壁に写真用のコルク材が掛けられ、12枚のポートレートがピンで打たれている。隣には刺繍で描かれた風景画が3枚。右側は大きな窓が2つとその上に小さな明かり取りの窓がひとつ。白い盤に黒い数字、分単位の目盛りは赤というシンプルなデザインなのに秒針だけにょろにょろとした掛け時計。白地に赤く子どもの男女が二人並び、葉っぱのアーチがかけられそのくぼみに花という模様が繰り返されたカーテンが吊るされている。窓際に置かれた青いクロスの掛かったデスクには2冊の本が広げて置いてある。本棚から出して見てもいいよという合図なのだろうか。めくってみると、中身はドイツ語なのでちんぷんかんぷんだが園芸日誌だということがわかる。先ほど見た写真の主が、この日記の執筆者であり各貸し農園の主なのだ。背には園主の名前と2007-2017という文字が描かれ、中はスクラップブックになっている。中に貼り込むことが前提になっているから台紙が最初から間引きされているとR。なるほど、確かに普通写真とかを貼り込んでいったら膨れてしまって見た目が悪い。作家は最初からそれを想定してこのフォーマットを作ったのだろうか。それとももともとヨーロッパにはこういうスクラップブックが売られているのか。いずれにしても1冊10センチはあるだろう、分厚い。押し花をしている人もいれば、花を一つひとつ絵に描き詳細に解説(だと思う)を加えており百科事典のようになっている人もいるし、秋になれば収穫祭とばかりに採れた食物でパーティをしている写真があったり、子どもたちが来て小屋でくつろぐ様子の写真も。各園とその家族の10年分の歴史が本の中に収まっているのだ。ガイドブックを読むと、作家は単なる日々の雑記だけではなく、植物や気候データの記録とソーシャル&ポリティカルな出来事についても記録することを提案したと書いてある。日記がこの庭園全体の記録となり野菜や果樹栽培の実践書にもなっているのだ。2007年にプロジェクトを始めた時、咲くのに約10年かかるというハンカチの木(Dove trees)の種を販売して、その花が咲く頃ミュンスターを思い出してねとメッセージを発したそうだが、それは咲いたのだろうか。ひょっとして農園にもあったのかもしれない。ハンカチの木の別名は幽霊の木。花の周囲にぱらりと白く大きな葉が垂れ下がっているからだそうで、幽霊の木のほうがかわいいな。wikiで調べたら近所の公園に同じの木が生えているそうで、小石川植物園の技官が作家の幸田文に送ったといういわれがあるらしい。幽霊の花が咲く頃見に行ってみよう、Rと。

その後数日間で、当初の目的通り数え切れない程の作品を体験した。だけど、それを書こうとすると、うまくゆかず、フランクフルトのショーウィンドウで見た、あの女の子のような表情になってしまった。

(了)

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keiko kamijo

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