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対話の場でわたしが置く言葉

わたしは、生まれたときから当事者家族である。

はじまりは、両親(ともに当事者)だった。診断、治療の有無を問わなければ、祖父母もそうだ。

そんな経緯もあって、支援職になったが、今度はわたしが当事者となり、我が子も当事者となり、再び当事者家族になった。

つまり、わたしはずっと、当事者かつ当事者家族なのだ。

これらの体験が重ねられての今である。
対話の場にわたしが置く言葉は、そういうわたしから生まれる。わたしだから紡ぐことのできる言葉なのだと思う。

自分の過去と今を捨て去って、外側の綺麗な言葉で飾りたくなっても、それはできないことがやっとわかってきた。

なぜなら言葉はわたしだから。

自分が置く言葉を、自分自身で大切にしていきたいと思う。



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