【色々】雑感まとめ

ふせったーに投稿した感想の移植です。

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【モリミュ】

公演名: ミュージカル『憂国のモリアーティ』
公演期間:(東京)20190510-19/(大阪)20190525-26
公演会場:(東京)天王洲 銀河劇場/(大阪)柏原市民文化会館リビエールホール 大ホール

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投稿日:20190527
本文:
現場検証のシーン シャロがジョンに「ジョン、死体を検分してくれ」って指示した後ジョンが一瞬戸惑いながらもすぐさま了解して行動に移したところ、この時点で最高に“コンビ”だった すき… #モリミュ

しかも死体に近づくためにジョンがシャロの後ろに従う格好になり、前を歩くシャロと歩調が1〜2秒完璧に重なったの、この描写だけで「あ、この2人はこれから最高のチームになるんだな…」ってわかってさ 胸が苦しい

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投稿日:20190707
本文:
‪「いい夜になった…」のシーン、エンダース卿の半開きの口からだらしなく漏れ出る煙草のけむり、退廃的で、どことなく下品で、動物じみていて、、、‬ #モリミュ

‪他の重要なシーンでも小南さんはエンダース卿の獣性をゾクゾクするほど的確に表現していて、2幕のキーパーソンとしてすばらしかったと思う。‬ 
滅多刺しを目撃された後観客に「あ゛ぁ!?」って凄むところとか、気品も優雅さも、およそ貴族らしいところが欠片もないものね。 
「やはり動物と変わりない…叫び声まで下品だ」とか言ってるけど、この劇の中でエンダース卿がダントツの「けだもの」であるのが最高の皮肉であり、それこそが憂モリという作品の核心だよなーと思う。 

また平野さんと共演してほしいなあ。

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投稿日:20190804
本文:
ジョンに緋色の研究を渡されて「君の話だ」って言われた時驚いてたの、自分が物語の主人公たり得る自覚が無かったからだよな。ジョンという圧倒的光に照らし出されて自らも明るいところの人間になるシャーロック。 #モリミュ

それまで自分のことどちらかというと日陰の人間だと思ってたんじゃないかな。職業も含めて。緋色の糸を手繰って明るみに出す職業。でも自分の立ち位置は日なたじゃない。緋色の糸の歌中、人混みの中からホープの背中をどんと押し出してたし、立ち位置としては日陰側のつもりでいたんだと思う。 

シャーロックを光たらしめようとするおおもとはウィリアムで、ジョンがシャーロックに与えた光もウィリアムの掌の上で起きたこと…と言えばそれまでだけど、それでもそこで生まれた友情は誰に唆されたでもない、無理やり作らされたでもない、2人の間に自然に発生した「ほんとう」だよね。 
作為の光の中でいっとう輝く真実でいて(ポエム)

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投稿日:20190919
本文:
こんな名前のやつを殺すわけがない、だってこいつの名はホープ、希望…っていう一連の歌が本当に好きで、というのはシャーロックがふつうに生きている市井のひとりひとりを希望として見ていることの表れみたいだから…

あそこでホープを殺さず警察に突き出したのはとても法治主義的というか、革命的な方法、(あえてモリアーティ側のやり方を悪く言えば)人の心を弄ぶような方法を取らず、彼が地道に堅実に人の心に寄り添いながら生きる(生きていきたいと願っている)人なんだなっていうのが垣間見える一瞬だったと思う 
ホープの命が長くないのを知っていながら、最後の望みを叶えてやれないことを悲しみながら、それでも彼の命を犠牲に知的欲求を満たすことは選ばなかったシャーロック… 

シャーロックもあの世界観の中に生きる登場人物のひとりで、彼なりの地獄を抱えながらこれまで生きてきているし、現状を変えていきたい思いも持っているのだけど、あの天才的頭脳の彼が行き着いたその手法が同じく天才的頭脳の持ち主であるウィリアムが取ろうとする方法とは全く逆の堅実な草の根的やり方になることがとても重要だなと思える 
シャーロックとウィリアムは絶対に混じり合わない鏡合わせの存在なんだな…とても似ているのに…(オタクが好きなやつ)

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投稿日:20190928
本文:
モリミュ というか シャロについて下書きの成仏 
‪ノアの方舟の重唱中「この手で真実を掴む」でライティングが変わってシャロの光り輝く空間が生まれる瞬間が最高に好き

やはり光のヒーローなんだなって… 

本来主人公として造形されてるキャラだから当然と言えば当然だけど、シャロはどんなに斜に構えていても主人公適性が高すぎてみんなの思いを背負って立つのが似合いすぎて眩しい‬ それがたとえ敵陣営の呪いじみた希望だとしても…(君は光となれホームズ!) 
‪あわよくば主人公らしく悩み苦しんでほしいし、傷つきながらも最後には希望の光を掴んでほしい(この手で真実を掴む…)‬ 

‪ノアの方舟でシャロがひとり切り込んで何人もの歌声と互角に渡り合うのがあんなにかっこいいのも、シャロが「敵側の思惑や事件の加害者被害者引っくるめて、全員の思いを背負って立つ主人公」であることの証明みたいだからじゃないかと思う

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【いと恋めやも】

公演名:クロジ第17回公演『いと恋めやも』
公演期間:20180822-26
公演会場: 全労済ホール/スペース・ゼロ

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投稿日:20190817
本文:
鴇忠さんは「助けてが言えない人」だなって。拒食して部屋に篭って、でもつつじの懸命に語りかけ続ける声が何かの拍子に心に届いて、つつじに縋ったあの瞬間でさえ、「助けて」とは言わなかった。(ゆーて記憶曖昧ですけど…)

言ったのはただ「苦しい」とだけ。(だったよね?帰ったらまた円盤見よう…)自分が苦しいと思っていることだけはかろうじて見せてくれるけど、「苦しい、だから助けて」「つらい、だからそばにいて」とは絶対に言わないのがしんどくて…このシーンに限らず鴇忠はずーーっと自分を抑圧して一族のために奉仕してて弱いところを見せようとしなくて、抱え込みすぎなんだよぉ!そんなに抱え込んだらしんじゃうでしょ! 

鴇忠が「助けて」「そばにいて」「ひとりじゃできない」が言えなくなったのは蘇芳の出奔がきっかけだろうなって勝手に妄想してる。 

蘇芳に対する鴇忠の愛憎の感情がすごい魅力的で永遠に考え込んでしまう… 

あと、死ぬほどがんばって吐露できる限界が「苦しい」までの人には、やっぱりお節介属性というか、無理やりにでも一歩踏み込める人がそばについてあげないとダメだよね。つつじ… 
蘇芳はこの役ができないんだよね。蘇芳が踏み込もうとしたら絶対鴇忠はそっぽ向いてもっと頑なに閉じちゃうから。 
愛情は溢れるほどある、もちろん助けてやりたい、でもそれは俺の役目じゃない、遠巻きに見守るしかできない、みたいな関係性はbnalでも見たことあるな…はるおしぇんしぇ…

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投稿日:20190824
本文:
鴇忠さん自分で思ってるより器用じゃないから自分で思ってるより全部顔に出てますよ だからつらいときつらいと思ってるの丸わかりだしそんなときにも他人を慮る言葉しか言わないのやめな

つつじがパニックになった後の希望は全て潰えた、自分の運命にちょっとでも期待した自分は世界でいちばんの大馬鹿者だみたいな顔した後の優しく虚しく力無い「大丈夫だ、つつじ」とか、発狂しそうな絶望と共に飲酒してる最中にいちばん傷ついたはずの雀がやってきた時の「雀…」の声色の優しさがね…

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【絢爛とか爛漫とか】

公演名:『絢爛とか爛漫とか』
公演期間:20190820-0913
公演会場: DDD青山クロスシアター

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投稿日:20190830
本文:
絢爛とか爛漫とか の中で1番印象に残った言葉は「才能が小説を書くんじゃない、人間が小説を書くんだ」これを才能のある人間が言うのが残酷(才能って何?) でも真理だよな〜って思った 以下自分用備忘録

・春から始まって冬で終わるのが好き どん底の春から始まって、希望の匂いが感じられる冬で終わる…と言う構造でもあるようで、今ならまだ真人間に引き返せるぞ!の春に始まり、もう戻れません!地獄と狂気の世界にようこそ!の冬で終わったようでもあるし。。。 
前者なら、厳しい冬で始めて雪解けの春で締めるほうが一般的な気がするけど、冬で締めるのも春遠からじって感じで優しくて好き。後者なら、シンプルに暗くて好き。 

・安西さんは声がいいのでそれだけで好きです。 
細かいところでいうとわたし個人の好みとの相性は凹凸だった。なんか違うな?というところが明確にありつつ、ぴしゃーんとハマるところがだだハマりでした。 

・加藤も泉も諸岡もよかった。諸岡役の人がどういうキャリアを積んできた人なのか気になった。 

・段差しかない、その段差が階段にもテーブルにも崖にもなるような抽象的なセットのほうが好きかなあ〜と今まで漠然と思っていたけど、作り込みの細かいセットもいいなあ〜〜と思った。劇中の秋、全員部屋から出て無人になる瞬間があって、その時、ちゃぶ台の上に散らかるビール瓶、グラス、茶碗(男ひとり女中ひとりの暮らしだから客が来て酒をたくさん飲む時用の余分なグラスなんかないから、あり合わせで茶碗に酒を注ぐのもさびしい)がなんとも言えず寂しくて良かった。 

・すごくいいシーンなのに社畜だから「諸岡は生活者になりたかったのだろう」というセリフで「生活者になりたいのなら社長候補で鉄道会社に入社なんかせず北海道で蟹でも釣ってこい」と思ってしまった 

・業が深い 古賀が小説家になるのを辞めるという諸岡に「非凡に対する責務を果たせ」「その非凡を授けた天に対する冒瀆だ」というシーンはとても顔のない天才だった 

・マラソンのたとえはいろんな人を励ますし普通に泣けた

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【FACTORY GIRLS】

公演名:『FACTORY GIRLS 〜私が描く物語〜』
公演期間:(東京)20190925-1009/(大阪)20191025-27
公演会場:(東京) TBS赤坂ACTシアター/(大阪) 梅田芸術劇場メインホール

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投稿日:20191011
本文:
全体的には言って欲しいことをズバリ言ってもらえる気持ちの良い脚本だったんだけど、だからこそ「この脚本の中でなぜここをこうした?」という疑問が1点あって、 #ファクトリーガールズ

この脚本はベンをどう描きたかったの? 
わたしはベンのハリエットへの初手が許容できなさすぎて、劇中ずっとヤンデレサイコ野郎にしか見えなかった… 
ハリエットの反応、前後で描かれる彼女の難しい立場、追い詰められがちな心理状況を踏まえてみたら、あの行動はマイナスの印象でしかないんだけど。。不快、もっと言えば恐怖では?? 

王子様…ではないよね? 
どの種類の現実もまだ知らないリアルな青年として描きたかった? 

後半、ハリエットが工場長からのお叱りの手紙(「お偉いさんとの酒の席を断るな」)を読んだ後、部屋から出て行こうとするベンの手を縋って引き留めたシーン、あれも解釈に迷ってる。。。 
直前まで読んでいた手紙に影響されていて、「自分を求めてくる男性の機嫌を損ねてはいけない」という心理がとっさに働いた…と読み取ったんだけど合ってる?ひねくれすぎ?純粋に心の支えを欲していた? 

ベンの存在の微妙さそのものが、現実世界での若い男のスタンスの曖昧さそのものなのかな。。。 
古い価値観には囚われたくないけど、女ほど女には寄り添えないというか(何せ当事者じゃないから)… 

すてきなセリフがたくさん入ってる脚本だったから、なおさら疑問。 
たとえば「女だからって楽しようってのか」という男性工員の言葉に、「そうじゃない、貴方達(=男たち)も文句があれば抗議すればいいじゃない」と反論するサラのセリフとか、 
アビゲイルがハリエットに「私たちの敵はあなたじゃない、工場やスクーラーよ」って声をかけるところとか、 
働く一人の人間として胸にきた。 
特にアビゲイルの言葉のほう、役者さんの言い方も芯があって優しくて、言葉が耳に入ってきた瞬間涙が出た。。

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投稿日:20191027
本文:
10/26夜 #ファクトリーガールズ 備忘録 (ネタバレあり)

・10/26夜 梅芸、観客のノリが良くてとても良かった Foooo!っていう歓声もだし、「お約束で叩いたわけじゃなくて、心の動きがぽろっと漏れちゃった」みたいな拍手があって良かった 
・ハリエットの大団円での絶唱の直後 ザ・拍手って感じ ナンバーの最中で拍手が起きるの初めて聞いた! 
・キルトの歌の後 ガールズへの祝福みたいな…(歌い終わった直後のさざめくようなくすくす笑い 可愛かったな…) 

・サラのダンスをハリエットが真似しようとするところ、ソニンさんが素で笑ってしまっていてはちゃめちゃにお可愛らしかった 
・グレイディーズ…というか谷口さんがソロ曲の終りかけのところからちょっと泣いてしまっていたのを見てぐらぐらに心が揺さぶられた 
・観客が心を動かしたのと同じシーンで演者自身が心を動かしているのを見ると観客と演者が一体になれたような気がする 都合のいい錯覚かな 

・ギターの ぽろん ぽろん という音が、グレイディーズの歌声を決して邪魔しないように、寄り添うように、優しく鳴っていたのが印象的だった 
・憎い人を傷つけるより人の弱さを愛してみたい 人はみんなひとりきり いい歌詞 
・全曲の音源ください せめて歌詞を… 
・「人は皆ひとり」「ひとりでも笑える強さ」「ひとりでも戦う勇気」「自分の人生に自分で責任を取ることが自由ということ」etc 「ひとり」という言葉が胸に残る作品だった 何度も繰り返される「ひとり」は寂しい言葉じゃなくて、むしろ強さを象徴してるみたいだった 
・ひとりきりだからこそ隣に立って手を取り合うんだ という話だった気もする 

・まっすぐなタイプの主人公って下手すると印象薄くなりがちなのにそうならないのはさすが役者さんの地力だと思った サラ、かっこいいけど完璧超人じゃなくて人並みの弱さを抱えてるところが好きだよ 上司にしたい 

・剣さんのお声たまらん 泣いちゃう 
・サラのお母さん サラが出て行くときはあんなに引き留めてたのにいざ家が大変な時呼び戻そうとせず「私たちは私たちで逃げずに頑張るから、あなたもあなたの場所で頑張りなさい」「愛しているわ」だけを伝えるの、母の愛の極限って感じ 
・ラーコム夫人がサラに「あなたはまだ若い…!」って言うところなんか好き 

・ストライキ前、アビゲイル以下メンバーが勇ましくダンスの振りも大きくはっきり踊ってるのと対照的にサラが(憂鬱に見えるくらい)静かだったのが印象的 

・年若いルーシーが「これで私たち(ハリエットとストライキ派のガールズ)、敵同士になっちゃったのね…」的なことを言った後のシーンで、アビゲイルがハリエットに「忘れないで。わたしたちは意見が違っても仲間よ」って言い切ってくれたの、「若い時には意見の違い=分断と思いがちでも、成長とともにもっと手を取り合えるようになる」とまでフォローしてくれてるみたいで良かった 

・東京で観た時よりハリエットが原稿のフィードバックをしてる時の声色が柔らかくて良かったな 愛情を感じた

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【朱と煤】

公演名:音劇『朱と煤 aka to kuro』
公演期間:20141113-16
公演会場: 吉祥寺シアター

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投稿日:20191105
本文:
あかくろ見ましたシンプルにひらのりょうの不倫劇最高ですありがとうございましたこれひらのりょうより年上で生観劇した人生きてた?わたしなら劇の途中で走り出してる

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投稿日:20191116
本文:
あかくろのあかねさんて栄太のことちゃん付けして呼んでなかったよね?「先生」「煤」とは呼んでたけど「煤ちゃん」とは呼んでなかったよね?

ちゃん付けで呼ばれた瞬間に煤の中で何かがどうにかなってほしい 
母を慕う心が爆発して、目の前の人が母ではないことへの壮絶な違和感とあかねさん本人への愛情の濁流に呑み込まれて激しく動揺してほしい 

飲酒しながら見たから解釈ずれてるかもしれないけど、あかくろって愛の欠落を別のもので埋めようとして結局埋められなかった人間の話だったよね…? 
煤に欠けているものはずっと色彩として描かれてたけど彼に足りなかったのは愛(または愛を受けているという実感)だったよね…? 

碧子様の印象が正直薄いのだけどわたしの作品の見方が偏りすぎてるせいだとしたらもう一回見なきゃいけない 
あと碧子様の名前がミドリコなのはノルウェイの森を思い出しました(赤と緑だし2人の女だし)

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【BIRTHDAY】

公演名:舞台『BIRTHDAY』
公演期間:20191127-1201
公演会場: こくみん共済 coop ホール(全労済ホール)/スペース・ゼロ

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投稿日:20191130
本文:
#舞台 #BIRTHDAY の照明で一番印象に残ってるのは最後の最後、「いってらっしゃい!」からの産声、そして観客ひとりひとりに当てていると錯覚するような緩やかな速度で、階段状の客席を舐め上がっていく白く強い光

自分に光が当たった時どきっとした

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投稿日:20191201①
本文:
1番好きなシーンは生き残りが3人にまで絞られたあと椅子に座って3人で語らうところ 1番好きだけど1番つらくてもうやめてってなるシーンでもある #舞台BIRTHDAY

焚き火を囲んでいるような、夜更けの居酒屋のような、とにかく真夜中の雰囲気を感じた 夜の優しさ、温かみ 真夜中の本音って沁みるよね… 

語らいが始まる前のやたらプロ臭のする黒子たち 笑っちゃうけど、彼らにもちょっとうるっときちゃうんだな 
手際のいい厳かな仕事は美しい 碕さんの厳粛な表情がいい

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投稿日:20191201②
本文:
思いがけずミラクルを感じたのは反橋さんの「しっかりしろよ!!」のセリフが昨日より真に迫って聞こえたことかな。宮河くんがガチ泣きしてた(たぶん)ことも相まって。

宮河くんが背負ってきた重圧から解放される予感とかつぎ込んできた全てが終わってしまう寂しさとかみんなへの感謝とかで泣いてしまうことは正直予想の範囲内だったけど…周りの温かみがこんな形で感じられるとは思ってなかった 
あの「しっかりしろよ」は本心だったし、最高のエールだったし、宮河くんが演じたイチを通じて全ての人間に向けられた「しっかりしろよ」だったと思う。泣いた 

四方を囲んでる舞台って本当にエグい!見守ってるのか、監視してるのかの違いもわからないような距離感で見守ることしかできない。見ていることしかできないから、舞台の上にいる人は、ひとりで立っていなきゃいけない。

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投稿日:20191211①
本文:
ばーすでー、役者のパーソナリティを役に重ねさせるような演出が度々あったからそれを踏まえての感想だけど、「あなたみたいになりたいです」ってイチ/宮河くんからニイ/谷さんに言わせたのすごいエモい

自分を熱烈に慕ってくれる後輩を慕うセリフを自分がオーディションで見出した子に言わせるの、愛だなって 遠回しだけど

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投稿日:20191211②
本文:
脱落者が裏方を担う演出わたしは全然しんどいとか嫌だとか思わなくて、むしろ好きで、それは表と裏・光と影は優劣じゃなくて、ただ単にどっちかがどっちかであるっていう、どちらにも温かい視線を感じたからかな

脱落したら存在が消え去るわけでなくて、脱落者には脱落者なりの生がある(矛盾に聞こえるけど)っていう見方がすごく好みでした

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投稿日:20191211③
本文:
あと3人で語らうシーン あそこは主体と客体が入れ替わってたんじゃないの?

シーンが始まる前にテンが大声で「命からがら生き残った彼ら(=イチニイサン)の物語です!」って観客に触れ回って、彼ら3人が主役みたいな印象づけをしていたけど 
実際には彼らを更に外側から録る者たち、編集する者たちがいたわけじゃん 
スル-サレルの関係で見たら、イチニイサンと他脱落者たちの力関係は逆転していたというか 
黒子が編集者、主役が被編集物だったというか 
あのシーンにおいては黒子が主体で主役3人が客体だった 

そういうところも好き 「ただそのタイミングでどっちかがどっちかだっただけで、どっちに身を置いているかなんて大したことじゃない どうせ立場や時によってすぐ入れ替わるし」みたいな… 

更にイチニイサンを録る人たちをその外側から見る観客という構図もあって… 
でも時と場所を変えたらわたしたちも他人から「見られる」「記録される」立場になるし… 
マトリョシカのような合わせ鏡のような永遠の入れ子構造のような、だからこそ「みんな同じ人間だよ」に繋がっていくような… 

あのマイクで録る演出、いろんなことを連想させられて、ほんとうに好きな演出だったな。。

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【る変】

公演名:『明治座の変 麒麟にの・る』(略して『る変』(るへん)) 
公演期間:20191228-31
公演会場:明治座

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投稿日:20200104
本文:
最後の兄弟のシーンは回想か夢かパラレルか解釈が分かれるところだけど、わたしは回想派です というのもあそこで兄と一緒に天翔る麒麟を見たからこそ、信行は天下人に人一倍こだわるようになったのでは? #る変

最期の歌の後、信長が痛切な顔で「もう麒麟は探さなくていいんだ」って言ったあの感じ、「麒麟を捕まえなければ」「麒麟に選ばれなければ」という呪いから信行を解放してやった感が強くて、信行の行動原理は天下人になる=麒麟を手に入れることに支配されていたなあ…と振り返って思う 

麒麟を見た幼かったあの頃、兄弟ふたり揃っていたあの頃、全てが"正しかった"あの頃と、兄が家を捨て自分を捨て、第六天魔王として血塗られた道を独り行く今が地続きであること、そして今のこの状態が何も間違っていないことを、麒麟の存在によって証明したい、そして自分を安心させたい、自分の孤独や不安や悲しみを鎮めたい思いが心の奥底にあったんじゃないかな。 

信行の心理の表面では「強いこの俺が天下人にふさわしい」程度の思いしかなくて、周りの人間だけでなく信行本人もそこまでしか自覚していないのだけど、信行自身も気づかない心の奥底に、兄と過ごしたあの頃への回帰願望が眠ってるんじゃないかと思ったよ。 

そして(たとえ言語化できるほどじゃなくても)信長は弟の麒麟にかける強迫的な思いに気づいていて、だからこそ最期、あんなに痛切な声色で「お前は俺の弟だ」(麒麟なんかいなくたって、天下なんて取らなくたって)と訴えかけるに至ったのではないかな… 

兄弟ものはこれだから…妄想しちゃうから…

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投稿日:20200105
本文:
信行にとっての麒麟

昨日ふせったーで「信行が麒麟に執着するのは兄がいたあの頃への回帰願望」って書いたけどそれだけだと正確じゃないなって思った 

シンプルに「兄がいたからこそあの時麒麟を見ることができたのではないか?」「麒麟は兄の前に現れるのではないか?」「自分は麒麟に選ばれないのではないか?」「自分は"織田信長"にはなれないのではないか?」という恐怖を打ち消したくて麒麟を手に入れようと躍起になっていた側面のほうが強いと思う 

信行が頑なにその名が呼ばれることを許さなかったのは「"織田信長"であらねばならない」という重圧からの反応だと思うし、 
自分にないものを全て備えている兄には敵わないと信行が子供の頃から思っていたとしたら 
「本当に自分は天下人になれるのか?」「自分は所詮その器ではないかもしれない」という不安は、信長が出奔してからずっと、信行の心にあり続けただろうなと。 

信行は信長のこと根底では(兄弟として)愛しているのだけど人間だからもちろんそれだけでは片づけられなくて 
運命から逃げてあっさり(信行の目にはあっさりに見える)家と自分を捨てた兄のことを心から憎む気持ち、「こんなやつ」と蔑む気持ち、兄には負けたくない、超えてやるという気持ちも持っていたと思う 
兄を超えることの象徴が麒麟を捕まえることだったんじゃないか。 

でもそこで「兄を超える」と「麒麟を手に入れる」がイコールで結ばれるようになったきっかけは 
幼い頃に天翔る麒麟を見たこと、その光景が脳みそに焼き付いていて、無意識のうちに麒麟に執着するようになったのでは……という 

早く円盤ください…

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【モリミュ2】

公演名: ミュージカル『憂国のモリアーティ』Op.2 –大英帝国の醜聞–
公演期間:(東京)20200731-0810/(大阪)20200814-16
公演会場:(東京) 天王洲 銀河劇場/(京都)京都劇場

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投稿日:20200809
本文:
ウィリアムとシャーロックについてだけ

漫画を読んでる時はそんなに思わなかったのだけど、ミュの"catch me if you can"は挑発というより誘惑だったな… 
全編通して、ウィリアムがシャーロックを待ち焦がれてる、切望してるって印象が強く残った。 

ウィリアムが肘掛け椅子に座っているシーンが度々見られたけど、ウィリアムは自分を殺しに来るシャーロックを待つためにああやって座ってるんだと思った(自分の勝手な思い込みが先行してるって自覚はあるけど)。そうやって見るとあの優雅な座り方にウィリアムの美学が詰まっていてとてもゾクゾクする… 
無抵抗のポーズのようでもあり、謎が飛び込んでくるのを座して待つ「安楽椅子探偵」や、虫が飛び込んでくるのを待つ食虫植物のようでもあり、誘蛾灯や暗闇の炎のようでもあり、、 
もちろん単に、ウィリアムが実行犯でないから、貴族としての振る舞いとして、余裕や自信のあらわれとして座っているのだけど、潜在的に「座してホームズを待つ」感が感じられたという話。 

シャーロックがウィリアムを捕まえるのはつまりシャーロックがウィリアムに捕まることでもある、っていう、お互いがお互いの背中を追い合う関係性 
しかも、シャーロックがウィリアムに勝つ(犯罪卿を捕まえる)ことはウィリアムの勝利だし、シャーロックの敗北(犯罪卿を捕まえられない)はウィリアムにとっても敗北である…っていうこの一蓮托生さ 
圧倒的に「二人の世界」だなって思いました 

前作では作中ラストナンバーはメインテーマの全員斉唱だったけど、今作ではウィルとシャロのデュエットだった。そういう部分からも、2人の閉じた関係性を前作より強く感じたな… 

ウィリアムとシャーロックの関係性を前作より感じやすかったのはウィリアムのキャラ造形が前作とはまた少し違った感じで届いたせいもあるかも。 
劇中、自分たちのことを散々「悪」「悪魔」と言うけれど、歌声の印象はどちらかというと「天使」だった。前作より声に甘さが増したのかな? 
前作の「三兄弟の秘密」で感じたようなエネルギッシュな危うさとはまた違って、今作ではウィル自体に消え入りそうな危うさを感じた。 
孤独感の見え隠れがあったのかな。前作では割とウィリアムは全能的に描かれていた気がするけど、今作では一人で歌わせるところなんかで、人間味(弱さ)も表現されていた気がする。 
ウィリアムが国を憂いて国を救おうとしているのと同時に、ウィリアム自身も救済されたがっているような…だからこそシャーロックを切望しているような。。

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【文劇3】

公演名:舞台文豪とアルケミスト 綴リ人の輪唱
公演期間:(東京)20200912-22/(京都)20200925-927
公演会場:(東京) 品川プリンスホテル ステラボール/(京都)京都劇場

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投稿日:20200913
本文:
文劇3 初見直後の感想書き殴り(長い)

白秋の偉大さに思ったよりフィーチャーしてくれて良かった 白秋はバケモンだよ!!!(過激派) 

白秋の翼賛文学に対する態度に関してはやや「?」国家に書かされたのか、自ら進んで書いていたのか そして自ら進んで書いていたとしてもそれは責められるべきことか?無かったことにされるべきなのか?この文劇3では「白秋が進んでそれを書いていた可能性」を無かったことにしていて、それがメタ観点での最大の論点だと思う 
(戦争を礼賛すべきという意味ではないし、翼賛文学を称えるべきという意味でもないです) 
(ただ、白秋の残した戦争詩などが、まるきり国家に押し付けられたものでなく、愛国主義に基づく個人の意思の発露で書かれたものだとしたら……それを「無かった」ことにして、ただ「白秋は国家に無理強いされていたんだ」で済ませてしまうのは、それこそ白秋個人の意思を塗り潰してしまう、全体主義的な行為じゃないか…と思えてしまう、という話) 
(後の世の都合で文学の存在自体を無かったことにしてしまう、それだけはやってはいけないと劇の中で描かれたばかりだっただけに) 
(文学への評価自体は後の世の人々に任せればいいけれど、無かったことにするのだけは良くない) 
(あと単純に、ワンフレーズだけでも白秋の書いた戦争詩を紹介した方が、その行為の重さエグさが伝わったと思う) 
(ちなみにわたしは月吠え履修済みです) 

二魂の白秋親衛隊感 双子にデフォルメされた感 さすが「魂の双子」「二魂一体」 
さくたろがただの「いい子ちゃん」じゃなくて良かった 

はらがへる の詩はずるい… 

というか全体的にずるかったよ!!!元の文豪ネタを劇1劇2より色濃く押し出された印象 そんなん泣くだろ!?!? 
(そしてよりメタの視点を強調された印象) 

フィクションとノンフィクションの間には明確な断絶はなくて、ぜーーんぶ地続きですよ……って言っているような作品だったなあ 
実在の文豪の(結構コアな)エピソードを劇中に取り入れて、文アルキャラという架空の人物の体で、実在の役者さんにセリフを吐かせて、実在するわたしたちがそれをお芝居上の言葉として聞き、でも頭の中では架空と現実を同時に想起させられている、この不思議な感じ 

dzi,aktgwが出てきた時より、ぽが舞台に出てきたときのほうが涙腺緩んだ 帰ってきたんだ、わたしが見たかった文劇だ…ってなった 和合さんが体現するぽのクオリティの高さは文アユーザーに世界観を担保する安心感さえある 

さとちゃんさんの白秋とても良かった…佐藤さん出演作品ちゃんと見たことなくて、ひらのさんが弟扱い?うちの子扱い?してること程度の知識しかなくて、プラスわたしが白秋に並より重い感情を抱いていたので、見る前は正直「いったいどんな解釈であの大天才白秋先生を体現してくださるんですか…?」みたいな、すごい身勝手な態度でいたんだけど、始まったら………板の上に白秋先生がいたよ………まごうかたなき文アルの白秋だったよ あっぱれ 拍手 万雷の拍手を 素晴らしかったです 

犀星もまごうかたなき文アルの犀星で……というか椎名さんの華エグない?かっこよ 動きのキレがそのまま華だった そしてキャラ解釈の安定感よ 太宰芥川乱歩中也とか劇1組と同等の安定感を感じた 劇1出てた? 
犀星は「物語の大きな力により死ねない」役割をあてがわれるのが似合う(一方中也は物語の神様に愛されて最大限かっこよく散るのが似合う) 

「一九xx年 ○○○○没」の演出はTHE 悪趣味 でも効果的な悪趣味さだった この演出の手にかかる一番手は中也だったけどその殺され方は過剰な悪趣味さだった けどそれが良い 

館長≒国家≒全体主義≒文学を愛する者の敵 という構図はもっと丁寧に描いてほしかったけど、その説明を省いたのは尺的な問題?それとも意図的にしたこと?見る側に委ねたかったのか… 
「終息」という言葉が連呼されたのは現実を想起させるためのわざとだろうな 
正直この構図でこの問題を取り扱うなら戦争文学の解説はもっともっともっと必要だったんじゃないかと思う それは月吠えを履修済みだからそう思ってしまうのかもしれないけど… 月吠えは作品それ自体が「戦争と文学その功罪」をテーマに扱ってて、あらゆる誤解を恐れて、すべての真摯さ誠実さをもって、複数の立場に敬意を払いながら、しつこいくらい説明を重ねる漫画だったから… 

「この道はいつかきた道」実在の文豪が生きた過去、文アルというコンテンツを通して実在した文豪の想いがわたしたちに伝えられる今、そしてわたしたちがその想いを繋ぎ続ける(べき)未来 全部ひとつの道なんだね っていう 

歳上ヅラする二魂良かったな 

あのメンツの中でいちばん若い太宰は未来を託されるべき若人の象徴ですなわち「希望」の象徴だったんだと思う 先人、先輩から時に叱られ、時に諭され、期待され、愛され、見守られながら、次の世代にバトンを繋ぐ役割 やっぱりおまえが主人公だよ 

椅子が出てきたときは思わず背筋を正した 

北原一門登場時、白秋を先端とする三角形の布陣で舞台奥から出てくる白秋と二魂、「いるべきところにいるべき人がいる」感がすごかった 劇2でひとり不安げにふわふわしていた朔と比較して、3人揃ったときの安心感、違和感の無さよ… 

主題歌の魂となりて 輪廻転生をテーマにしてるのを踏まえた上で、妖しい曲調がなんかちょっと白秋の『邪宗門』ぽいなって思ったり 
あと全然爽快感というか突き抜け感のない主題歌で珍しいなと思った!サビから受ける印象は「人生は苦役」って感じ でもそれが良いと思う すごく それでも生きていくんだよ〜〜!! 

物語前半の芥川と太宰2人の語らい、涙ぐむくらいぐっときたはずなのに、具体的になんて言ってたか全然思い出せない………でもとにかく劇1で太宰が必死に紡いだ言葉は全部先生から与えられた祝福だったんだ、生まれてきておめでとうって思った……

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投稿日:20200914
本文:
うまくまとまらないんだけど文劇3と文劇1の関係をぼんやり考えていて 文劇1はそのコンセプトのかなりの部分、太宰の『パンドラの匣』を下敷きにしていたと思ってるのだけど→

『パンドラの匣』って戦時中に構想され、紆余曲折経て戦後発表された「希望」の物語だったな…っていうのがすごく引っかかっていて。。。 

劇3のラストが劇1の冒頭に繋がった(ように見える)ことと、 
劇3終盤の、見てる途中から絶望を予感するような、あまりにも容赦無い展開と、 
なにか、全部繋がっているように考えることもできそうなんだけど、まとまらない… 

とにかく劇3終盤で「あそこまで残酷に露悪的に演出を施す必然性があったか」っていう引っ掛かりがあって、暴力そのもの、残虐そのものみたいな見方をしたら…とか色々思った(まとまらない) 

生きていることそのものが希望だから生きている限り負けないので戦うのをやめてはいけない みたいなざっくりとしたメッセージ…(何だ)

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投稿日:20200918
本文:
文劇3の後半の展開、概念の話にしか見えないんだよな。個を塗り潰す全体主義を批判する内容で結局キャラが物語上の無個性なしかけに埋没してしまっているの、図らずも皮肉だよな。図ってないと思うんだけど。図ってたのかな。

全体的にこの手の矛盾とか皮肉とか「同じ穴の狢」感はあった。その危うさを見る側に感じさせる余白を残してくれたのは作り手の良心だと思いたい。

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【忠る】

公演名:『忠臣蔵討入・る祭』(略して『忠る』(ちゅーる))
公演期間:20201228〜20201231
公演会場:明治座

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投稿日:20201229
本文:
12/28夜 忠る(初見) 印象的だったこと走り書き 平野小林辻本のみ

ラスト、寺坂が衣装替えして出てくるところの初見のインパクトの大きさ ハッッッッとしました 平野良さん36歳なのになんで若武者の格好が似合う?? 
羽織の藤色、清冽さと将軍家としての高貴さで目に鮮やか!全部背負う覚悟の滲んだ厳しい表情胸にきた 座長だなぁ〜という感じ 
花道が使えたらあそこ、拍子木の音と一緒に花道をのしのし歩いて来て欲しかった そんで拍手したかった 拍手の中を歩いてほしかった(本当の歌舞伎だったら××屋!って声掛けされてほしい感じ) 

今年の平野さんの役柄について、物語における引力というか、渦の中心にいてみんなからの矢印を受け止める力としては、物語上のあらゆる因縁が信長に集約していった去年のる変の方が強いかな〜って途中までは思ってたけど(忠臣蔵という題材なので吉良や浪士たちが中心に来て当然) 
最後のあのシーンで、締めるところを締める座長としての存在感を感じたし、その姿を見て家宣への印象もちょっと変わりました 
家宣は将軍に就く器も才覚もありながら、人間としてどこか一皮剥けきれないままで物語のほとんどが進行するのだけど、最後の最後赤穂浪士たちの切腹が決まるところでようやく、みんなの命、因縁、思い、宿命を背負う人物に成るんだなーと 
家宣が本当に大変なのは物語が終わってからでそこは忠るでは描かれない、味のある余韻のあるラスト、でもそんなこんなを引っくるめて表現してくれた制作陣と平野良さんに改めて感謝したい というか好きが止まらない 

討ち入りのシーンも花道があったら浪士に隊列組んで歩いてきてほしかったな なんか雪道をザッ、ザッ、ザッ、って足音立てながら歩いてるイメージあるんだよな 
こばかつさんの討ち入り装束かっこよかったけどスタイル良すぎてちょっと面白くなってた 昔の日本人はあんなスタイルしてない 

「もうね、やってられませんよ」って大石が家宣に言った時、「ウエアハウス始まったな」って思った 

短い間だったけど、楽しかったなぁ!寺坂!で目頭が熱くなり、その言葉を聞いて肩を震わせる家宣を見てさらに涙腺が緩む ここの二人のお芝居完璧じゃなかった??? 
寺坂!の言い方があたたかくて最高だった こばかつさんいい俳優さんだ… 
今回こばかつさんに心を動かされがち 浪士たちが時機を待ちながら各々町で過ごしている頃、酔っ払った大石の大口開いた無邪気な笑顔 あんなに屈託なさげに笑っていて、どこか退廃の香りもする危うい感じ 色気のお手本 

危うい色気といえば辻本さんもそうだった美の塊だった 絢爛な衣装に着られるか着こなすかの瀬戸際みたいなアンバランスさ 
綱吉のマントは全シーン印象的だった 重力が感じられるから階段とか高さのある大道具との相性が良い 
家宣を捕らえて地下牢に閉じ込めるシーン、上から身を乗り出して綱吉のマントが欄干から帳みたいに垂れ下がってたのが一番印象的かも 樹にぶら下がる蝙蝠みたいに見えたし、場面の暗さと豪華にテラテラ光る布地の対比が単純に映えて見えたので… 
なんかそういえば綱吉の治政と大石のやり方って似てたね 厳しくて決して悪い訳ではないんだど愛されないという

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