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本当に死ぬかもしれなかった、大怪我の話

はじめまして。杉山大樹、24歳。厄年です。

2017年の年末、本当に最近ですが、大怪我をして死にかけた話をさせてください。

もちろん深刻な話なのですが、気楽に読んでください。
死にそうになるなんてなかなか無い体験なので、何か感じてもらえたら。
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昨年末、僕は東大生で、卒業は決まっていました。2年休学をしながら働いていて、そのままフリーランスを続けるつもりでした。

で、事故に遭ってしまいました。12月11日の夜でした。


自転車での事故です。

単独の事故です。ソロです。

つまり誰も傷つけることなく、一人で勝手にコケたそうです。

伝聞形なのは、覚えていないからです。その日のことは何ひとつ覚えていません。それ以降のことも長らく覚えていません。意識不明だったからです。


自転車でコケたくらいで、そんなことになる? と思いますよね。

でも原因ははっきりしています。僕が「やたらとケチだったせい」です。


東大のすぐ近く、根津の交差点の言問通りは、急な下り坂と急な上り坂になっています。

僕のケチさは「お金を使うのが勿体無い」では留まらず、「運動エネルギーが勿体無い」と思ってしまうレベルなので、
「急な下り坂の直後に急な上り坂があるなら、降る前に停止しておいて、交差点の信号が青になったタイミングで高速で坂を下り、その運動エネルギーを登りに活用して登り切るべし!」と本気で思っていました。

バカすぎますね。もし怪我しなかったらこの悪癖を続けてたんで、どっちにしろ時間の問題でしたね。

人生数万回目かの猛スピード下り坂チャレンジの途中で、何かが起きて転倒し、通りすがりの農学部の人や東大ラクロス部の人たちが119番してくれて、搬送されました。

(覚えていないけど、本当にありがとう。おかげで生きています。)


東大近くの日本医科大学付属病院で、すぐに緊急手術になりました。
僕の頭がどうなっていて、どんな手術があったのか、理解できたのはずっと先の話です。

とにかくたくさんの管に繋がれながら、手術後、僕は2週間目を覚ましませんでした。

本当にあのまま死ぬかもしれなかった。植物状態もあり得た。

クリスマスを過ぎた頃ようやく目を覚ましてからも、もうろうとしており、自分がなぜ病院にいるのか分からず、右手右足が動かず、動かないことをそもそも意識できていなかった。
意思疎通が難しく、ひらがなすら理解できなかった。

全てが混濁していました。ほとんど夢の中にいました。

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事故からちょうど半年になろうとしています。本当に死んでいたかもしれないこの怪我を通して思ったことを、時系列でこれから書いていきます。

東大生だったのに比喩でなく本当に頭が悪くなったこと。
たくさん悲しんで、恨んで、途方にくれたこと。
その中で発見した、たくさんのこと。
3ヶ月の入院中のこと。リハビリのこと。
幸運なことに年度末には卒業できたこと。
回復してきて、助けられながら試行錯誤しながら働いていること。

継続していくので、反応もらえたら嬉しいです。

以前のごとくバリバリ働いて稼ぐのには、もう少し時間が掛かりそうです。サポートしてもらえたらさらに嬉しいです。

次は、集中治療室と、病室が替わってからの話になります。
自分がどうなっているのか意味が分からず、目は開いてるけどずっと夢の中。暴れたり縛られたりしてた頃の自分でもびっくりな頃の話です。


ちなみに最新記事はこちらのマガジンに載せています。
少しずつ快方に向かってきて、自分で日記を書けるようになってから、「ちょうど半年遅れ」でコメントを加えつつ書いています。


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