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本稿は「ボカコレステーションピノキオピー楽曲レビュー」に投稿したものです。
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中2で『東京マヌカン』に衝撃を受け、大学生になってもピノキオピーを聴き続けている。
格別な思い入れのある『東京マヌカン』について、過去に書いた文章を引用してみる。

①2019/01/17 質問箱「ピノキオピーの曲で一番を選ぶならばどれですか?理由も聞いてみたいです」

一番はなかなか選べないのですが、今の気分では「東京マヌカン」です。
日頃「普通」「異常」という言葉を定義を意識せずに使っていますが、それはこれらの概念が自分を構築する世界のあまりにも根幹に位置しているためだということに気づかされます。
主人公が大切に育んできた「普通」の概念が他者によって無理矢理破壊される瞬間、主人公を取り巻く世界は大きく色を変えます。
もし自分が主人公の立場だったら、それに耐えられるだろうか。あるいは、他者、つまり主人公の世界を壊す人間はそのときどのような思いを抱くのだろうか。
おそらく全くの無感情のまま、遊び感覚で壊すのだろう、と推測したところで、背筋に寒いものが走ります。「翻って自分はどうだ」という感情です。
果たして今までの自分には、他人の「普通」にずかずかと踏み入って、「正義」「常識」なんて曖昧な言葉を盾に嘲笑ったことが無かったか?なぜそれを周囲の人は笑って許してくれたのか?自分が日頃信じている「普通」が皆の総意で決まったためなのか?自分の「普通」·誰かの「常識」·社会の「正義」は衝突してはならないものなのか?
聴くことで空想が無限に広がり、知的冒険を楽しめる一曲です。それが終わって再び社会に戻ったとき、いつもの風景に向ける視線が少し変わるかもしれません。ぜひご一聴を。長文読んでくださりありがとうございました


2年以上前に書いた文章だが、今と考えていることはそんなに変わらない。ピノキオピーの歌詞は、一見特定のペルソナを攻撃したり、嘲笑したりしているようにみえても、 必ず聴き手を刺してくる。常にメタ視点が入っていて隙がない。

②2019/06/09 ピノキオピー楽曲人気投票自由記述欄

ピノキオピーは常に「弱者に寄り添う」視点を持ち続けてきた。これはその結晶といってもいい作品。冷たい街の中で自分を偽って生きる主人公が、隠れ家のような自宅で唯一自分をさらけ出せる「君」。主人公が「君」を愛する理由は、周囲には到底理解されがたいだろうものばかり。誰にも共感してもらえない辛さと、根無し草としてさまよう苦しみが重なることで、異常性癖という特殊で新しいテーマが「基盤を持たない都市生活の心細さ」という古くから問題にされてきた普遍的なテーマに拡大されるところにピノキオピーの非凡な手腕が光る。最後には「ぼくは人間になりきれなかった」という悲痛な叫びを残してバッドエンド。決して幸せが訪れないのはリアルで、俯瞰的に真理を突きつけるというピノキオピーの優しくないもう一つの面が出ている。
この曲は自分にとってはピノキオピーとの出会いの曲でもある。2016年の春、お目当てのpも特になくニコ動のボカロデイリーランキングを漁っていたときにふと目に留まったタイトル「モチベーションが死んでる」当時の自分もモチベーションが死んでたから聴いてみたら、これがノリノリなサウンドでイカしてる。この人他にはどんな曲出してんだろうと思ってマイリストへ、モチベのすぐ下にこの曲はあった。自分はいわゆる人間らしい声より、どこかしら不自然な声が好きだけど、でもこんなことを周囲に公言するのは本当に怖い。自分は正常な趣味を持てない人間じゃないかと悩んだこともあった。「ずっとまともなふりをしてきたのに」「ぼくは人間になりきれなかった」そうだ、そうだと、聴きながら何度も頷いてしまった。ピノキオピーは、誰もが薄々気づきながらも日常に呑まれて言葉にしないことを上手くすくいとってみせる。そのため自分は彼を全面的に信頼している。

これも2年以上前に書いた文章だが、やはり大筋の考えはそんなに変わっていない。
唯一変わった点として、どんな声が自分の趣味なのかについて、この後もいろいろ聴いて考えを巡らせ、明瞭に説明できるようになってからは、他人に話すのが大して怖くなくなった。今はボカロみたいな人間歌手も珍しくないので、マイノリティーであることを恐れなくてよくなったというのもあるかもしれない。もしくは思春期を脱し、自意識との付き合いが上手くなったとか。

①と②で同じ曲の話をしているのに、内容が全く異なっているのがポイント。いろんな角度から見ることができて、年齢や経験を重ねるにしたがって感じ方が変わってくるような曲はやっぱり名曲なんだと思う。

14歳からピノキオピーを聴いている。
2016年初春に、いつもはあまり見ないニコニコのデイリーを見て『hanauta』をクリックした。それまで好きだったアーティストに少しマンネリしていたとか、『hanauta』が初投稿作のリミックスである文脈を踏まえ、コメントやタグが「マイリス巡回推奨」であふれていたとか、過去作を全部聴く気になった理由はいくつかある。
新しい順に聴いていった。『モチベーションが死んでる』のダンサブルなフレーズと低音の強さ、『東京マヌカン』の、今まで聴いたどんな曲ともまるで似ていない歌詞に撃ち抜かれた。初投稿の『ハナウタ』まですべて聴き終えて、『Obscure Questions』を買った。テスト勉強中ずっと流していた覚えがある。

高校に入ってからはTwitterを始めて、同好の士にたくさん出会った。ライブに行って暴れ倒したり、ずっと歌詞の考察を続けたりした。

大学に入ってからはサブスクに加入し、毎日の通学中にピノキオピーを聴いている。他のアーティストを聴くこともあるが、特に心が疲れているときはピノキオピーしか耳にすんなり入ってこない。

外側はポップでユーモラスだけど、内側には反骨精神やあまのじゃく、冷笑が満ちて、さらにその核には慈愛の芯が通っていて、重層的な魅力がある。ピノキオピーを聴くとは、その皮を360°から観察して、丁寧に剝がしていくことなのだと思う。
私的な経験や世界の出来事を知ることを通し、歌詞の読み方ががらりと変わることもある。逆に、ピノキオピーの詞が世界の一端を言葉にしたところから、思考実験を重ねていって、身の周りの出来事への、腑に落ちる説明に結実することもある。
これからも、しばらくはピノキオピーに冷めることはないだろう。一生聴き続けるかもしれない。

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