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インクルーシブ教育を実現する先生は,多様性と流動性を尊重する【6分で読めます】

ここでいう「多様性を認める」とは,
様々な特性をもつ子ども達がいるクラスの中で,
その違いを認め合うことです。
それは,担任の先生が認めることであり,
子ども同士が認め合うことです。

ここでいう「流動性がある」とは,
固定された人間関係ではなく,
必要に応じて一緒にいる友達が変わっていくことです。

逆に,絶対このグループじゃないと嫌。
グループに所属していないと「ぼっち」になってしまう。
という固定された人間関係には,
同調圧力が強く働き,違いや多様性も認め合えずに,
エクスクルーシブ=排除の力が働きます。

* * * * * * * * *

アラフォーの私は,特別支援教育を学び直すために大学院へ行きました。
院生はほとんどが現場の先生。
おじさん,おばさんが学び直す場所。すてきです。
私はワクワクしていましたが…。
意欲に燃える初日,オリエンテーションでビックリ!ガックリ…する出来事がありました。

幹事の先輩(アラフォーの現場の先生)が…
「学内で,ソフトボール大会が開かれます」
「おそろいのポロシャツを作って,みんなでそれを着て出場しましょう」

はあ?????

私は我が耳を疑いました。
学校の先生,しかも大学院で学びを極めようという人たちが,
おそろいのポロシャツで「団結」というノリをあらわそうとしている。
子どもの個性や思いに寄りそうことが求められる人たちが,
みんな一緒,みんな同じというノリを求めている。
何も考えていない。
思考停止だ…。思考停止のノリ…。ノリだけだ…。

私は,そもそも,同じ格好をしている集団に違和感をもつ方でした。
もちろん,職業として制服を着用する必要性は認めています。
スポーツのユニフォームもしかりです。

でも,自ら進んで,同じロゴマークのシャツやジャージを着るなんて,
ほんとに勘弁してほしい。ゾッとします。

世の中には,「チームのシャツ作ろうよ」っていうノリが好きな人がたくさんいることも知っています。
私がショックだったのは,
多様性を認めてこそ成り立つインクルーシブ教育が国際的に求められている時代に,
この先生達が団結や同調性を美として疑わないという,そのことについてです。

私がソフトボール大会に参加しなかったことは,いうまでもありません。
抗議?
いや,しませんよ。めんどくさい。
私,勉強は好きですが,議論は嫌いです。

もう,そこからの2年間,変わり者でいいと開き直って,ガッツリと勉強しました。
それでも,学友はできましたし,人間関係に縛られず自由な時間を過ごすことができました。

私は,私自身で,自らの多様性と流動性をキープし続けました。

* * * * * * * * *

クラスにいる子ども達は,そもそも多様なのです。
知的能力,運動能力,性格,家庭環境など,本当にいろいろです。
私立でセレクションがある学校ならば,同質の子どもたちをそろえることも可能でしょう。
しかし,公立の学校には,そもそも多様な子ども達が通ってきています。

クラスには,発達障害や知的に境界域の子ども,愛着形成がうまくいっていない子などがいます。運動が苦手な子もいるでしょう。

様々な子ども達が,クラスの中に居場所をもつためには,
まず「いろいろでいいよね」と認めてもらうことが必要です。
そして,そのモデルを示すのは担任の先生の仕事です。
その姿を見て,子ども同士が認め合うようになります。
先生の言葉ではなく,先生の姿・行動を示すことです。
子ども達は先生の表情や行動,事件が起きたときのジャッジを,ほんとによく見ています。

学級開きの日に,先生が語った言葉なんて,誰も覚えていません。
「みんなちがって,みんないい」
「教室はまちがう所だ」
と,語った言葉は覚えていません。

日々の先生の姿がすべてです。
特に,困難さがある子どもへの態度,表情,視線…。
これを子どもはよく見ていて,真似をします。

抽象的ですみませんが,「いろいろな子がいていいんだよ」というメッセージが伝わる先生の姿が,多様性を認め合うクラスには必要です。

流動性についても同様です。
岩瀬直樹さんは著書『せんせいのつくり方』の中で,
「クラスの中の凝集性が起こす排他性の芽」が「集団の中の同調圧力にもなりかねない」という危うさを指摘しています。
岩瀬さんが理想としているクラスは「適度な一体感と適度なバラバラ感。空気圧のひくいコミュニティ」です。
これは,流動性のある人間関係がクラスに保たれていることを意味します。

誰とでも仲良くしていい。
ときには一人でいてもいい。
今日は,誰と遊んでたの?

そんなゆるいつながりの中で,
安心して自分の居場所を見つけることができれば,
いじめも,不登校も減っていくのではないでしょうか?

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大学院での私のショックな経験は,
「先生のくせに,そんなこと言う?」という違和感から始まっていますが,
今,考え直してみると「先生だから,そういうことを言う」ってことなんだなぁと。

先生は団結・協力・協調・一緒に・まとまり…なんて言葉が大好きな人たちです。
先生は,子どものときに,団結の輪の中で数々の成功体験と感動を味わった人たちが多いのです。

これは極論ですが,
学校の先生は,
お勉強がそこそこできた。
努力したら,報われた。
仲の良い友達が比較的たくさんいた。
そんな,楽しい場所=学校が大好きだ!
という人たちが多いのではないかと思います。

結論。
あなたとは違う人がいるんだよ。
あなたとは違う子どもがいるんだよ。
先生が,それを知り,認め,その子の居場所を作ることが,

インクルーシブ教育の本質です。


以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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