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嫌いな自分を消すのではなく、見守るとは? 小説『空白を満たしなさい』を読んで。

人生において、このタイミング、この瞬間に触れることで、その作品を味わい深く噛み締めることのできる"作品の旬"ってありませんか?

例えば、ミスチル「innocent world」なんかも、小学生の頃から聞いていたりするんだけど、社会人3年目くらいになって、何者かになりたい衝動と、うまくいかない現実への焦りと、仕事に忙殺される日々の中で聴くと深く感じ入れる気がするんですよ。聴いていて、心の中にしみてくる。

ただ、いま、30歳を超えた僕からすると、もちろん名曲であることは変わりないんだけど、「若いなぁ〜」と気恥かしさを感じたりするんです。ある意味、自分が落ち着いてきたということかもしれません。

こんな感じで、人生において作品にもっとも深く共感するとか、作品が心に染み渡るタイミングって、あると思うんです。

そして、今の僕にとって、旬なタイミングで、味わうことができたと思える作品と出会いました。

それが、平野啓一郎さんの小説「空白を満たしなさい」です。

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「小説がどのように弱者に寄り添うのか」

コルクラボのキャプテン・サディ(佐渡島さん)が、noteの記事で、平野さんと編集の打ち合わせをする際に、平野さんがよく口にする言葉として紹介されていたのが、こちらです。

自殺が大きなトピックとなるこの小説で、責任感が強く、仕事にも家庭にもひたむきで、幸福そうにみえる30代のビジネスマンを平野さんは弱者と捉えて、寄り添ってくれたのかなぁと僕は思いました。

職場はもちろん、結婚・子育て・介護など、様々な場所で責任が増えてくる30代。社会的には強者のように見えるけど、実は疲労やストレスが貯まり、精神的には弱っている状態に陥っている人が多いのが実情なのではないでしょうか。

この小説の物語は、簡単に言うと、そんな30代前半の主人公が突如自殺してしまい、自分が死んだ3年後の世界に蘇り、自分の自殺の原因を追うといったストーリーです。

「まさか、あの人が自殺するとは・・・。」

というなことは現実にも、よくあることのようで、

どうしたら、自殺を食い止めることができるのか?

どうすれば、苦しい時に、自分を支えることができるのか?

というのが作品の大きなテーマになっています。

そして、そのテーマを紐解く鍵として登場するのが「分人と分人主義」。分人とは、対人関係ごとに生じる様々な自分のことで、一人の人間は複数の分人のネットワークであり、「本当の自分」などいないという考え方です。

そこで、大きなネタバレがない範囲で、読んで僕が感じたことを書き留めてみました。

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一人でいるときの自分の分人を意識する。

「空白を満たしなさい」の中で、分人主義という考え方を主人公に教えてくれる登場人物が、自分がゲイだと告知した後に、こう告げます。

「私はそのことを、一人になった時によく考えます。若い頃ほどではないですが、まあ、今でも時々。私は、偏見のある知人たちと交わっていたあとでは、自分がゲイであることを複雑に、やや悲観的に考えがちです。それは、彼らとの分人で考えるからです。その分人を引きずって、その分人の内側で考えてしまう。しかし、ゲイの友人や恋人と楽しく過ごしたあとでは、そうじゃないですよ。もっと単純に、前向きに考えます。ゲイ仲間との分人で考えるからです。同じことでも、考え方や、感じ方は分人ごとに違います。発想や感情の動き、論理の運びなど。そして、一人になってからも、色んな分人が入れ替わり立ち替わり、対話してるんでしょう。」

一人で過ごしている時も、誰かしらとの分人をひきづりながら、ものごとを捉えていることを理解やすく伝えているシーンだと思いました。

確かに、言われてみれば、その通りな気がしています。

「こんな自分じゃダメだ…」

「あぁ、世界が明日にでも消えてくれればいいのに…」

とか、どこかに消えてしまいたいようなネガティブな感情が湧いてくるのって、思い起こせば、大抵ひとりの時間が多い気がします。

ひとりの時間に息苦しい分人との名残を抱えたままの状態で、ものごとを考えてしまった結果が、悲観的な感情を浮かび上がらせてしまっているのではないでしょうか。

逆に言うと、ひとりでいる時に、「今、自分はどの分人をひきずっているのか?」を意識することで、気持ちをある程度整えることができるのではないかと気づいたんですね。

好ましくない分人になってしまったとしても、自分の中の好きな分人を呼び起こしてくれるアイテムや手段を幾つか用意しておけば、自分を支えることができる。もちろん、言うは易く行うは難しかもしれません。

ポイントは、「自分なんかダメだぁ…」とか思い始めた瞬間に、自分の中のこの分人が弱音や愚痴を言い始めたから、他の分人たちで励まそうとか、見守ろうとか、そういう構図を頭の中に描いて、自分を客観視することが大切なのかなと思います。

そうすることで、衝動的な自殺だったり、自分を傷つけるような行動に走らずに、好きな自分に帰ってくることができるのではないでしょうか。

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疲労という麻薬に気をつけろ。

抱えている不安から逃れる方法。それは、薬でも、酒でもなく、疲労だという話が作中ででてきます。

疲労を感じることで、不安を感じるヒマもなくなるし、自分は精一杯生きているという自己暗示にかかりやすくなるという話です。

疲労は確かに麻薬に似てます。今、言われて思い出しました。僕自身、どっかで体を酷使していることに慰められてもいましたから。不安を感じる暇もありませんでしたし。(中略)その疲労感だけは疑いようがありませんでした。生きている感じがしました。自分は、一度しかない三十代という時を、決して無為には過ごしてないんだと。……それに、秋吉さんも言ってましたけど、こんなに疲れるまで働いてるんだから、僕は胸を張って、幸せになってもいい気がしました。今の時代、人に誇れる本物の幸福は、お金でも運でもなく、疲労で手に入れたものじゃないか僕は幸福でした。でも、僕はその分、疲れてました。

確かに疲労って一種の心地よさを伴う快楽をもたらしたり、「自分はこんなに頑張っているんだから間違っていない」というような自己暗示をかける作用がありそうな気がします。

それと、疲労は結婚式の披露宴のビールみたいなものという話も印象的でした。

「色んな人がビールを注ぎに来ます。職場の上司や同僚、親戚、友人。……最初は、ちゃんとグラスを空にして、注いでもらいます。一杯くらい何でもなく飲めます。二人目が来て、やっぱりグラスを空にする。でも、そうして三杯目、四杯目となっていくうちに、嬉しいけど、辛くなってくる。半分しか飲めないまま、次が注がれる。ふらふらしてくる。飲み終わるのを待たれてから、また注がれる。もう三分の一しか飲めない。そこにまた、注ごうとされる。勢い余って、とうとう溢れ出してしまう。その時、人間は幸せの絶頂にあるんですよ。……」

とても恐ろしい話です。晩婚化で結婚や家の購入、それから、引っ越しや出産みたいな人生の"幸せな出来事"が、働き盛りの三十代に集中している事実と、三十代の自殺の多さとの因果関係を調査しているという話も作中にでてくるのですが、幸せを強く感じる時ほど、注意が必要なのかもしれません…

疲労について、漫画『スラムダンク』にでてくる陵南の田岡監督が上手いことをいっています。

「全てがうまくいっている時は大して意識しないものだ。ピンチにたたされた時、2倍3倍にもなって襲いかかってくる。それが疲労だ。」

まさに、この通りなんじゃないかと思っていて、予期せぬトラブルだったり、自分にとって好ましくない分人が自分の中に生まれてしまった瞬間に、牙をむいてくるのが疲労なのではないでしょうか。

マジメな人ほど鬱病になりやすいというのも、こういったところからきている気がします。

疲労は麻薬。その麻薬に染まった状態で考えているものごとを考えていないか?

そう、自分に問いながら生きていきたいと思いました。

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小説「空白を満たしなさい」には、誰にでも、ちょっとした出来事の重なりで自殺しうる危険が潜んでいる可能性と、そんななかで僕らがどういう姿勢で生きていくべきなのかを示唆するヒントが沢山詰まっていると思いました。

先日、WEEKLY OCHIAIに平野さんが出演された時に、このようなことをおっしゃっています。

「対人関係ごとに自分の中に分人がいるんですが、自分の好きな分人を好きな比率で生きられるのが自由ということ。嫌いな分人を生きる時間が長かったり、嫌いな分人でいることを強制されるのは不自由です」
「自由とは、好きな分人で長くいられることで、それが幸福にもつながっていく。その一端を共感度の高いAIが担っていくかもしれません。もちろん、一番好きな分人だけがあればいいのではなくて、ほかの分人も必要。その構成要素を自由に選べることが大事

いろんな人との出会いや、様々な出来事がおこる世の中において、自分が抱えている全ての分人を愛するということは、おそらく無理でしょう。

ただ、自分の好きな分人を大切にしたり、好きな分人の数を増やしたり、好きな分人でいられる時間の比率を高くすることを選ぶことは、自分の意志で変えられるはずです。

そして、消してしまいたいような分人が表れたときに、それ以外の分人たちで温かい目で見守ってあげられるような場所を自分の心の中につくりたいと思いました。

「空白を満たしなさい」

多くの方に読んでもらいたいなぁと思っています。

そして、今月末には、いよいよ平野さんの新作「ある男」が発売になります。早く読みたい…。その想いで、今はいっぱいです。

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井手 桂司/Brand Editor

1984年熊本生まれ。フリーランスのブランドエディターとして、企業やブランドへの共感・愛着が高まる活動を支援。オウンドメディアの編集や執筆、ファンイベントの企画や運営、SNS活用など。/ IKEUCHI ORGANIC、ファクトリエ、オイラ大地…を応援 / 朝渋、コルクラボ所属

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