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かっこいい人

昨日は午前中久々に僕は高校生のいる体育館にいた。

学生時代と変わらず、スケッチブックを持って汗をかきながら話してた。

20分×3回。
自分の過去の話を包み隠さず話した。

ちなみに話したあとスッキリしなかった。
どんな意味があったのかモヤモヤしながら、
写真撮影をした。

プログラム後も話したいと言っていただけた高校生と話してた。

帰りに思った。心の底から湧き出るように。
改めて。

僕と出会って彼らにどんな意味があったのか。
どんな意味があるのだというのか。

紙芝居をつまんなさそうに聞く生徒。
紙芝居を食い入るように見つめる生徒。

行動は目に見えても、それがどんな意味なのか、僕に想像がついてもそれが本当の彼らの意味ではない。
想像はあくまで解釈だ。僕の頭の中のことだ。

彼らにとっての意味は僕らがきめることはできなくて、今の彼らにもその意味を決めることができないのかもしれない。
生きればその意味、解釈も変わる。

未来の彼らがどんな意味をその時間につけるのか、そしてどう生きていくのか。
そう思うとこの活動はとてつもなく手応えの感じにくい、あいまいなものかもしれないと、学生時代と変わらぬモヤモヤを感じるのである。

だから信じるしかない。それがこのプログラムに必要なこと。

その反対のことも考える。
僕にとってこの時間はどんな時間だったのか?と。
体育館に立ったのは6月。
あれから4ヶ月、なにか確実に変わったものを感じる。

社会人と言われるものになった。
たくさんの人に出会った。

たくさんの人を見ると
かっこいいと思う人とかっこ悪いと思う人に分かれる。

それが毎日感じることだった。

そしてそれは自分への問いになる。

自分にとってかっこいい人ってどんな人だろうと。

それを昨日の体育館の彼らから教わった気がする。

あーそうだ、かっこよく生きていたいだけなのだと。

必死こいて一生懸命に。

自分が可愛いのはみんな変わらない。
だからこそ僕はカッコよく生きたい。
ダサくてもいいからかっこよく生きたい。

悩むで葛藤して、それでもしがみついて、
そうやってだれかのためにいろんなもの背負い込んででも、かっこよくやりたい。
スマートじゃないかもしれないけど、
それでいいから。

そんなことを思いました。

もらってばっかりだなーなんて思ってます。
頑張ろう。

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